マウリツィオ・アリバベーネ – Wikipedia

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マウリツィオ・アリバベーネ
Maurizio Arrivabene - Scuderia Ferrari - 2016 Monaco F1 GP (edited).jpg

Maurizio Arrivabene

生誕 (1957-03-07) 1957年3月7日(65歳)
イタリアの旗 イタリア、ブレシア
職業 スクーデリア・フェラーリチーム代表( 2014 – 2018)
配偶者 ステファニア・ボッキ
補足
元フィリップ・モリス副社長
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マウリツィオ・アリバベーネ(Maurizio Arrivabene、1957年3月7日 – )は、F1のスクーデリア・フェラーリの元チーム代表。現在はセリエA・ユヴェントスFCのディレクターである[1]。イタリアのブレシア出身。

1997年、タバコ企業フィリップモリスに入社し[2]、20年近くマーケティング部門で働く[3]。2007年、副社長としてマールボロブランドのグローバル・コミュニケーション&プロモーション部門を率い、フィリップモリスがメインスポンサーとして支援するフェラーリと深い関係を持った[3]。2010年以降はF1委員会でスポンサー代表として意見を述べ、サッカーの名門クラブ、ユベントスFCの役員も務めた[4]

2014年シーズン、フェラーリは0勝という不振に終わり、チーム幹部の入れ換えを断行。最終戦アブダビGPの翌日(2014年11月24日)、アリバベーネはフェラーリ新会長セルジオ・マルキオンネから指名され、マルコ・マティアッチの後任として新チーム代表に就任した[2]。フェラーリ社外の人物かつ、ビジネス界出身という、伝統のチームとしては異例の人選となった。

2015年以降は、4度のワールドチャンピオン経験を持つセバスチャン・ベッテルを擁し、最強チームメルセデスに挑んだ。2017年はシーズン前半にメルセデスと互角の戦いを演じたが後半に失速し、チーム代表更迭が噂されるようになった[5]。2018年シーズンも同様の展開となった上に、同年7月のマルキオンネ会長の急死後、テクニカル・ディレクターのマッティア・ビノットとのチーム内での確執が表面化した[6][7]。2019年1月7日、チーム代表にビノットが就任することが発表され、アリバベーネはチームを去った[8][9]

[脚注の使い方]
  1. ^ https://www.juventus.com/en/club/corporate-governance/board/maurizio-arrivabene
  2. ^ a b フェラーリがマッティアッチ代表を解任、後任は経営のプロ”. AFP BB NEWS. (2014年11月25日). 2019年1月11日閲覧。
  3. ^ a b フェラーリ、代表マティアッチを更迭。後任を発表”. オートスポーツWeb. (2014年11月24日). 2019年1月11日閲覧。
  4. ^ アリバベーネがフェラーリ代表に就任”. ESPN F1. (2014年11月24日). 2019年1月11日閲覧。
  5. ^ フェラーリ会長、F1チーム代表更迭のうわさを否定”. Topnews. (2017年10月23日). 2019年1月11日閲覧。
  6. ^ イタリア有力紙、フェラーリF1の成績低迷は元会長マルキオンネの死去が発端と報道”. オートスポーツWeb. (2018年10月9日). 2019年1月11日閲覧。
  7. ^ グランプリのうわさ話:度重なるミスによりフェラーリF1が内部分裂か”. オートスポーツWeb. (2018年10月12日). 2019年1月11日閲覧。
  8. ^ Ferrari Announcement,Ferrari.com,2019年1月7日(最終閲覧日2019年1月7日)
  9. ^ フェラーリがアリバベーネ代表を更迭、後任にはビノットが就任”. motorsport.com. (2019年1月8日). 2019年1月11日閲覧。

外部リンク[編集]


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