Month: January 2021

ハリー・ボーラス – Wikipedia

ボーラスの植物画、Eulophia streptopetala ハリー・ボーラス(Harry Bolus、1834年4月28日 – 1911年5月25日)は、スコットランド生まれの南アフリカ共和国の植物学者、植物画家である。現在のケープタウン大学のボーラス標本館を設立し、大学に文献や資産を寄付した。 ノッティンガムに生まれた。ノッティンガムのキャッスル・ゲート・スクールで学んだ。校長のジョージ・ハーバートは南アフリカのグラハムズタウンに住むウィリアム・ケンジットと親しく、植物標本を受け取っていた。ケンジットの助手を探すことを求められた時、ボーラスが選ばれた。ボーラスは1850年3月に南アフリカのポート・エリザベスに渡った。2年間ケンジットと働き、イギリスにしばらく戻った後、再び南アフリカに渡り、グラーフ=ライネに住み、ケンジットの妹と結婚した。6歳の長男を病気で失った後、友人の植物学者のフランシス・ガスリー(Francis Guthrie)から勧められて1865年頃から植物収集を始めた。ヨーロッパの植物学者、ジョセフ・ダルトン・フッカーやウィリアム・ヘンリー・ハーヴェイ、グラハムズタウンのピーター・マクオーウェン(Peter MacOwan)と親交を結び、1869年にガスリーから贈られた、オーギュスタン・ピラミュ・ドゥ・カンドールの分類学の著書”Prodromus“などが彼の宝物になった。1875年からケニルワースに移り、弟のウォルターと株式仲買の仕事を始め、事業は成功した。1876年にはガスリーと初めてキューガーデンを訪れ、1月半ほど、標本の分類、命名作業を行い、充実した時間をすごした。帰路、乗船が座礁し標本と資料を失うが[1]、再び新しい標本を収集し、南アフリカ各地の採集旅行を行い、自らの観察について多くの著書を執筆した。 事業の成功によって、多くの植物書籍を購入することが可能となり、ボタニカル・マガジンやボタニカル・レジスターなどの植物雑誌の全巻や、有名な植物画家のピエール=ジョゼフ・ルドゥーテ、ニコラウス・フォン・ジャカン、フェルディナント・バウアー、フランシス・マッソンが図版を描いたフォリオ版の豪華本も収集した。ケープ大学にハリー・ボーラス教授職を創設し、奨学金の資金を提供した。膨大な標本と書籍をSouth African College(現在のケープタウン大学)に寄付した。南アフリカ哲学協会(South African Philosophical Society)の創立メンバーにもなった。 マメ科の植物の属名、BolusiaやBolusafra、Bolusanthus、ラン科の植物の属名、Neobolusia、Bolusiella など多くの学名に献名されている。 A Preliminary List

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田嶌誠一 – Wikipedia

田嶌 誠一(たじま せいいち、1951年 – )は、日本の臨床心理学者。九州大学大学院人間環境学研究院教授。博士(教育心理学、九州大学: 学位請求論文「壺イメージ法の考案とその展開に関する臨床心理学的研究」)[1]。(財)日本臨床心理士資格認定協会認定臨床心理士。 福岡県大牟田市に炭鉱労働者の息子として誕生[2]。受験勉強の最中に出会った参考書の著者の勤務先である東京教育大学を目指していたが筑波移転反対闘争の余波で同大の入試が中止となり受験する事ができず、1年間の浪人期間の末九州大学教育学部に入学した[2]。そこで後に生涯の専門となる心理学と師となる成瀬悟策に出会う[2]。成瀬のもと大学院生時代は催眠やイメージ療法、動作法を中心に学んだ。 広島修道大学、京都教育大学を経て、1994年10月に九州大学教育学部助教授に着任。のち、九州大学大学院人間環境学研究院教授。 当初は個人の内面に深く働きかけるスタンスであったようだが、学生相談に従事した経験から、個人を取り巻く環境へと働きかける視点も重視するようになる。一見全く異なってしまったように思えるが、田嶌曰く、その根底には「工夫する能力」「注文をつける能力」の育成が共通してあるという。これらを観点を日常語として具現化させた「つきあい方」をキーワードとする論文を複数発表、その功績から1998年、日本心理臨床学会より奨励賞を受賞している。なお心理臨床学研究(日本心理臨床学会発行)に掲載された5本の論文はすべて原著論文(研究報告論文のうち、特に優れたものが編集委員会の判断で原著論文となる)であり、その独創性と臨床的センスが窺われる。 大学のゼミのスローガンは「こころはアマチュア、腕はプロ.補おう、腕の不足は体力で」。この目標に合致するため、ゼミ生は筋力トレーニングも欠かさない(同大教育学部パンフレット[要文献特定詳細情報]より)。また、不登校生徒などを対象としたボランティアの「居場所活動」をゼミ生の部屋で行っている。そのためゼミ生の部屋は漫画やテレビゲームソフトなどがかなり多く、ボランティア活動そのものは決まった時間枠で行われているものの、それ以外の時間には他ゼミの学生が多く居つくこととなっている。 最近[いつ?]はネットワーク・コミュニティ心理学的な視点をもとにした心理的援助モデルの構築に主眼を置き、精力的に実践研究を行っている。「不登校・引きこもり生徒への家庭訪問の実際と留意点」[3]などはその成果の一つであり、同業者よりも現場の教師によく読まれている。実践に関して、以前はスクールカウンセリング、現在は児童養護施設を主なフィールドとしており、施設では、安全委員会方式の提案を初めとした施設内暴力の解決[4]へも積極的に取り組んでいる。 教育学部では臨床心理学に関する講義と演習、大学院人間環境学府では研究計画指導、インテーク・カンファレンス、ケース・カンファレンス、学外実習などの授業担当、及び九州大学心理教育相談室の運営に携わっている。 壺イメージ療法[編集] 大学院博士課程在籍中の田嶌がある患者へカウンセリングを行っている最中、その患者が「洞窟の中に並んだ壺」のイメージについて語った。そこから壺の細部をイメージしたり壺の中に入るイメージを想像させたりしているうちにその患者は治癒に向かっていったという[2]。1984年には広島県で2日間に渡り研究会が開催され[5]、その研究会での記録を元に[5]、1987年に師成瀬の監修のもと著書『壺イメージ療法 その生い立ちと事例研究』をまとめ創元社より発表した。同法について守りの弱かった自身の幼少期の家庭的背景がベースにあると、雑誌「臨床心理学」にて田嶌自身が告白している[要文献特定詳細情報]。また2000年にラウトレッジ社から発表された『Handbook of Therapeutic Imagery Techniques』に田嶌が成瀬と共に執筆した同療法に関する論文が掲載されている[6]。 『イメージ体験の心理学』1992

