Month: March 2019

内閣サイバーセキュリティセンター – Wikipedia

内閣サイバーセキュリティセンター(ないかくサイバーセキュリティセンター、英: National center of Incident readiness and Strategy for Cybersecurity[1]、略称:NISC)は、2015年1月9日に日本国政府が内閣官房に設置した組織。前身は、2000年に設置の内閣官房情報セキュリティ対策推進室(ないかくかんぼうじょうほうセキュリティたいさくすいしんしつ)を2005年に改組して設置された内閣官房情報セキュリティセンターである。 前身の内閣官房情報セキュリティセンターは2005年4月25日、さらにその前身である情報セキュリティ対策推進室の機能を強化して設置され、IT戦略本部の「情報セキュリティ政策会議」とともに日本の情報セキュリティ対策として中心的な役割を果たした。情報セキュリティ政策会議は、2005年5月30日にIT戦略本部令により日本政府が設置を決定した会議(それに伴い、「情報セキュリティ対策推進会議」を廃止)であり、第1回の会合は2005年7月14日に開催された。 情報セキュリティセンターには5つのチームが設けられ、クラッカー (コンピュータセキュリティ)対策の立案、国際会合のFIRSTへの参加、政府機関情報セキュリティ対策統一基準群の作成、サイバー攻撃の未然防止、ライフラインである重要インフラの防護など、官民一体となって取り組むものとされた。 2015年1月9日、サイバーセキュリティ基本法の施行に伴い内閣に「サイバーセキュリティ戦略本部」が設置され、同時に、内閣官房に従来の内閣官房情報セキュリティセンターを改組して「内閣サイバーセキュリティセンター」が設置された[2]。 JPCERT/CCと共に、日本における実質的なナショナルCSIRTの役割を果たしている[3]。 2015年5月8日、日本年金機構のパソコンのウイルス感染が確認された際に、情報端末の異常に気付き、機構側に通報した。だが、通報を受けた機構側の対応がずさんだったため、被害が拡大し、約125万件の情報が流出する結果となった[4](詳しくは、年金管理システムサイバー攻撃問題参照)。 所掌事務[編集] 内閣官房組織令(昭和32年政令第219号)第4条の2に定める所掌事務は以下のとおりである。 情報通信ネットワーク又は電磁的記録媒体(電子的方式、磁気的方式その他人の知覚によつては認識することができない方式で作られる記録であつて、電子計算機による情報処理の用に供されるものに係る記録媒体をいう。)を通じて行われる行政各部の情報システムに対する不正な活動の監視及び分析に関すること。 行政各部におけるサイバーセキュリティ(サイバーセキュリティ基本法(平成二十六年法律第百四号)第二条に規定するサイバーセキュリティをいう。以下この項において同じ。)の確保に支障を及ぼし、又は及ぼすおそれがある重大な事象の原因究明のための調査に関すること(内閣情報調査室においてつかさどるものを除く。)。

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平壌直轄市 – Wikipedia

座標: 北緯39度01分55秒 東経125度45分14秒 / 北緯39.031859度 東経125.753765度 / 39.031859; 125.753765 平壌直轄市(ピョンヤンちょっかつし、朝: 평양직할시 , 英: Pyongyang Directly Governed City)は、朝鮮民主主義人民共和国の首都であり、国内最大の都市である[3]。 朝鮮八道では平安道、十三道制では平安南道に属するが、同国の行政区画においては道に属さず、道級の直轄市となっている。 平壌市(衛星画像) 平壌準平原に位置し、北と東と西は平安南道、南は黄海北道に接する。北朝鮮の政治と経済の中心地であり、軽工業、重工業など工業が盛んである。

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コッペリア – Wikipedia

この項目では、バレエ作品について説明しています。小惑星については「コッペリア (小惑星)」をご覧ください。 『コッペリア』(Coppélia)は、動く人形を題材としたバレエ作品、およびその人形の名前。音楽はレオ・ドリーブ、振り付けはアルテュール・サン=レオン。原題は『コッペリア、あるいは琺瑯質(エナメル)の目をもつ乙女』(Coppélia, ou la Fille aux yeux d’émail)である。 初演での主役スワニルダは当時16歳のジュゼッピーナ・ボツァッキ、フランツは美人バレリーナとして有名だったウジェニー・フィオクルが男装して演じた[1]。 パリ・オペラ座で1870年5月25日に初演された。E.T.A.ホフマンの物語『砂男』にヒントを得たもので、台本はサン=レオン自身とシャルル・ニュイッテルによる。『砂男』は人形に恋した男の狂気性を前面に押し出した物語であるが、『コッペリア』はその狂気性を抑え、陽気で明るい喜劇として再構成されている。 タイトルはコッペリアであり、バレエ作品では人形のコッペリアやコッペリウス博士は重要な役ではあるが、あくまで主役はスワニルダとフランツである。 登場人物[編集] スワニルダ:村の娘、フランツの恋人 フランツ:村の青年、人形と知らずにコッペリアに恋をする コッペリウス:コッペリアを造った博士 コッペリア:コッペリウス博士が造った自動人形 友人たち:スワニルダの友人たち、スワニルダとともにコッペリウス邸に忍び込んだり、さまざまなシーンでスワニルダと行動を共にする あらすじ[編集] フランツ(左)とスワニルダ(右)

