住宅・都市整備公団2000形電車 – Wikipedia
住宅・都市整備公団9000形電車 | |
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9000形電車(改番後) |
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基本情報 | |
運用者 |
住宅・都市整備公団 →都市基盤整備公団 →千葉ニュータウン鉄道 |
製造所 | 日本車輌製造 |
運用開始 | 1984年3月19日 |
運用終了 | 2017年3月20日 |
主要諸元 | |
編成 |
6両編成(登場当初) 8両編成(1990年以降) |
軌間 | 1,435 mm |
電気方式 |
直流1,500 V (架空電車線方式)[1] |
最高運転速度 | 105 km/h[1] |
設計最高速度 | 120 km/h |
最高速度 | 105 km/h |
起動加速度 | 2.8 km/h/s(空車から2倍定員まで)[1] |
減速度(常用) | 4.0 km/h/s(空車から2倍定員まで)[1] |
減速度(非常) | 4.5 km/h/s(空車から2倍定員まで)[1] |
編成定員 |
840人(登場当初)[1] 1120人(1990年以降)[1] |
車両定員 |
先頭車:140人(うち座席定員48人)[1] 中間車:140人(うち座席定員56人)[1] |
自重 |
27.5 t(制御車、登場当初) 34.5 t(集電装置あり電動客車、登場当初) 34.0 t(集電装置なし電動客車、登場当初)[1] |
編成重量 | 192 t[1] |
編成長 |
108 m(登場当初) 144m(1990年以降)[1] |
最大寸法 (長・幅・高) |
18,000 mm(連結面間長さ)× 2,830 mm(車側灯間幅)× 4,040 mm(冷房装置上面高さ) 18,000 mm × 2,830 mm × 40,50 mm(パンタグラフ折りたたみ高さ)(集電装置あり車両)[1] |
台車 |
KHS-001[1](制御客車) KHS-101[1](電動客車) |
駆動方式 | WN平行カルダン駆動方式 |
歯車比 | 16:85(5.31) |
制御装置 | 界磁チョッパ制御 |
制動装置 | 応荷重装置付回生ブレーキ併用電磁直通空気ブレーキ 、保安ブレーキ付、HSC-R[1] |
備考 | 整備・管理は北総鉄道に委託 |
住宅・都市整備公団2000形電車(じゅうたくとしせいびこうだん2000がたでんしゃ)は、1983年(昭和58年)に登場した[2]通勤形電車である。
その後の経緯から、2013年(平成25年)の時点では千葉ニュータウン鉄道9000形電車(ちばニュータウンてつどう9000がたでんしゃ)として千葉ニュータウン鉄道が所有していた。車両の運行・管理は登場時から北総鉄道(登場時は北総開発鉄道)が行っていた。
1984年(昭和59年)の住宅・都市整備公団千葉ニュータウン線(現・北総鉄道北総線)の小室 – 千葉ニュータウン中央間開業に合わせて開発され、1982年(昭和57年)12月[2]に発注され、翌1983年11月から12月にかけて6両編成2本12両が落成した[2]。製造は全て日本車輌製造が担当している。
先述の各線との直通運転の都合、および実際の運用や保守を北総開発鉄道側に委託することから、主要機器は北総7000形と共通の機器が多用されているほか、それ以外の機器においても他社線の車両とできる限り共通のものが採用された[3]一方、省エネルギー化や保守の容易化に貢献するとされた新技術に関しては、信頼性が得られるものを極力採用することになった[3]。
2000という数字が与えられるに至った背景には、直通運転が予定されていた北総・新京成・京成・都営地下鉄浅草線[注 1]各線ですでに使用されていた形式番号を避けるという目的[3]と同時に、「2000年に向かって伸び行くニュータウンの将来を象徴するよう」にという願い[3]もあったという。
車体[編集]
外板のみステンレス製とした全長18 m級のスキンステンレス車体で、客用扉は両開きのものが1両の片側につき3箇所ある。前面部は腰のあたりが張り出した形状で、前面には熱線入り防曇ガラスを採用した[4]。
車体には側面の窓周りと前面の下部に赤と緑の粘着テープをシンボルカラーとして貼り付けている。この粘着テープはA-A基準に適合したものであり、全般検査2回分の期間における耐候性を見込まれたものとなっている[4]。
冷房装置は9008編成(2001編成)は中間増備車を除いて東芝製、9018編成(2002編成)と9008編成の中間増備車は三菱電機製である。集電装置も京急と同一品のPT43形菱形パンタグラフを搭載する。
