サントゥラリー (ジロンド県) – Wikipedia

サントゥラリーSainte-Eulalie、ガスコーニュ語:Senta Eulàlia)は、フランス、ヌーヴェル=アキテーヌ地域圏、ジロンド県のコミューン。旧名をサントゥラリー・ダンバレス(Sainte-Eulalie d’Ambarès)といった。

コミューンは、ガロンヌ川とドルドーニュ川に挟まれたアントル・ドゥー・メール地区(fr)の北に位置し、ボルドー都市地域とボルドー都市単位に含まれている。

フランス国鉄のシャルトル-ボルドー線が通る。

コミューンの名は、聖ウラリーに捧げられた教区の名からきている。聖ウラリーは、304年に殉教した『メリダの乙女』である。

かつてモンフェラン家とアリエノール・ダキテーヌの保護下にあったサントゥラリーは、19世紀末までサントゥラリー・ダンバレスと呼ばれていた。モンフェラン家が推進して1141年にシケールによって建てられたボンリュー修道院は、農地の開発を始めた。修道院はワイン生産で名声を得て、未来のコミューンに今日まで続いているワイン生産の基盤を与えることになった。しかし1960年代以降、サントゥラリーは土地分譲による都市化の最初の波を経験し、それらは2000年代以降激しさを増し、住宅地や道路に利用されるため、ブドウ畑や牧草地は消滅していった。2009年以来、コミューンは都市再生局と協力して都市高密化計画に取り組んでいる。2013年には社会福祉住宅を含む多くの住宅が引き渡され、クロ・ド・コス、サバレットなどヨーロッパをほうふつとさせる名前の新しい地区が誕生した。

人口統計[編集]

2016年時点のコミューン人口は4547人で[1]、2011年時点の人口より1.62%減少した。

1962年 1968年 1975年 1982年 1990年 1999年 2010年 2016年
1139 1953 2633 3365 3930 4189 4632 4547

参照元:1962年から1999年までは複数コミューンに住所登録をする者の重複分を除いたもの。それ以降は当該コミューンの人口統計によるもの。1999年までEHESS/Cassini[2]、2006年以降INSEE[3][4]

  • ゲローの塔
  • サントゥラリー教会 – 教会の半円形の後陣は11世紀に建設された最古の部分であり、シュヴェのモディヨン(fr、コーニス、軒、バルコニーを支える建築要素)は槌で打たれた。

姉妹都市[編集]