ライトニン・ホプキンス – Wikipedia
ライトニン・ホプキンス(1960年頃) ライトニン・ホプキンス(Lightnin’ Hopkins、1912年3月15日 – 1982年1月30日)はアメリカのブルース・ミュージシャン。本名はサム・ジョン・ホプキンス(Sam John Hopkins)。 「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において2003年は第71位、2011年の改訂版では削除された。 1912年テキサス州センターヴィル生まれ。少年時代の1922年に、ブラインド・レモン・ジェファーソンに出会いギターを教わる。1927年にはいとこであるテキサス・アレクサンダーと共に テキサスにあるレインボー・シアターで演奏する。 レコードデビュー当時、よくコンビで演奏をしていたピアニストのサンダー・スミスのサンダー(雷)にちなんで自らをライトニン(稲妻)と名乗るようになる。黒いサングラスに葉巻をくわえたスタイルで演奏し、アメリカン・フォーク・ブルース・フェスティバルに出演したり、マンス・リプスカムと共演したりした。 初録音は1946年で、1959年に白人により再発見され、ようやく世界にその「ライトニン節」を轟かせる事になる。 アラジン・レコードから初のシングル「Katie Mae Blues」をリリースし、ヒットを記録。 その後もR&Bチャートにランク・インするような曲を次々にリリースし、50年頃は「ハロー・セントラル」がビルボードにチャートインするほど大変な人気ぶりで、カントリー・ブルース界でも極めて稀な存在となり、戦争を題材にした歌などもリリースする。 1930年代は放浪していることが多くヒューストンに移り住んだ後、ジューク・ジョイントで演奏やストリートでブルースを歌っていた。 ケンカが原因で、刑務所送りになったという辛い過去がある。 従事した仕事は架橋工事で、宿舎では寝る時も足を鎖で繋がれ、翌朝の食事の時に外されるなど、過酷な労働・生活が続いた。 彼の音楽には人生観がにじみ出て、ある種の安らぎ、人生の哀切や達観、希望が満ち溢れた音に、多くの人々が魅了されていった。
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