方向幕は登場当時は行先のみの表示であったが、1993年(平成5年)に列車種別も同時に表示するものに交換され、さらに1997年(平成9年)には北総7000形と同様の表示器(英文字併記、フォントはナール)に交換された。
前面の運行番号表示幕は登場時、運行番号のみの表示で助士側窓下部に設置されていたが、第II期線開業に先立ち列車種別と運行番号を表示するものに変更のうえ位置も助士側窓上部に変更された。その後前述の1993年の方向幕交換で運番幕の種別表示部は使用停止となった。この間、方向幕は行先のみのままで、急行運転を実施する京急線内でも側面は行先しか表示されなかった時期があった。
内装[編集]
室内は、クリーム系のデコラ化粧板に、座席はロングシートであるが先に登場した7000形とは異なり、座面生地を2人用はオレンジ色・4人用はワインレッドとして組み合わせによって座席定員の明確化を狙った。客室側扉の構造は東京都交通局10-000形電車とほぼ共通であるが、客室側の取っ手が10-000形では四角に対し、長円形となっている点が異なる。
扉間の側窓は大・小・大の三分割(大窓が幅880 mm、小窓が幅440 mm)となっており、大窓及び車端部は厚さ5 mmの透明強化ガラス・一段下降式となっているが、中央の小窓は固定式の色つき合わせガラスで、カーテンも設置されていない[4]。これはカーテンを全て降ろした際に車内から駅名標等が見えなくなることを避けるためで、現在のような車内表示器が普及する以前のアイデアである。
走行機器など[編集]
界磁チョッパ制御装置や回生ブレーキ併用電磁直通ブレーキ、マスコン・ブレーキハンドルなどの機器取扱い面は北総7000形と共通である。主電動機は130 kWのものを東洋・三菱の2社より採用し、駆動装置は1990年12月に8両化のため増備した2両を含め全Mユニット共TDカルダンとした。冷房装置および補助電源装置は、北総7000形が集約分散式と電動発電機であるのに対し、当形式では冷凍能力36,000 kcal/h(41.86 kW)のCU71-D1形集中式冷房装置と、GTOサイリスタを用いた出力60 HzのBS482-H形静止形インバータが採用された[1]。
当初の車両番号体系は現在と異なり、帝都高速度交通営団(営団地下鉄、現・東京地下鉄(東京メトロ))などで採用しているものと同様に、百位で号車を、十位と一位で製造番号を表すものであった。将来の10両編成化を視野に入れていた[注 2]ため上り側の車両の百位は”0″で、百位の4・5・8・9は欠番となっていた。当時の編成は以下の通り[1]。
番台 | クハ2100 | モハ2200 | モハ2300 | モハ2600 | モハ2700 | クハ2000 | |
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車種 | Tc | M1 | M2 | M1 | M2 | Tc | 竣工時期 |
番号 | 2101 | 2201 | 2301 | 2601 | 2701 | 2001 | 1983年11月 |
2102 | 2202 | 2302 | 2602 | 2702 | 2002 | 1983年12月 |
以下、本項内で編成を表す場合は「上り側の車両(編成表右側)の番号+編成」表記を用いる。
1990年(平成2年)度に北総7000形と同様、8両編成化用の中間電動車(2400番台・2500番台)が増備され、MT比は6M2Tとなった。これに続いて、翌年の京浜急行電鉄(京急)乗り入れに当たり先頭車の電動車化の要請を受けたことによる制御車の電装化(電動車化)及び一部中間車の電装解除(付随車化)改造、編成中の2600番台車と2700番台車の位置変更・改番が行われている。
2000形 – 番台 (9000形 – 形式) |
モハ2100 (9000) |
モハ2200 (9000) |
サハ2300 (9000) |
モハ2400 (9000) |
モハ2500 (9000) |
サハ2600 (9000) |
モハ2700 (9000) |
モハ2000 (9000) |
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車種 | Tc→Mc2 | M1 | M2→T | M1 | M2 | M2→T | M1 | Tc→Mc2 |
番号 | 2101 (9001) |
2201 (9002) |
2301 (9003) |
2401 (9004) |
2501 (9005) |
2601 (9006) |
2701 (9007) |
2001 (9008) |
2102 (9011) |
2202 (9012) |
2302 (9013) |
2402 (9014) |
2502 (9015) |
2602 (9016) |
2702 (9017) |
