ロータス・18 – Wikipedia

ロータス・18 (Lotus 18) は、チーム・ロータスが1960年に開発したフォーミュラカー。コーリン・チャップマンが設計した。排気量の異なるエンジンを搭載することで、フォーミュラ・ジュニア (FJ) からF2、F1まで使用することができた。F1世界選手権では1960年から実戦投入された。

クーパーの成功に続き、ロータスが製造した最初のミッドシップマシン。角張った無骨なボディ形状から「ビスケットボックス」と呼ばれた。

シャーシは軽量なスペースフレーム構造で、燃料タンクはドライバーの膝の上に設置された。F1の2.5リッターエンジン用、F2の1.5リッターエンジン用の2種類があり、構造を簡略化したフォーミュラジュニア用もバッジ生産された。

エンジンは一貫してコヴェントリー・クライマックス製を搭載した。ロータス製5段マニュアルトランスミッションは「クイアーボックス(奇妙な箱)」と呼ばれた。

1960年[編集]

1960年シーズン開幕戦では、イネス・アイルランドがトップを走行したが、マシントラブルにより後退した。アイルランドはグローヴァー・トロフィー (Grover Trophy)でノンタイトル戦ながらロータスのF1初勝利を獲得。このレースで敗れたロブ・ウォーカー・レーシングは18を購入し、モナコGPでスターリング・モスのドライブにより優勝した。これはワークスのチーム・ロータスより先に記録された、コンストラクターとしてのロータスの選手権初勝利であった。

18はフロントエンジンの12や16よりも性能が向上したが、信頼性が低かった。ベルギーGPではモスとマイク・テイラーがマシントラブルでクラッシュし重傷を負った。アラン・ステイシーは顔面に鳥が当たって死亡するという呪われた週末となった。

両脚の骨折から復帰したモスは、最終戦アメリカGPでも優勝し、ロータスはクーパーに次ぐコンストラクターズ2位となった。また、のちにチャンピオンとなるジム・クラークとジョン・サーティースが18に乗ってF1デビューした。ポルトガルGPではサーティースが初ポールポジション、クラークが初表彰台(3位)を獲得した。

1961年[編集]

1961年からF1のエンジン排気量が1.5リッターに縮小された。チーム・ロータスは21を主力とし、ロブ・ウォーカー・レーシングらプライベーターは18か、18の車体に21のボディカウルを搭載した18/21を使用した。

この年は強力なV6エンジンを積んだフェラーリ・156F1が圧勝するシーズンとなったが、モスは18でモナコGP、18/21でドイツGPを制してみせた。モナコGPでは車体を軽くするため、ボディのサイドパネルを外して走行した。

1962年以降、ワークスチームは24や25に移行し、18と18/21はプライベートチームのみに供給された。18で殊勲を挙げたモスは1962年シーズン前のグローヴァー・トロフィーでハードクラッシュを喫し、その怪我が元で現役引退することになった。この時乗っていたマシンは、父親が運営するUDTレイストール・レーシングが所有するライムグリーンの18/21だった。

参考文献[編集]

  • ダグ・ナイ著 高斎正訳 『歴史に残るレーシングカー』 グランプリ出版、1991年、ISBN 4876871124