Month: April 2021

㹨川 – Wikipedia

この項目には、JIS X 0213:2004 で規定されている文字が含まれています(詳細)。 㹨川(いたちがわ)は、神奈川県横浜市栄区を流れる二級河川である。鼬川と表記されることがある(後述)。 概要・地理[編集] 鎌倉市境に近い荒井沢を水源とする洗井沢川、港南区境に近い瀬上池周辺(瀬上市民の森)を水源とする瀬上沢、金沢区境に近い上郷町付近を水源とする㹨川が、栄区役所付近で合流する。西へ流れ、JR東海道・横須賀線と根岸線の路線が分岐する付近、笠間町と飯島町の境界で柏尾川に合流する。瀬上沢と洗井沢川は小川で、総称して㹨川と呼ばれることもある。一部の地図には㹨川沿いに稲荷川と表記されているが、稲荷川(矢沢堀)は桂台住宅地付近の遊水池から流れる小川の名称である。 川の中には動物のイタチの置物がある場所もあるが、名の由来は鎌倉街道の出立点としての「いでたち」の転とされている[1]。 流域には、縄文時代から人類が住み、公田ジョウロ塚遺跡などの遺跡がある。古墳時代から奈良時代初めごろには横穴墓群が多く掘られ、約20群200基以上にのぼる㹨川流域横穴墓群が存在した[2]。上流の瀬上沢では上郷深田遺跡で製鉄が行われた[3]。 鎌倉時代には霊所と考えられており、『吾妻鏡』に度々「㹨河」でお祓いをしたと記述されている[4]。また小菅ヶ谷付近には宿場があり、『徒然草』で知られる吉田兼好もこの付近に旅で来たらしく、『兼好家集』の中で「相模国いたち河という所にて、此の所の名を句の上にすえて旅の心を」と題して いかにして、たちにし日より、ちりのきて、風(かぜ)だに閨(ねや)を、はらわざるらん という和歌を詠んでいる[5]。 1960年代(昭和35年~)までは緩やかに蛇行し周辺に湿地の残る河川であったが、周辺の市街地化により水害が頻発するようになったため1970年(昭和45年)より河川整備が行われ、下流部から中流部において3面張り護岸の整備と支流の小河川の暗渠化が行われたが、これは河川改修による水位の低下や自然植生の消滅によって水質の悪化を招いた。 これを改善するため1982年(昭和57年)以降は水辺の自然復元工事として3面張り河川内に河原を再現する事業が行われ、あわせて親水公園や河川沿いの遊歩道などの整備も行われた。これは都市部における多自然型河川の整備(多自然川づくり)の草分けとして土木誌等にしばしば取り上げられている[6]。 また、その後河川整備が開始された上流部は1987年(昭和62年)には「ふるさとの川整備モデル河川」に指定され多自然型護岸などを用いるなど、周辺環境との調和に配慮した整備が行われている。 2011年(平成23年)にはこれらの取り組みが評価され、土木学会デザイン賞を受賞している[7]。また、国土交通省手づくり郷土賞を、「大いたち橋・小いたち橋といたち川プロムナード」で、平成7年度(コミュニティー部門)を、平成10年度には「いたち川・稲荷森の水辺」で、受賞。 2014年(平成26年)から首都圏中央連絡自動車道建設[8]のため河川沿いでは工事が進められている。 名称の表記[編集] 㹨川のいたちは、「けものへん」に「由」(㹨)である。㹨川周辺の橋や看板、一部の地図などで確認することができる。多くの辞書に掲載されていない字[9]ではあるが、この川の名前が鎌倉時代の『吾妻鑑』にこの字で書かれていたことから、使い続けていると言われる。そういった難読字であることから、もっぱら平仮名でいたち川と表記される。 なお鼬の字がパソコン上で簡単に打ち出せることから、ブログなどでは鼬川と表記されることもある。本来の字は康熙字典や大漢和辞典に載るが、JIS

