宇宙旅行 – Wikipedia

宇宙旅行(うちゅうりょこう、英語: Space tourism)とは、国家の政策や、国際機関を含めた公的組織による科学的研究を目的とした宇宙開発と対比して、観光や非日常的な体験といった専ら個人的な興味関心のために宇宙空間へ赴く行為で[1]、「宇宙飛行士の気分を味わえる旅行」[2]である。

2021年時点で数十億円という高額な費用の負担を求められるが、公的な宇宙開発機関に選抜されていない個人でも、短期間であれば宇宙やそれに近い成層圏上部に到達することが可能となっている[1]

SF小説では、1865年にジュール・ヴェルヌによってDe la Terre a la Lune(「地球から月へ」という意味の題名。日本語訳『月世界旅行』)が書かれ多くの読者を得た。現在に至るまで、宇宙旅行はSF映画や漫画を含めて、様々なフィクション作品のテーマになっている。

現実の行動として、出資者や目的に関わらず“人類が宇宙を旅する” という広義の宇宙飛行まで含めるならば、1961年4月12日にソビエト連邦のユーリイ・ガガーリン少佐がボストーク1号に乗り地球を1周する108分の旅が、初の有人宇宙飛行である。彼は「地球は青かった」という言葉を残した。これはあくまで国家政策によって行われた宇宙開発の一環である。その後にソ連およびアメリカ合衆国の宇宙開発によって行われた一連の有人宇宙飛行も同様であり、本記事が指す「宇宙旅行」とはいささか意味が異なっている。

個人的な関心によって行われた初の費用自己負担の宇宙旅行は後述するように、2001年にアメリカの大富豪がロシア連邦の宇宙船「ソユーズ」の定期便に乗せてもらう形で実現した。

2010年代になると、アメリカを中心とする多くの民間企業が、宇宙飛行士に必要な長期訓練を不要・短縮し[注 1][1]、海外旅行に近い感覚で宇宙空間に滞在し帰還できることを目指し、技術開発が活発化している[1]。また民間企業の新規参入により技術革新が促進され、NASAなどの公的機関も新型宇宙船の早期実現など恩恵を受けることとなった[3]

民間初の宇宙飛行者[編集]

1990年12月2日にソビエト連邦のソユーズTM-11に搭乗、宇宙ステーションミールに9日間滞在したTBSの秋山豊寛は、長期間にわたる訓練の後、世界で初めて宇宙空間に到達したジャーナリストであり、日本人初の宇宙飛行を体験した人物であるが、費用はTBSが出し、「報道」というミッションを課せられた「宇宙特派員」として派遣された。また研究機関などから依頼された科学実験も行ったことから単なる旅行者とは異なる。

予定では、日本人初の宇宙飛行として宇宙開発事業団に所属する毛利衛が秋山より先に宇宙へと旅立つ事となっていた。しかし、チャレンジャー号爆発事故の影響で毛利のフライトが延期され、結果として日本人初の宇宙飛行は民間人である秋山となった。秋山は報道以外にも睡眠実験などの科学実験に参加し、1990年12月1日に国家審査委員会から宇宙飛行士の承認を受けているが、一方で彼は民間企業のスポンサーによって宇宙飛行を果たした人間の1人であることは間違いなく、その意味で彼は日本人初の宇宙飛行士にして民間初の宇宙飛行者である[1]。なお旧ソ連の宇宙飛行士の資格は、ロシア連邦となった現在でも有効である。イベントではあるが、2021年にISSを訪れた前澤友作はUber Eatsと共同で宇宙飛行士用の食料を配達するという「ミッション」やオールナイトニッポンへの出演を行っている[4][5]。また同行した平野陽三も撮影係を担当している。

宇宙旅行用の宇宙船を操縦するために民間企業に雇用された宇宙飛行士の扱いについては不明である。2021年現在はロシアの正式な宇宙飛行士が操縦を担当している[1]

「宇宙旅行」第1号[編集]

「民間人が必要経費の全額を自己負担する」という条件で宇宙旅行に旅立った世界初の例は、スペースアドベンチャーズ社がロシア宇宙局と契約を仲介することで実現した、アメリカの大富豪デニス・チトーによるものである。彼は国際宇宙ステーション (ISS) に人員と物資を補給するソユーズの定期便でバイコヌール宇宙基地から旅立ち、2001年4月28日から5月6日までISSに滞在した。それに続き、2002年には南アフリカ共和国の実業家マーク・シャトルワースが宇宙旅行を実現している。