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ハリット・チーワカルン – Wikipedia

ハリット・チーワカルン(タイ語: หฤษฎ์ ชีวการุณ、英語: Harit Cheewagaroon、1997年3月8日 – )は、シング(タイ語: ซิง、英語: Sing)という愛称で知られるタイの俳優、歌手。2014年にドラマシリーズ『Love Sick』にて俳優として芸能界入りした。 [1][2] 1997年3月8日にタイのバンコクで生まれた。バンコク・クリスチャン・カレッジを卒業し、バンコク大学にてラジオ・テレビ放送学科コミュニケーション芸術学部を専攻する。ギタリストとして、サイアム・コルカーン・ファミリー・ポピュラーミュージック・ザ・ファーストコンサート2012にて金賞を獲得し、第1回ジャトゥラミトル・ミュージック・コンテストで2位に入賞した。[3][4] 2018年よりGMMTVが企画したバンドプロジェクト「The Grandsons」にリズムギターとして参加しており、2020年11月21日、22日にタイで開催される大規模イベント「Fantopia」に、2021年1月8日にはチャンネル7の番組『Guess My Age』に出演した。[5][6][7] フィルモグラフィー[編集] テレビドラマシリーズ[編集] 年 タイトル

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フランシスコ・ジュニオール – Wikipedia

この名前は、ポルトガル語圏の人名慣習に従っています。第一姓(母方の姓)はサントス、第二姓(父方の姓)はダ・シルヴァです。 フランシスコ・ジュニオール 名前 本名 Francisco Santos da Silva Júnior[1] ラテン文字 Francisco Júnior 基本情報 国籍 ギニアビサウ ポルトガル 生年月日 (1992-01-18) 1992年1月18日(30歳) 出身地

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東京音楽大学 – Wikipedia

東京音楽大学(とうきょうおんがくだいがく、英語: Tokyo College of Music)は、東京都目黒区上目黒一丁目9番1号に本部を置く日本の私立大学である。1963年に設置された。大学の略称は東京音大、東音。 東京都千代田区猿楽町二丁目にある「東京音楽大学発祥の地」碑(2019年4月14日撮影) 1907年に鈴木米次郎によって創設された東洋音楽学校を前身とする。2020年現在で創立から100年以上経過しており、日本の私立音楽大学の中では、音楽学校としての時代を含めると最も古い歴史を持つ。東京都千代田区神田猿楽町1-7に「東京音楽大学発祥の地」の石碑が建てられている。卒業生には淡谷のり子、黒柳徹子、船村徹などがおり、クラシック音楽界だけでなく広く芸術、芸能分野に多くの人材を輩出している。 1907年 東洋音楽学校創設 1911年 東洋音楽専門学校に改称 1954年 東洋音楽短期大学開学 1963年 東洋音楽大学(4年制)設置 1969年 東洋音楽大学を東京音楽大学に改称、初代学長は石井義信(声楽) 1993年 大学院修士課程設置 2007年

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顕広王 – Wikipedia

  凡例 顕広王 時代 平安時代後期 生誕 嘉保2年(1095年) 死没 治承4年7月19日(1180年8月18日) 官位 正四位下・神祇伯 主君 六条天皇→高倉天皇 氏族 白川伯王家 父母 父:顕康王 妻 藤原能忠娘 子

