パブロ・ラライン(スペイン語: Pablo Larraín, lah-rah-EEN, 1976年8月19日 – )は、チリ・サンティアゴ・デ・チレ出身の映画監督・脚本家・映画プロデューサー。 青年期[編集] 父親は独立民主連合選出の上院議員であるエルナン・ラライン(スペイン語版)、母親はセバスティアン・ピニェラ政権で住宅・都市大臣を務めたマグダレーナ・マッテ(スペイン語版)である。ララインは1976年8月19日にサンティアゴ・デ・チレに生まれ、サンティアゴのチリ芸術科学情報通信大学(英語版)で視聴覚コミュニケーションを学んだ。 映画製作[編集] ララインは彼の作品の映画事業や広告事業を展開しているファブラ社の共同創設者である[1]。2005年には初の長編映画『Fuga』を監督し、2006年3月に公式に公開された。この作品はカルタヘナ映画祭やマラガ映画祭などで受賞し、ララインは国際的な名声を得た[2]。2作目の『トニー・マネロ(英語版)』でも国際的な成功を継続させた[3]。この作品は2008年の最優秀チリ映画賞を受賞し、日本では2008年の第5回スペイン・ラテンアメリカ映画祭(現・ラテンビート映画祭)と2013年の第10回ラテンビート映画祭で上映された[4]。 2012年にはガエル・ガルシア・ベルナルを主演に据えて、1988年にチリで行われた国民投票(英語版)のキャンペーンを描いた『NO』を監督した。この国民投票はアウグスト・ピノチェト独裁政権の是非を問う国民投票であり、ガルシア・ベルナルはピノチェト反対派のCMを製作する広告マンを演じている。この作品はカンヌ国際映画祭の監督週間で上映され[5][6]、アートシネマ賞を受賞した[7]。第85回アカデミー賞では外国語映画賞チリ代表作品となり[8][9]、本戦ノミネートも果たした。日本では2012年の第25回東京国際映画祭のコンペ部門に出品され、2013年の第10回ラテンビート映画祭で上映、2014年8月30日には一般劇場公開された[9]。 2011年から2013年にはHBOラテンアメリカが制作したテレビドラマ『Prófugos』の共同監督を務めた[10]。2013年には第70回ヴェネツィア国際映画祭の審査員を務めた[11]。 2014年3月24日、The Wrapはララインがアメリカ映画『スカーフェイス』のリメイクを交渉中であると報じた。リメイク版は現代のロサンゼルスを舞台とし、地下犯罪組織でのし上がるメキシコ移民を中心に展開するという[12]。2015年に製作した『ザ・クラブ』は、ベルリン国際映画祭で審査員グランプリを受賞した。日本では第12回ラテンビート映画祭(2015年)で上映された[13]。2016年1月の第73回ゴールデングローブ賞では外国語映画賞にノミネートされた。 政治思想[編集] 右派の政治家である両親の下に生まれたが、彼が監督した作品の中で右派に通じるものはない。ララインは1970年代から1990年代に独裁体制を築いたピノチェト政権の熱心な反対者である。ララインは2008年に、「ピノチェト政権内の右派は過去数十年間にチリの文化面に起こったことに対する直接の責任がある。文化を破壊したり、拡散を制限しただけではない。著作家や芸術家の迫害を通じてもだ」と述べている。ララインは、「チリではほぼ20年間に渡って、芸術性そのものを表現できなかった」「世界中の右派はたいして芸術に興味を持っていない。芸術の知識を持ちあわせないと、最大限に活用したり楽しんだりするのは難しい」とも述べた[14]。 家族[編集] 2006年12月9日にチリ人女優のアントニア・セヘルス(スペイン語版)と結婚した[15]。2008年に長女が[16]、2011年に長男が生まれた。 フィルモグラフィー[編集]
Continue reading
Recent Comments