荒松雄 – Wikipedia
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日本学士院より |
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生誕 |
1921年5月7日 |
死没 | (2008-11-08) 2008年11月8日(87歳没) |
居住 |
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国籍 |
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研究分野 | 歴史学 |
研究機関 |
東京大学 津田塾大学 恵泉女学園大学 東洋文庫 |
出身校 | 東京帝国大学文学部卒業 |
主な業績 |
インド中世の政治権力と 宗教勢力との関係の研究 |
プロジェクト:人物伝 |
(あら まつお、1921年5月7日 – 2008年11月8日)は、日本の歴史学者(インド史・南アジア史)、小説家。位階は従四位。勲等は瑞宝重光章。学位は博士(史学)(専修大学・2001年)。筆名は新谷 識(しんたに しき)。東京大学名誉教授、恵泉女学園大学名誉教授、日本学士院会員。
東京大学東洋文化研究所教授、東京大学東洋文化研究所所長、津田塾大学学芸学部教授、恵泉女学園大学人文学部教授、財団法人東洋文庫研究員などを歴任した。
東京府出身の歴史学者である。インド史、および、南アジア史を専攻しており、東京大学、津田塾大学、恵泉女学園大学などで教鞭を執った。インド中世の政治権力と宗教勢力との関係について研究するなど[1]、日本におけるインド史の本格的な研究の開拓者として知られている[1]。日本学士院賞を受賞し、のちに日本学士院の会員に選任されている。
また、「新谷識」という筆名を用いて推理作家としても活躍し、オール讀物推理小説新人賞を受賞した。
生い立ち[編集]
東京府東京市浅草区浅草材木町(現在の東京都台東区雷門二丁目)出身。1944年東京帝国大学文学部東洋史学科卒。
歴史学者として[編集]
1947年東大東洋文化研究所助教授、教授、1972-1973年同所長。1978年日本学士院賞受賞、1982年定年退官、名誉教授、津田塾大学教授、恵泉女学園大学教授、1995年退職、名誉教授、学士院会員、東洋文庫研究員。2001年『インド – イスラム遺蹟研究』で専修大学より博士(史学)の学位取得。カナダ・ヴィクトリア大学美術史学名誉博士。2008年11月8日死去。正八位から従四位に昇叙され、瑞宝重光章を授与される。
小説家として[編集]
1975年に「死は誰のもの」でオール讀物推理小説新人賞を受賞し、推理作家としても活動。筆名「新谷識」は、阿頼耶識に基づく。
- 「現代インドの社会と政治 その歴史的省察」 弘文堂・アテネ新書 1958、中公文庫 1992
- 「三人のインド人 ガンジー、ネール、アンベドカル」 柏樹社・新書 1972
- 「ヒンドゥー教とイスラム教 南アジア史における宗教と社会」 岩波新書 1977
- 「インド史におけるイスラム聖廟 宗教権威と支配権力」 東京大学出版会 1977
- 「インドとまじわる」 未來社 1982、中公文庫 1992
- 「わが内なるインド」 岩波書店 1986
- 「中世インドの権力と宗教 ムスリム遺跡は物語る」 岩波書店 1989
- 「青春、さもなくば森 インド、ユーラシア、そして私」 未來社 1991
- 「多重都市デリー 民族、宗教と政治権力」 中公新書 1993
- 「インド・イスラム遺蹟研究 中世デリーの<壁モスク>群」 未來社 1997
- 「中世インドのイスラム遺蹟 探査の記録」 岩波書店 2003
- 「インドの「奴隷王朝」 中世イスラム王権の成立」 未來社 2006
- 「インドと非インド インド史における民族・宗教と政治」 未來社 2007
新谷識名義[編集]
- 殺人願望症候群 中央公論社 1989 のち文庫
- ヴェルレーヌ詩集殺人事件 中央公論社 1990 のち文庫
- ピラミッド殺人事件 双葉社 1991 のち文庫
- ボロブドゥル殺人事件 双葉社 1992
- インド宮廷秘宝殺人事件 双葉社 1995
- ^ a b 「物故会員個人情報」『会員個人情報 |日本学士院』日本学士院。
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