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紡ぐ乙女と大正の月 – Wikipedia

『紡ぐ乙女と大正の月』(英語: A Drift Girl and a Noble Moon、つむぐおとめとたいしょうのつき)は、ちうねによる日本の漫画作品。『まんがタイムきららキャラット』(芳文社)にて、2019年9月号から10月号までのゲスト掲載を経て、翌月11月号から連載を開始した。令和の女子高生が大正時代にタイムスリップして女学生生活を送る作品で、大正時代の女学生の間で広く行われていたエスという風習について描かれている。 あらすじ[編集] 2019年のある日、主人公・藤川紡は桜川女学校の図書館にいたところ地震で気を失ってしまい、目覚めたときには大正10年の銀座で倒れていた。行く宛もなく大ピンチだったところを公爵令嬢・末延唯月に拾われ、紡は末延家で女中として働きながら、唯月とともに大正時代の桜川女学校で女学生生活を送ることとなる。 その後、紡は同級生の万里小路旭・蜂須賀初野と仲良くなる。しかし、唯月の、父の許しのない外出や身分の低い家への訪問が父の末延公に見つかってしまい、唯月は結婚を命じられてしまう。同時に屋敷を追い出された紡は唯月とともに末延公と向き合い、末延の名を傷つけることがないことを条件に女学校卒業まで間の猶予を得ることに成功する。 登場人物[編集] 藤川 紡 (ふじかわ つむぐ) 生年月日:2003年(平成15年)11月27日 / 身長:155センチメートル /

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藤原伊勢人 – Wikipedia

  凡例 藤原 伊勢人 時代 奈良時代後期 – 平安時代初期 生誕 天平宝字3年(759年) 死没 天長4年3月13日(827年4月12日) 別名 伊勢臣 官位 従四位下、治部大輔 主君 桓武天皇→平城天皇→嵯峨天皇→淳和天皇 氏族 藤原南家

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時疾風秀喜 – Wikipedia

時疾風 秀喜(ときはやて ひでき、1996年8月25日 – )は、宮城県栗原市(旧栗原郡瀬峰町)出身で、時津風部屋所属の現役大相撲力士。本名は冨栄 秀喜(とみえ ひでき)。身長178.0cm、体重125.0kg、血液型はO型[1]。最高位は東幕下4枚目(2021年5月場所)。 小学校2年生の時に、同級生より体が大きいという理由で勧誘され、地元の瀬峰少年相撲クラブで相撲を始めた[2]。小学生時代はサッカーとバレーボールもやっていたが、中学校進学後は相撲部の活動日の都合で他のスポーツはやめ、相撲に専念することになった[2]。中学生の頃から小牛田農林高校の合宿に参加しており、中学校卒業後は同高校に進学[2]。3年時にインターハイ相撲競技3位[3]。高校卒業後は、教員になることを志して東京農業大学に進学したが、3年次に全日本選手権でベスト16に進出したことや[4]、同学年に当たる翠富士と錦富士が近畿大学を中退して角界入りしていたことに刺激を受けて[2]、大相撲入りを検討するようになった。4年次は全国選抜十和田大会3位[5]、学生選手権個人32強を経験した後、大学時代最後の大会となった全日本選手権は予選落ちとなったが、このことがかえって大相撲入門への決意を固めるきっかけとなった[2]。 大学卒業後は時津風部屋に入門し、2019年3月場所で初土俵を踏んだ[1]。前相撲には本名で出場したが、新序出世のタイミングで改名し、四股名は「時栄」になった[1]。初土俵の同期に北の若、吉井らがいる。初めて番付に名前の載った5月場所は2番相撲で北の若に敗れて6勝1敗。序二段に上がった翌7月場所では、4番相撲で前場所敗れた北の若に、7番相撲では幕内経験者の誉富士に勝利して序二段優勝を果たした[6]。三段目も6勝1敗で1場所で通過して、同年11月場所で新幕下に昇進。幕下でも勝ち越しを続けたが、幕下1桁台の東7枚目まで番付を上げた2020年9月場所では幕下上位の壁に当たって、入門以来初の負け越しとなった[2]。翌11月場所からはまた勝ち越しが続いており、東幕下15枚目の2021年3月場所では1番相撲から6連勝として、最後の7番目に勝って7戦全勝とすれば新十両昇進が確実となるところだったが[7]、三役経験者の阿炎に敗れて6勝1敗となり、十両昇進と幕下優勝を逃した[8]。最高位を更新して臨んだ翌5月場所からは負け越しが続き、同年9月場所は左太腿の肉離れにより途中休場[9]。右膝内側靭帯も損傷していたが、翌11月場所で復帰し、5勝2敗と勝ち越した[9]。2022年3月場所から四股名を「時疾風」に改名した[10]。 同部屋の大畑は小・中・高校の同級生である。大相撲入門後は、同部屋で同学年の将豊竜や、2020年7月に中川部屋から移籍し同部屋の所属となった同期生の吉井らへのライバル意識を持っている[2]。 主な成績[編集] 通算成績[編集] 2022年3月場所終了現在 通算成績:72勝44敗3休(18場所) 各段優勝[編集] 序二段優勝:1回(2019年7月場所) 場所別成績[編集] 時疾風 秀喜 一月場所初場所(東京)

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