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孤島のマチウシ一世 – Wikipedia

孤島のマチウシ一世王(ポーランド語:Król Maciuś na wyspie bezludnej)は、1923年に最初に出版されたヤヌシュ・コルチャックの児童文学作品である。[1] これは、『マチウシ一世』の続編で、若い王の流刑を描いている。 心理学者は、両親の病気と死の後に王に戴冠した、怒った敏感な子供の王子の姿を描いている。幼い王は、生きることを通して、そしてさまざまな相談相手や教師からの個別の授業によって学んでいく。マット王の学習は、最初は非公式であり、怒りと強い想像力によって動機付けられている。 しかし、マットの学習スタイルは分析的になり、時間が経つにつれて、彼は触媒の働きをする人に、支援者に、そして原動力となっていく。 この本は、1923年に”Król Maciuś na wyspie bezludnej”のタイトルでポーランド語で最初に出版された。1990年まで英語に翻訳されていなかった。Joanna Pinewood Enterprisesによる1990年10月の英語版は、Little King Matty …とDesertIsland(ISBN 1-871-424-01-1)として公開された2つのストーリーを組み合わせた、オリジナルからの簡略化された翻訳である。この版はAdam Czasak博士によって翻訳され、Kzrysztof

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田中琴乃 – Wikipedia

この項目では、新体操選手について説明しています。同姓同名の名義も使用している作詞家については「コトノ」をご覧ください。 田中 琴乃(たなか ことの、1991年8月18日 – )は大分県別府市出身の元新体操選手。2008年北京オリンピック代表(新体操団体)。 別府市立西小学校[1](現・別府市立山の手小学校[2])、別府市立山の手中学校[1][3]、日本女子体育大学附属二階堂高等学校、日本女子体育大学[4]卒業。 身長167cm[4]、体重48kg[4]。松永RG出身。株式会社ポーラ 宣伝部PR担当を経て、現在はフェアリージャパンPOLA公式アンバサダー。 5歳から新体操を始める。2006年12月より新体操日本代表に加入。2007年、2009年~2011年世界新体操選手権代表(団体)。2008年北京オリンピック代表(新体操団体)。2012年ロンドンオリンピック代表(新体操団体)。2010年よりフェアリージャパンキャプテンを務めた。 ロンドン五輪後にフェアリージャパンを卒業し、個人の選手として活動していた。 2013年、現役を引退。2014年、株式会社ポーラに入社。美容研究室を経て、2015年に宣伝部PR担当となる。またフェアリージャパンPOLAの美容コーチとして選手のメイクにも携わっていた。 2018年よりフェアリージャパンPOLA公式アンバサダー。 主な試合結果[編集] 2006年 全国中学校体育大会 個人総合2位 2006年 全日本ジュニア選手権 個人総合優勝

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高専ロボコンの変遷 – Wikipedia

この記事には独自研究が含まれているおそれがあります。問題箇所を検証し出典を追加して、記事の改善にご協力ください。議論はノートを参照してください。(2010年5月) 高専ロボコンはテーマが毎回異なるのが特徴の一つである。テーマだけではなく競技ルールや大会運営もテーマと大会の発展、高等専門学校の事情に伴って変化してきた。 大会規模[編集] 参加校数と参加チーム数[編集] 第1回、第2回大会までは参加を希望した高専の内、書類審査を通過した高専が出場した。第3回大会「ニュートロンスター」から参加校数を全国の高専に広げ、地区大会はなかったが、全国大会本選の前に予選が行われた。第4回大会から地区大会が開始され、1校から1チームから1校2チームの参加になった。第4回「ホットタワー」と第5回「ミステリーサークル」のチーム数が参加校数の2倍ではないのは、旧熊野高専(現近畿大学高専)が1チームのみの参加だったからである。何らかの事情により1チームのみの参加の高専やキャンパスが稀ある。 第6回大会から第16回大会まで同じ参加校数と参加チーム数で推移したが、第17回大会以降は沖縄高専の開校、高専の合併や廃止により参加校数とチーム数が増減した。2006年第19回大会の「ふるさと自慢特急便」から都立産業技術高専が出場しているが、旧都立工業高専の品川キャンパスとして2チーム、旧都立航空高専の荒川キャンパスとして2チームが出場しており、1校から4チームも出場している。2009年の第22回大会以降は以下の高専が合併して1校2キャンパスから4チームが出場することとなった。 仙台高専 広瀬キャンパス(旧仙台電波高専) 名取キャンパス(旧宮城高専) 富山高専 本郷キャンパス(旧富山高専) 射水キャンパス(旧富山商船高専) 香川高専 高松キャンパス(旧高松高専) 詫間キャンパス(旧詫間電波高専) 熊本高専 熊本キャンパス(旧熊本電波高専) 八代キャンパス(旧八代高専) 第33回大会では、新型コロナウイルス感染症流行の影響を加味し、出場の有無は各校の判断に委ねられ、各高専またはキャンパスから最大4チームが地区大会に参加できた。 全国大会のエキシビジョン試合に参加する機会が与えられることがあるため、参加校数と参加チーム数が若干増加する大会がある。

