時疾風秀喜 – Wikipedia
時疾風 秀喜(ときはやて ひでき、1996年8月25日 – )は、宮城県栗原市(旧栗原郡瀬峰町)出身で、時津風部屋所属の現役大相撲力士。本名は冨栄 秀喜(とみえ ひでき)。身長178.0cm、体重125.0kg、血液型はO型[1]。最高位は東幕下4枚目(2021年5月場所)。
小学校2年生の時に、同級生より体が大きいという理由で勧誘され、地元の瀬峰少年相撲クラブで相撲を始めた[2]。小学生時代はサッカーとバレーボールもやっていたが、中学校進学後は相撲部の活動日の都合で他のスポーツはやめ、相撲に専念することになった[2]。中学生の頃から小牛田農林高校の合宿に参加しており、中学校卒業後は同高校に進学[2]。3年時にインターハイ相撲競技3位[3]。高校卒業後は、教員になることを志して東京農業大学に進学したが、3年次に全日本選手権でベスト16に進出したことや[4]、同学年に当たる翠富士と錦富士が近畿大学を中退して角界入りしていたことに刺激を受けて[2]、大相撲入りを検討するようになった。4年次は全国選抜十和田大会3位[5]、学生選手権個人32強を経験した後、大学時代最後の大会となった全日本選手権は予選落ちとなったが、このことがかえって大相撲入門への決意を固めるきっかけとなった[2]。
大学卒業後は時津風部屋に入門し、2019年3月場所で初土俵を踏んだ[1]。前相撲には本名で出場したが、新序出世のタイミングで改名し、四股名は「時栄」になった[1]。初土俵の同期に北の若、吉井らがいる。初めて番付に名前の載った5月場所は2番相撲で北の若に敗れて6勝1敗。序二段に上がった翌7月場所では、4番相撲で前場所敗れた北の若に、7番相撲では幕内経験者の誉富士に勝利して序二段優勝を果たした[6]。三段目も6勝1敗で1場所で通過して、同年11月場所で新幕下に昇進。幕下でも勝ち越しを続けたが、幕下1桁台の東7枚目まで番付を上げた2020年9月場所では幕下上位の壁に当たって、入門以来初の負け越しとなった[2]。翌11月場所からはまた勝ち越しが続いており、東幕下15枚目の2021年3月場所では1番相撲から6連勝として、最後の7番目に勝って7戦全勝とすれば新十両昇進が確実となるところだったが[7]、三役経験者の阿炎に敗れて6勝1敗となり、十両昇進と幕下優勝を逃した[8]。最高位を更新して臨んだ翌5月場所からは負け越しが続き、同年9月場所は左太腿の肉離れにより途中休場[9]。右膝内側靭帯も損傷していたが、翌11月場所で復帰し、5勝2敗と勝ち越した[9]。2022年3月場所から四股名を「時疾風」に改名した[10]。
- 同部屋の大畑は小・中・高校の同級生である。大相撲入門後は、同部屋で同学年の将豊竜や、2020年7月に中川部屋から移籍し同部屋の所属となった同期生の吉井らへのライバル意識を持っている[2]。
主な成績[編集]
通算成績[編集]
2022年3月場所終了現在
- 通算成績:72勝44敗3休(18場所)
各段優勝[編集]
- 序二段優勝:1回(2019年7月場所)
場所別成績[編集]
一月場所 初場所(東京) |
三月場所 春場所(大阪) |
五月場所 夏場所(東京) |
七月場所 名古屋場所(愛知) |
九月場所 秋場所(東京) |
十一月場所 九州場所(福岡) |
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2019年 (平成31年 /令和元年) |
x | (前相撲) | 東序ノ口15枚目 6–1 |
西序二段44枚目 優勝 7–0 |
東三段目44枚目 6–1 |
東幕下56枚目 5–2 |
2020年 (令和2年) |
西幕下39枚目 5–2 |
東幕下24枚目 4–3 |
感染症拡大 により中止 |
西幕下17枚目 5–2 |
東幕下7枚目 2–5 |
西幕下23枚目 4–3 |
2021年 (令和3年) |
西幕下18枚目 4–3 |
東幕下15枚目 6–1 |
東幕下4枚目 3–4 |
東幕下6枚目 3–4 |
東幕下10枚目 0–4–3 |
東幕下45枚目 5–2 |
2022年 (令和4年) |
東幕下30枚目 3–4 |
西幕下41枚目 4–3 |
x | x | x | x |
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 – 十両 – 幕下 – 三段目 – 序二段 – 序ノ口 幕内序列:横綱 – 大関 – 関脇 – 小結 – 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
- 時栄 秀喜(ときさかえ ひでき)2019年3月場所 -2022年1月場所
- 時疾風 秀喜(ときはやて ひでき)2021年3月場所 –
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