コロンビア号の事故からも分かるように、2000年代においても宇宙開発には危険が伴ううえ、最低数十億円(宇宙飛行士の訓練費、ロケットの打ち上げ費用など)の負担を要するため、民間人も気軽に宇宙旅行ができるとは言い難く、2度の宇宙旅行を経験したチャールズ・シモニーを例とすれば、「1度目(2007年)は2,500万ドル(約25億円)、2度目(2009年)は3,500万ドル(約35億円)かかった」旨を語っている[6]

当時ロシアは国家経済の事情で民間企業にソユーズの座席を売ることで打ち上げ資金を確保していた状況にあった[3]。宇宙旅行に消極的なアメリカ航空宇宙局(NASA)も、宇宙開発への資金が制限されていた中でコロンビア号の事故以来、ISSの維持に必要な物資の輸送をソユーズに頼っていたことから、間接的に宇宙旅行ビジネスの恩恵を受けていた。またNASAは以降も座席の販売には消極的であったことから、アメリカでは純粋なビジネス目的の宇宙ベンチャー企業が主導したことで宇宙旅行ビジネスが活発化した[1]

宇宙旅行者一覧[編集]

※ISSに滞在した者のみ、弾道飛行(サブオービタル飛行)による数十分の旅行は含めない。なお、ISSへの飛行予定が公表されながら実行できなかった人物として榎本大輔[7][8]、サラ・ブライトマン[9]、高松聡[10]がいる(ブライトマンのバックアップだった高松については、ブライトマンが辞退したことで「バックアップクルー」という立場を失い、訓練を満了しても宇宙飛行士認定を受けられなかったことが明らかになっている[11])。

民間宇宙船の開発状況[編集]

米国の旅行会社「ゼグラム社 (ZEGRAHM)」は、ジェット機の背に搭載されたロケットプレーンを高度16kmで切り離し、そこからはロケットエンジンで高度100kmまで上昇し、地球を見ながら弾道飛行による2分半の無重力状態を体験できるという宇宙旅行を企画した。

1998年、ペプシコーラを日本で販売するサントリーは、「2001 SPACE TOURS PEPSI」と銘打ち、懸賞でこのゼグラム社のロケットプレーンの搭乗券をプレゼントするという世界初のキャンペーンを行った[12][13]。当初は2001年に実現予定であったが、ロケットプレーンの開発及び認可取得が遅れ、2003年にはゼグラム社が資金繰りの悪化から宇宙船の開発に着手できない状態に陥った。キャンペーンは無期限延期とされ、懸賞当選者の権利はスペース・アドベンチャーズ社に引き継がれた[14][15]。当選者5名のうち4名が宇宙旅行を辞退して賞金1000万円を獲得し、残りの1名が引き続き宇宙旅行を希望していることが、2013年に確認されているが[14]、その後の動向は不明である。

1996年に、民間による宇宙船開発に対する賞金制度であるX-prizeが発足した(2004年、Ansari X Prizeに名称変更)。 3人以上の乗員(乗員1名と、2名の乗員に相当する重量のバラストでも可)を高度100km以上の弾道軌道に打ち上げ、さらに、2週間以内に所定の再使用率を達成し、同じ機体で再度打ち上げを達成した非政府団体に賞金1000万ドルが送られるというものである。地球一周旅行をはじめ、多くの長距離旅行の壁は資本家による賞金制度をきっかけに実現されてきたが、X-prizeは資金面のみならず、法律面でも発射試験までには煩雑な点が多く、脱落者が続出した。その中でスケールド・コンポジッツ社の有人宇宙船「スペースシップワン」は2004年6月21日に高度100キロの試験飛行に成功し、続けて賞金獲得のための本飛行も2004年9月29日と2004年10月4日に2度目の飛行を行った。9月29日のフライトにおいては一時機体が不安定になるなどのトラブルがあったものの、いずれも乗員1名とバラストを載せた飛行を達成し、同社は賞金を獲得した。