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ドンキーコングJR. – Wikipedia

『ドンキーコングJR.』(ドンキーコングジュニア、DONKEY KONG JR.)は、1982年に任天堂から稼動されたアーケードゲームである。なお、アーケード版と一部の海外版では『DONKEY KONG JUNIOR』と表記されている。 マリオによって檻に幽閉されたドンキーコング[1]を、息子のドンキーコングジュニア[2]が助けに向かう、一画面固定アクションゲーム。 ゲーム内容[編集] 4面を1周として構成されており、4面をクリアすると難易度が上がった1面からまた始まるループ制。 ジャンプがメインの前作と異なり、ツルを上り下りするアクションが特徴的。ツルを上るときは2本のツルを両手でつかむことで速く上昇し、下りるときは1本のツルにしがみつくことで一気に下降することができる。ジュニアの唯一の武器となるステージの各所に配置されている果物を、上手く使って攻略していく。4面は鍵を押し上げてパパコングの閉じ込められた檻を開けるステージになっている。 ドンキーコングの基板及びプログラムを元に作られているためか、前作と同様にレベル22はボーナスポイントが400(4カウント分)減っただけでミスとなる。 登場キャラクター[編集] ジュニア 主人公(プレイヤーキャラクター)。前作の悪役であったドンキーコングの息子。 パパ / ドンキーコング 本作での救出対象であり、前作でのレディ(ポリーン)の役目にあたる。 マリオ 前作の主人公で、本作の悪役。今作から個人名が付けられた。常に鞭を持っており、鞭を叩いて敵キャラクターをジュニアに突撃させる。 アーケード版では2人のマリオがドンキーコングを搬送する開始デモが存在する。このうちの片方が後のルイージなのかは明言されていない。

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田村ゆかり LOVE LIVE *Sunny side Lily*

田村ゆかり > 田村ゆかりの作品 > 田村ゆかり LOVE LIVE *Sunny side Lily* 本来の表記は「田村ゆかり LOVE ♥ LIVE *Sunny side Lily*」です。この記事に付けられたページ名は技術的な制限または記事名の制約により不正確なものとなっています。 『田村ゆかり LOVE ♥ LIVE *Sunny

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マルク・ド・ボーヴォー=クラン – Wikipedia

フランソワ・ヴァンサン・マルク・ド・ボーヴォー(François Vincent Marc de Beauvau, marquis de Beauvau, prince de Craon, 1679年4月29日[1]ナンシー – 1754年3月10日 アルエ)は、ロレーヌ公国の貴族・軍人・政治家。同公国の大元帥及びトスカーナ副王。爵位はボーヴォー侯爵だったが、ボーヴォー公、クラン公、帝国諸侯、アルエ侯爵及びスペインのグランデ特権を得た。 ルイ・ド・ボーヴォー侯爵(1638年 – 1703年)とその3人目の妻アンヌ・ド・リニー・ド・シャルメルの間の子。主君たるロレーヌ公レオポールの幼児からの親友であり、公の妾アンヌ=マルグリット・ド・リニヴィル(1686年 – 1772年)を妻とし、レオポール公の嫡男フランツ・シュテファンの養育係及び厩舎長に任命された。

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西山元町 – Wikipedia

西山元町(にしやまもとまち)は、愛知県名古屋市千種区の地名。現行行政地名は西山元町1丁目から西山元町3丁目[2]。住居表示未実施[6]。 名古屋市千種区中央部に位置する。東は法王町・山門町、西は向陽町・池下町、南は堀割町、北は田代町字岩谷・字四観音道西に接する。 地名の由来[編集] この節の加筆が望まれています。 沿革[編集] 世帯数と人口[編集] 2019年(平成31年)1月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[3]。 人口の変遷[編集] 国勢調査による人口の推移 1950年(昭和25年) 666人 1955年(昭和30年) 886人 1960年(昭和35年) 945人 1965年(昭和40年) 965人 1970年(昭和45年) 1,050人 1975年(昭和50年)

