ヴェルサイユ・サンルイ大聖堂 – Wikipedia
ヴェルサイユ・サンルイ大聖堂(ヴェルサイユ・サンルイだいせいどう、cathédrale Saint-Louis de Versailles)またはサン・ルイ・ド・ヴェルサイユ大聖堂は、ルイ15世の命によりジャック・アルドゥアン=マンサール・ド・サゴンヌ(フランス語版)(ジュール・アルドゥアン=マンサールの孫)が建立した、ヴェルサイユ司教座の大聖堂である。 建設は1742年から1754年までかかり、1797年に大聖堂となる。 2011年以降、聖王ルイの聖遺物を安置している。最寄り駅はヴェルサイユ=シャトー駅。 建設の背景[編集] ヴェルサイユ宮殿がルイ14世により改増築されるまで、ヴェルサイユの教会は、現在のサン・ルイ大聖堂近くにあった、小規模なサン・ジュリアン教会のみであった。 1672〜73年、街を発展させるにあたり、ルイ14世はサン・ジュリアン教会を取り壊すことにし、代わりに同じ聖人に捧げるより大きな教会を、開発中の新市街に建てた[1]。 1682年、ヴェルサイユ宮殿に宮廷が移り、政治の中心となる。 1684〜86年、宮廷人と新市街の住人のため、さらに大きな教会が必要になり、1672年に建てたサン・ジュリアン教会の跡に、ノートルダム教会を建設。 ノートルダム教会は宮殿を挟んで反対側の旧市街からは通いにくく、旧市街にも同様の教会が必要になった。 1725−27年、ルイ15世により、旧市街に、ノートルダムに行く代わりに参拝できる、聖ルイに捧げられた礼拝堂が建てられる。建物は小規模で、ノートルダムの支部のような位置付けであった[2]。 建設[編集] 1730年、人口増加により、パリ大司教シャルル・ヴァンティミーユにより、礼拝堂とその周辺が、ノートルダム教会地区から独立したサン・ルイ教区として認可される。 当時ルイ15世の第一建築家ロベール・ド・コット[3]が、礼拝堂の脇に建てる予定の教会の設計を行うが、おそらく財政面の問題により、建設に至らず[4]。 1735年、ロベール・ド・コットが死去。ルイ15世は、コットの親戚筋であり、ジュール・アルドゥアン=マンサールの孫でもある、ジャック・アルドゥアン=マンサール・ド・サゴンヌに設計の引き継ぎを依頼する。 1743年、建設開始。ルイ15世が最初の礎石を置く。 1754年8月、完成。同23日にルイ15世の孫、後のルイ16世が誕生したため、8月24日の開堂式は王族不在のまま行われ、8月25日、聖ルイに捧げる最初のミサから王族が参列した。 1755年、ルイ15世から、王妃マリー・レクザンスカ、王太子妃マリー=ジョゼフ・ド・サクス、およびルイ15世の4人の王女たち(アデライード、ヴィクトワール、ソフィー、ルイーズ)の教会支援のしるしとして、6体の鐘が教会に贈られる[5]。
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