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排気量 – Wikipedia

この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。出典検索?: “排気量” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2019年8月) 排気量 (はいきりょう)とは、内燃機関の燃焼行程に関わる容積の大きさを示す数値で、エンジンの性能指標のひとつである。単位は立方センチメートル (cm³) であるが、慣習的にリットルを用いたり、日本国外では立方インチを使用するケースもある。 排気量とはいうが、実際の排気の体積量ではなく後述する通り行程容積とシリンダー(気筒)数との積であり、表現としては一般的ではないが「総気筒容量」のことである。燃焼室の容量は加味しない。ちなみに実際の排気の体積量は、当然のことながら行程容積とシリンダー(気筒)数との積を上回る。 一般には排気量が大きくなるにしたがって、単位時間あたりの燃焼する燃料が多くなるため、エンジンのトルクおよび出力は増加する傾向にある。反対に燃費は悪化する傾向があるが、機械損失(主に摩擦)やパワーバンド、エンジン設計の関係上、小排気量エンジンが必ずしも低燃費であるわけではない。 エンジンのシリンダー内でピストンが上下する範囲の体積を行程容積といい、この値とシリンダー(気筒)数との積が総排気量となる。内径 (ボア) をd (mm)、行程 (ストローク→ピストンが動く距離)

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藤田峰雄 – Wikipedia

藤田 峰雄(ふじた みねお、11月28日 – )は、日本のプロレスラー。生年非公表[1]。 小中学生の頃からプロレスに興味をもち始め、高校時代にプロレスラーになることを決意。体格はクラスで一番小さく細かったが、ウエイトトレーニングを始め成長を遂げる。高校に通いながらシューティングジム大宮やアニマル浜口トレーニングジムでトレーニングを積む。高校卒業後、アルバイトをしながらジムに通い続け、2000年4月にみちのくプロレスの入門テストを受け合格するも、一週間で合宿所から夜逃げをする。 2001年4月には大阪プロレスの入門テストを受け(15人中1人合格) 入門するが、こちらは1ヶ月で退団している[2]。 それでもプロレスラーになる夢は諦めず、2002年8月に、ハヤブサやミスター雁之助が立ち上げた新団体WMFの第一期入門テストに合格して同月に入門。11月10日、WMFバトルスフィア東京大会における対大矢剛功戦でデビュー。身体能力の高さでプロレス業界では異例の入門から僅か三ヶ月でのスピードデビューを果たした。WMF生え抜き第1号レスラーとなる。なお翌年の二期生として宮本裕向などが入門している。 2005年11月から12月、アメリカ合衆国ペンシルベニア州のIWCへ遠征。 2008年8月にWMFは解散し、以後フリーとして活動。ドラディションを主戦場に覆面MANIA、暗黒プロレス組織666など数々の団体で活動。その後、新日本プロレス、全日本プロレス、プロレスリング・ノアなど、インディーからメジャー団体まで、日本の主要プロレス団体には全て参戦している。 12月26日、新日本プロレス主催「PREMIUM」後楽園ホール大会のセミファイナルにて、獣神サンダー・ライガー&AKIRA対ウルティモ・ドラゴン&藤田峰雄戦が行われた。 2009年10月、ドラディションのリングで大原はじめを破り、NWAインターナショナルジュニアヘビー級王座を奪取。 12月の初防衛戦では南野タケシを相手に30分を越える激戦を制し防衛成功している。 その後、チャンピオンとして藤波辰爾と一騎討ちで対戦するなど、ドラディションでは欠かせない存在になる。 2011年3月、覆面レスラー「美熊」としてZERO1に参戦。5月、マスクを自ら脱ぎ、リング上でZERO1入団を直訴して社長の大谷晋二郎から了承される。 2012年2月、後楽園ホール NWAインターナショナルライトタッグ選手権に乱入して日高郁人に裏切りのスワントーンボムを投下。ZERO1に反旗を翻し菅原拓也と結託。その後、ヒールに転向。同年5月、ヒール軍に第64代横綱 曙 が加入して『ZERO64』を結成する。

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浅草郵便局 – Wikipedia

浅草郵便局(あさくさゆうびんきょく)は、東京都台東区西浅草に位置する郵便局である。民営化前の分類では集配普通郵便局であった。 住所:〒111-8799 東京都台東区西浅草1-1-1 併設施設[編集] 分室[編集] 分室はなし。過去に存在した分室は以下のとおり 1872年(明治5年)旧3月 – 浅草郵便取扱所として浅草並木町に開設[1]。 1872年(明治5年)旧6月 – 浅草並木郵便仮役所となる[1]。 1874年(明治7年)7月 – 浅草並木郵便役所となる[1]。 1875年(明治8年)1月1日 – 浅草並木郵便分局となる[1]。 1875年(明治8年)5月2日 –

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