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僕の心のヤバイやつ – Wikipedia

『僕の心のヤバイやつ』(ぼくのこころのヤバイやつ、英語: The Dangers in My Heart)は、桜井のりおによる日本の少年漫画。東京都目黒区洗足を舞台に[2]、陰キャの中二病少年・市川京太郎と陽キャの美少女・山田杏奈の2人が織り成す恋模様を描いたラブコメディである[3]。略称は「僕ヤバ」[4]。2022年1月時点で累計発行部数は200万部を突破している[5]。 本作の連載は『週刊少年チャンピオン』(秋田書店)で始まり[1]、2018年15号から18号まで掲載された後、同年4月から、同社のウェブコミック配信サイト『チャンピオンクロス』に移籍[6]。7月、同社が『チャンピオンクロス』と『Champion タップ!』を統合して『マンガクロス』を開設すると、本作もそれに伴って『マンガクロス』に移籍している[7]。 あらすじ[編集] 市川京太郎は中二病を患う中学2年生で、日々殺人の妄想を繰り広げていた。彼は自分と対照的な同級生・山田杏奈から見下されていると思い込んでおり、特に彼女を殺したいと思っていた。 ある日、京太郎は山田が学校に食べ物を持ち込み、図書室で食べているのを目撃する。その後も山田は美少女のイメージとはかけ離れた言動をとり、京太郎はそんな彼女を放っておけなくなるが、その理由が分からず煩悶する。そんな折、体育の授業で山田が負傷するアクシデントが起こる。負傷に涙する山田を見ていた京太郎もいつしか泣いており、自分が山田に恋していることを自覚する。 一方の山田も当初は京太郎のことを特に気に留めていなかったが、次第に彼に関心を抱き、お気に入りの漫画を貸すなど自分から積極的に交流を図るようになる。そして2学期最後の登校日、山田は漫画の続巻を貸すという理由で、クリスマス・イブに京太郎と会う約束を取り付ける。 登場人物[編集] 主人公とヒロイン[編集] 市川 京太郎(いちかわ きょうたろう) 本作の主人公を務める男子中学生[8]。作中では家族として父母と姉が登場しており、このうち母と姉からは「京ちゃん」と呼ばれている。 内向的な性格で友達を持たず[9]、休み時間は読書をして過ごしており[10]、昼休みは図書室に入り浸っている。また、同級生を殺す妄想をするという中二病も患っている[8]。中二病ゆえにモノローグでは偉ぶった物言いをすることもあるが、その実、自己肯定感は低い[11]。一方でスマートではないながらも行動力があり[12]、作中では困っている人のために行動を起こす場面がしばしば描かれている。 山田に対しては当初、自分のような陰キャを下に見ているものと決めつけていたが、物語が進むにつれて彼女の意外な姿を目の当たりにするようになり、次第に彼女に惹かれ、遂には恋心を自覚するに至っている[11]。一方で、自己肯定感の低さなどが災いして山田が自分に好意を抱いていることには気づいておらず、山田の言動について見当違いの解釈をしてしまうこともある[13]。

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サイトメガロウイルス – Wikipedia

サイトメガロウイルス(cytomegalovirus;CMV)は、宿主細胞の核内に光学顕微鏡下で観察可能な「フクロウの目(owl eye)」様の特徴的な封入体を形成することを特徴とするヘルペスウイルスの総称である。ウイルスの分類上はサイトメガロウイルス属とし、この場合ヒトを含む霊長類を宿主とするものに限るが、総称としては近縁で齧歯類を宿主とするムロサイトメガロウイルス(murine cytomegalovirus;MCMV)も含める。 ヒトに感染するのはヒトサイトメガロウイルス(human cytomegalovirus;HCMV)で、これはヒト以外の動物には感染しない。HCMVの学名はヒトヘルペスウイルス5型(human herpesvirus-5;HHV-5)である。 この項では主にこのヒトサイトメガロウイルス(HCMV)について記述し、ウイルス学の項以外では簡単のためサイトメガロウイルス(CMV)と略して呼称する。 CMVは通常、幼小児期に唾液・尿などの分泌液 を介して不顕性感染し、その後潜伏・持続感染によって人体に終生寄生することで人類集団に深く浸透している[1]。日本では、成人期での抗体保有率は 60 % 〜 90 %と高い[2]。 健常人では脅威とならないが、免疫の未熟な胎児・免疫不全状態の臓器移植・AIDS患者・免疫抑制療法などではウイルス増殖による細胞及び臓器傷害で生命を脅かす[1]。 先天性感染(胎児の際の母子感染)を起こすと、そのうち日本では約 20 %が子宮内発育遅延・肝脾腫・小頭症などの顕性感染を呈し、残りの 10 〜 20%