ヴァージングループに設立された宇宙旅行会社「ヴァージン・ギャラクティック」はスペースシップワンからの技術供与を受け、宇宙旅行ビジネスを開始することを発表、同飛行のスポンサーとなった。2012年からのサービス開始を目指しており、スペースシップツーによる宇宙旅行ビジネスの実現を目指す。2005年にはクラブツーリズムがヴァージン・ギャラクティック社の公式代理店となり、日本での販売を開始。最初の宇宙旅行者として100人が世界中から選ばれ、ファウンダーと呼ばれている。日本人では稲波紀明が世界最年少のファウンダーに選ばれている。しかし、計画は遅延中であり、2014年には試験中に墜落事故を起こすなど実現には至っていない。また、ヴァージン・ギャラクティックは「米空軍の規程による宇宙空間」(高度80km以上)を採用していることから一部には「宇宙旅行ではない」という声もある(一般に高度100km以上をもって「宇宙空間」と呼ぶことが多い)。

2017年時点で宇宙旅行を実施または準備中の企業としてはこのほか、スペースX社、ブルーオリジン社、ISS滞在の仲介を計画するアクシオム・スペース社、気球から地球を見下ろすツアーを予定するワールドビュー社などがある。これらの多くはアメリカに本社を置くが、日本でも山崎大地のように宇宙旅行ビジネスに携わる起業家が現れている[16]

2018年12月13日、ヴァージン・ギャラクティクは「史上初の民間宇宙旅行用宇宙船」による宇宙飛行に成功したと発表した。前述のように米空軍が規定する高度80km以上に弾道飛行により到達したものである。なお米国内から出発した有人宇宙飛行の成功は7年ぶり[17]

2021年、宇宙へ行った国の宇宙飛行士は18人に対し、民間の宇宙旅行者は22人となり、旅行者が上回った[1]

スペースXでは2023年に月を周回する旅客宇宙船「スターシップ」に8名を乗せる計画を発表している[1]

公共の利益となる科学実験を伴わず、観光目的でロケットを打ち上げることには環境負荷の観点から批判があり[18]、環境保護活動をに熱心なイギリスのウィリアム王子は、大富豪が宇宙旅行のために資金をつぎ込んでいることを批判し、その資金を地球環境のために使うべきだと主張している[19]

また2021年現在では、宇宙旅行へ行けるのは世界長者番付上位の大富豪のみという現状や、ジェフ・ベゾスなど税逃れが指摘されている資産家が宇宙へ行っていることもあり、経済格差の観点からも批判がある[20][21]。秋山豊寛は多額の費用が必要な現状を踏まえ、宇宙に行って得た「気付き」に基づいた活動がなく単なる旅行であれば格差社会の象徴として見られると指摘している[1]

宇宙旅行会社では宇宙船のペイロードの余裕を使い研究機関の科学機材や[20]、ISSに滞在する宇宙飛行士の食料を搭載するなどしている[4]

SFに描かれた宇宙旅行[編集]

初めて宇宙旅行を描いたSF小説は1865年のジュール・ヴェルヌによる『月世界旅行』である。この作品とハーバート・ジョージ・ウェルズの『月世界最初の人間』(1901年)から着想され、1902年に発表されたジョルジュ・メリエスによる映画も有名である。ヴェルヌの小説の原題は『地球から月へ(De la Terre a la Lune)』、メリエスの映画の原題は『月世界旅行(Le Voyage dans la Lune)』だが、日本では双方とも『月世界旅行』となっている。また、ヴェルヌの小説には、後編にあたる『月世界探検』(原題『月めぐり(Autour de la Lune)』(1869年)がある。ヴェルヌは270mの巨大な大砲を用いて宇宙空間に到達する方法を比較的に科学的説得力のある内容で描いており、赤道付近に発射場を設置することなど、一世紀以上先に実現されることになる宇宙開発の基礎をいくつかの点で言い当てている。

アーサー・C・クラーク原作の映画『2001年宇宙の旅』でも、地球から月に向かう宇宙旅行が描かれている。ロケットプレーン(パン・アメリカン航空のオリオン号)で地球軌道上の宇宙ステーションにランデブーした後、月着陸船に乗換え、月に向かうというものだが、宇宙での機内食、客室添乗員の履くグリップシューズ、宇宙トイレなど、綿密な科学考証のもと、宇宙旅行の様子が詳細に描かれている。

一方、宇宙旅行をより簡便な物にする手段として、静止衛星と地上とをケーブルで結ぶ軌道エレベータが考案され、クラークの『楽園の泉』はじめ多くのSF作品で採り上げられた。現在は実現に向けた動きも見られる様になっている。

脚注、出典[編集]

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  1. ^ 宇宙飛行士はフライト中に個人の専門分野の科学実験を行う他、宇宙船のオペレーションなども分担するため様々な訓練が必要である。

出典[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]