仁宗 (宋) – Wikipedia

仁宗(じんそう)は、北宋の第4代皇帝(在位:1022年3月23日 – 1063年4月30日)。父は第3代皇帝真宗、実母は真宗側室の李宸妃。真宗の皇后(章献明粛皇后)が嫡母となり、同じく側室の章恵太后のもとで養育された。

乾興元年(1022年)、父の真宗の崩御に伴い幼くして即位。嫡母であった章献明粛皇后のもと、明道2年(1033年)まで垂簾聴政が行われる。英邁な資質を持った皇帝とされ、多くの人材を登用した。

当時は文治主義に偏重して軍事力が弱体化しており、西夏などの圧迫を受けるなど、対外的には危機的な状況が続いていた。仁宗は宋の常備軍の強化などの軍事力の増強を行なう一方で、西夏や遼に対しては銀をはじめとする貢物を贈ることで友好関係を維持する外交を展開した。しかしこの財源を確保すべく、重い賦税を民衆に強いることとなり、農村の荒廃と民衆叛乱を引き起こしている。

不安が高まる社会を改革すべく、改革を求める党派も出現し、後の新法・旧法の争いに代表される権力闘争の原型を形成した時代でもある。

嘉祐8年(1063年)、嗣子がないまま病死し、従子にあたる英宗が帝位を継いだ。

仁宗の治世の時代は、慶暦の治と称されている。

妻妾[編集]

男子[編集]

  1. 趙昉(夭折) 母は徳妃兪氏。
  2. 趙昕(夭折) 母は昭節貴妃苗氏。
  3. 趙曦(夭折) 母は充儀朱氏。

女子[編集]

  • 周国陳国大長公主(荘孝明懿帝姫) 李瑋に降嫁し、また生別した。母は昭節貴妃苗氏。
  • 崇慶公主(荘和帝姫) 母は徳妃兪氏。
  • 安寿公主(荘順帝姫) 母は温成皇后。
  • 宝和公主(荘定帝姫) 母は温成皇后。
  • 鄆国公主(荘禧帝姫) 1歳で夭折し、公主の位号を追贈された。母は馮賢妃。
  • 商国公主(荘宣帝姫) 6日で夭折し、公主の位号を追贈された。母は楊徳妃。
  • 魯国公主(荘夷帝姫)趙懿安 若くして尼僧となった。夭折し、公主の位号を追贈された。母は馮賢妃。
  • 斉国公主(荘慎帝姫)趙幼悟 若くして尼僧となった。夭折。母は温成皇后。
  • 鄭国大長公主(荘斉帝姫) 8歳で早世した。母は董貴妃。
  • 秦国魯国大長公主(令徳景行帝姫)銭景臻(銭惟演の子の銭暄の子)に降嫁した。母は昭淑貴妃周氏。
  • 魯国大長公主(賢懿恭穆帝姫) 曹詩(曹彬の子の曹琮の孫で、曹牷の子)に降嫁した。母は董貴妃、養母は昭懿貴妃。
  • 燕国舒国大長公主(懿穆帝姫) 郭献卿に降嫁した。母は昭淑貴妃周氏。
  • 豫国公主(荘儼帝姫)2カ月で夭折し、公主の位号を追贈された。母は董貴妃。

在位中の宰相[編集]

在位中に活躍した将軍[編集]

登場作品[編集]

  • 井上祐美子の小説『桃花源奇譚』で、主要登場人物の一人となっている。この小説はまた、『三侠五義』がベースになっている。
テレビドラマ
  1. ^ 『皇宋長編紀事本末』
  2. ^ a b 『宋会要輯稿』
  3. ^ 『朝野遺事』:余美人と尚美人は聞えがよしの悪口を言って殴り合いを始めた。仁宗はけんかに割って入って、殴打を受けた。その後、余氏を軟禁してしまった。
  4. ^ 『故董淑妃養女御侍張氏安福県君依旧御侍制』
  5. ^ 『故董淑妃養女御侍李氏仁和県君依旧御侍制』
  6. ^ 仁宗時代の封号の詳細は不詳。その後、洞真宮に出家した。元豊4年5月17日、神宗により法正の職に任ぜられ、志静大師の道号を贈られた。
  7. ^ 封号の詳細は不詳。妃嬪の中でも最も傲慢不遜という。嘉祐4年7月、民間に追い出した。