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虹色のSneaker – Wikipedia

この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。出典検索?: “虹色のSneaker” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2018年11月) 「虹色のSneaker」(にじいろのスニーカー)は、林原めぐみの通算2枚目のシングル。1991年3月5日にスターチャイルドから発売された。8cmCD版(KIDA-15)、カセットテープ版(KISA-15)。 林原めぐみが個人名義でリリースしたシングルとしては2作目で、アルバム『Half and, Half』の先行シングルにあたる。なお、林原は本作以前にシングル「約束だよ」をポリドールより発表しているが、公式では本作がデビューシングルである[注 1]。ただし、シングルの通算(カウント)には「約束だよ」も含まれている。なお、ポリドールもメジャーレーベルであることから、林原のデビューは「1stシングルがデビューシングルではない」「2ndシングルがデビューシングル」という稀なケースであった[注 2]。 当時、声優が個人名義でシングルを出すことは極めて珍しいことではあったが、オリコン最高43位、1万1千枚の売上を記録した。 CD発売時から約1か月後に放送開始した自身のラジオ番組『林原めぐみのHeartful Station』で、「虹色のSneaker」が約12年間番組のオープニング・エンディングの両テーマソングとして使用されていた。2003年秋にエンディングが「負けないで、負けないで…」に変更されて以降は、2015年の番組終了までオープニングテーマでのみインストゥルメンタルバージョンが使用された。 カセットテープ版のみ、B面にカラオケ(インストゥルメンタルバージョン)が収録されている。 (作曲:辛島美登里、編曲:村瀬恭久)

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仙台南部道路 – Wikipedia

名取川北岸を走る仙台南部道路(仙台市太白区、2005年4月) 仙台南部道路(せんだいなんぶどうろ、英語: SENDAI-NANBU ROAD[1])は、宮城県仙台市若林区の仙台東部道路・仙台若林JCTから宮城県仙台市太白区の東北自動車道・仙台南ICに至る自動車専用道路(有料道路)である。 高速道路ナンバリングによる路線番号は、山形自動車道とともに「E48」が割り振られている[2]。 仙台市南部の郊外を東西に走り、おおよそ名取川に沿う。 当路線は当初、国道286号と国道4号仙台バイパスを結ぶ産業道路として[3]、また東北自動車道・仙台南IC(1973年開設)から仙台港(1971年開港)方向へ向かう車が仙台市都心部を通らずに仙台バイパスへと向かう事による市内の渋滞緩和などを目的として、1974年3月から通常の有料道路(仙台南有料道路)として建設された[4]。第2期工事により仙台東部道路と接続し、仙台南部道路と改称[5]。第3期工事により東北自動車道とも接続した。その後、仙台南ICとの接続部の料金所を廃止して東北道との間がジャンクション化され、仙台都市圏環状自動車専用道路(ぐるっ都・仙台)の南側を構成している。 道路規格は全線が第1種3級であり[6]、第1期および第2期の区間はほとんどが盛土、第3期区間はほとんどが高架の道路である。また制限速度は、第1期開通時に50 km/hだったが、第2期開通時に60 km/h、第3期の全線開通時には70 km/hに引き上げられた[7](設計速度は80 km/h[6])。 宮城県道路公社が建設し、管理・運営をしてきたが、2013年7月1日に東日本高速道路株式会社に移管された[8][9]。この際に路線の指定も宮城県道53号仙台南インター線から変更され、国道6号に指定されている。 通過する自治体[編集] インターチェンジなど[編集] 全線宮城県仙台市内に所在。 IC番号欄の背景色が■である部分については道路が供用済みの区間を示している。 英略字は以下の項目を示す。 当初計画では、建設中の東北自動車道・仙台南ICから名取川右岸(南岸)の名取市内を高舘熊野堂 – 高舘吉田 – 上余田と東に向かうルートだったが、自動車排出ガス規制や騒音対策が現在ほど厳しくなかった当時、産業道路でもある当路線は大気汚染や騒音問題などの公害を招くとして、地権者を中心とする反対運動にあい、名取市議会も同調した。そのため、1974年(昭和49年)2月18日の宮城県議会土木常任委員会において当初計画は正式撤回され、名取川左岸(北岸)を通過する新ルートが提示された。結局、第1期工事は山田(山田料金所)から大野田(長町出入口)まで名取川左岸(北岸)堤防沿いに仙台市内のみを通過する区間で建設されることになり、同年3月に着工[10]、1981年(昭和56年)1月31日に開通した。 第2期工事は、第1期の東側に延伸し、仙台東バイパス(当時の呼称。現・仙台東部道路)に接続する計画を立てた。大規模な圃場整備事業がなされた若林区日辺において反対運動があったが建設は進み、1994年(平成6年)3月30日に仙台東部道路の一部区間開通(仙台空港IC

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群馬県道・埼玉県道71号高崎神流秩父線 – Wikipedia

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