クバーニ – Wikipedia

クバーニ

クバーニの紋章。

  クバーニの地図(20世紀)。

クバーニにおけるウクライナ人の人口(1926年国勢調査による)。

クバーニ(ウクライナ語:Кубань;ロシア語:Кубань)は、ウクライナおよびロシアの歴史的地名である。クバーニ川流域から、現在のロシア連邦のクラスノダール地方、アディゲ共和国、スターヴロポリ地方、ロストフ州、カラチャイ・チェルケス共和国に当たる地域を指す。

日本語では、クバンクバニなどとも書かれる。

ザポロージエ・コサックから派生したクバーニ・コサックが根拠地を置いた。ロシア帝国に併合されたのちは、クバーニ州が置かれた。また、ロシア革命後にはクバーニ人民共和国やクバーニ黒海ソビエト共和国が建国された。

古代[編集]

紀元前6世紀頃、レスボス島からやって来たギリシャ人によってヘルモナッサ(英語:Hermonassa, ギリシャ語:Ερμώνασσα)が作られ[1]、紀元前5世紀頃にボスポロス王国の一部となった。

6世紀頃、ボスポロス王国がビザンツ帝国(ユスティニアヌス1世の治世)の支配下に入った。

ビザンツ帝国の500年から600年の頃に、初めてドニエプル地方からルーシ族が現れる。965年にはトムタラカン英語版を占領し、
トムタラカン公国を建国した。

山岳地方からカソーグ人ロシア語版がドニエプル川はナドニプリャーンシュチナ(現在のチェルカースィ州辺り)に移住し、現在のチェルカースィの基礎を築く。カソーグ人(あるいはチェルカース人)は現代のチェルケス人に近い種族で、古代のトムタラカンの住民の子孫であり、のちにコサックの原型となったと考えられている。

ウクライナ・コサック[編集]

1792年には、黒海コサック軍がウクライナより移住した。クバーニは彼らによって開拓され、彼らはクバーニ・コサック軍を編成した。

クバーニ人民共和国[編集]

1917年4月30日から5月3日にかけて、カテルィノダール(現在のクラスノダール)でコサックの集会が開かれ、コサック政府となるクバーニ軍ラーダ(議会)が結成された。

1918年2月16日には立法ラーダ(議会)がクバーニ人民共和国の建国を宣言した。数日後、議会によって「クバーニのウクライナとの連邦参加について」の決議が採択された。

1920年、ロシア内戦において赤軍がクバーニの大半を占領し、崩壊した。

1933年には、スターリンによる農業集団化政策による大飢饉ホロドモールに見舞われた。クバーニにおける飢饉は、他のウクライナの民族的地域と同様過酷なものであった。これにより、これまでクバーニの主要な住民であったウクライナ人は壊滅的打撃を受けた。

主要な都市[編集]

名称は、現在のものに準拠する。

  • クラスノダール
  • エイスク
  • ノヴォロシースク
  • ソチ
  • テムリューク
  • スロヴャンスク=ナ=クバーニ
  • アルマヴィール
  • ネヴィンノムィースク
  • トゥアプセ
  • アナパ

関連項目[編集]

この名称を持つものには、以下のようなものがある。

  • クバーニ川 – スターヴロポリ地方およびクラスノダール地方を流れる川。
  • FCクバン・クラスノダル – ロシアのサッカークラブ。ソ連時代の1928年に設立された。
  • クバン州 – ロシア帝国の行政区の一つ。
  • 航洋砲艦クバーニ – ロシア帝国で建造された砲艦。
  1. ^ Древнее сердце Тмутаракани обрушивается в море

参考文献[編集]

  • (日本語) 『ポーランド・ウクライナ・バルト史 』/ 伊東孝之,井内敏夫,中井和夫. 山川出版社, 1998.12. (新版世界各国史 ; 20)

外部リンク[編集]