2002 (9018) |
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備考 | 8両編成化用増備車 | 元2700番台 | 元2600番台 |
運用の変遷[編集]
1991年(平成3年)の北総開発鉄道(2004年7月1日からは北総鉄道、北総)・京成電鉄(京成)・東京都交通局(都営地下鉄)・京急4社局直通運転開始にあたり、乗り入れ先の京急の車両(2000形)と番号が重複するため、1994年(平成6年)に現在の9000形へと改称された。この際、番号体系は京成3700形電車などで採用しているものと同様の一位で号車番号、百位と十位で製造順位を表すものとなっている。
なお、本形式の登場後しばらくは新京成電鉄(新京成)松戸乗り入れも行われ[注 1]、新京成にも2000番台の形式が存在していた(京成2000形電車を参照)ため、二度の番号重複を経験している。
登場時から1999年(平成11年)9月30日までは住宅・都市整備公団(住都公団)、同年10月1日から2004年(平成16年)6月30日までは都市基盤整備公団(都市公団)が所有し、車両の管理を北総が行っていたが、同年7月1日の都市公団の独立行政法人都市再生機構(UR都市機構)への改組に伴い、同公団保有の鉄道施設および車両が同日から千葉ニュータウン鉄道(京成全額出資で設立された受け皿子会社)に譲渡されたため、千葉ニュータウン鉄道所有・北総管理とされた。登場当時は前面と側面に住都公団のマークが設置されていたが、1999年の都市公団への移行後に前面マークの撤去と側面マークのUDCマークへの交換を実施し、その後2004年の千葉ニュータウン鉄道への譲渡に伴い、側面マークは「北総鉄道」のプレートに交換され、「K’SEI GROUP」ロゴも追加された。
北総管理の編成の中では最後まで新京成乗り入れ時代のSR列車無線アンテナが残っており、2005年(平成17年)4月には、新京成電鉄N800形電車の新車搬入時の牽引車として9008編成が使用され、編成中にN800形(N818編成)を2両ずつ挿入の上くぬぎ山車両基地へ搬入した(増備車は自力回送されている)。
2010年(平成22年)3月27日には「ほくそう春まつり」の開催に合わせて本系列を使用した臨時列車「ほくそう春まつり号」が京成上野 – 京成高砂 – 千葉ニュータウン中央間で9018編成[5]を使用して運転された。北総の車両が京成上野 – 青砥間に入線し、北総線へ直通する列車が営業運転を行うのは2009年(平成21年)3月28日に続いて2度目である[注 3]。
2013年(平成25年)3月1日から9200形(9201編成)が営業運転を開始した。これに伴い、9008編成が同年2月28日をもって営業運転終了し、同年3月1日付で廃車された[6]。そのため、2013年3月以降は9018編成のみが在籍・運用されていた[6]。
その9018編成も2017年(平成29年)3月17日をもって定期運用を終了、3月20日には事前応募による当選者を対象とした「ありがとう9000形引退記念ツアー」と題したラストランイベントが実施され[7]、これをもって本形式はすべての運用を終了した[8]。
注釈[編集]
- ^ a b 1992年(平成4年)7月8日をもって新京成線との直通運転は終了している。
- ^ 千葉ニュータウン線は千葉県営鉄道北千葉線の一部を承継して建設された路線で、元々東京都交通局(都営地下鉄)新宿線との直通運転構想があった。
- ^ 京成上野方面 – 北総線間の営業列車は、北総車に限定しなければ、2010年7月17日のダイヤ改正で登場した京成車による京成上野発印旛日本医大行き(平日)・印西牧の原行き(土曜・休日)普通列車があるが、これは京成との共同使用駅以外にも停車する関係上、北総への乗り入れ扱いとなっているため、北総区間では京成車であっても北総の乗務員が運転する。また京成高砂で列車番号と行先表示を変更している(京成線内は京成高砂行きとして案内。北総線の行先など変更案内は京成の車掌が行っている)。その後、ダイヤ改正で平日の印旛日本医大行きは廃止された(現ダイヤの代替は押上発印西牧の原行き)。他にこの経路と同一線路を走行する成田空港線(成田スカイアクセス)の列車として京成車によるスカイライナーやアクセス特急があるが、これは京成乗務員での運転である。
出典[編集]
参考文献[編集]
- 女屋正一「住宅・都市整備公団鉄道2000形」『電気車の科学』第431号、電気車研究会、1984年3月、 13-21頁。
- 「新車ガイド1 住宅都市整備公団2000形デビュー」『鉄道ファン』第274号、交友社、1984年2月。
関連項目[編集]
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