ブーティ対バーナビィ – Wikipedia

ブーティ対バーナビィ(Booty v Barnaby)

ストロンボリ噴火 100 m(エオリア諸島/イタリア)

裁判所 王座裁判所(Court of King’s Bench)
判決 1687年
裁判所の面々
裁判官 エドワード・ハーバート(Edward Herbert)
キーワード
幽霊体験、口頭誹毀

ブーティ対バーナビィ(ブーティたいバーナビィBooty v. Barnaby)は、1687年のイングランドの訴訟の名前であり、ミセス・ブーティは、自分の亡夫が地獄に追いやられているのが見えたと主張する隣人船長バーナビィに対して口頭誹毀訴訟を起こした。

1687年5月12日に、船長バーナビー、ブリストウ、ブリューワーは、ウェントワースの商人ミスタ・ボールと一緒にストロンボリに銃猟に出かけた[Notes 1]    。その後、15日に彼らが立ち去る準備をしていると、男2人が走っているのが見え、船長バーナビーが叫んだ「これはおどろいた! 先頭の男はロンドンのわが隣人ミスタ・ブーティーだ」(“Lord bless me! the foremost man is Mr Booty my next door neighbour in London.”)。彼は布のボタンが付いた灰色の服を着こんでいたし、彼を追いかける男は黒い服を着ていた。彼らは2人ともこの火山の火口の中に駆け込み、とたんに大きな音がした。船長バーナビーは言った「わたしは疑っているのではないが、あれは地獄の中に走りこむ老ブーティだ」(“I do not doubt, but it is old Booty running into hell”)。

10月6日に彼らはイングランド、ケント、グレーブセンド(Gravesend)に到着した。いくつかの談話の後、船長バーナビーの妻は言った「わたしはあなたにいくつかのニュースを言えます、老ブーティは死んでいます」(“I can tell you some news, old Booty is dead”)。彼は応えた「わたしたち全員が知っていること――わたしたちは皆、彼が地獄の中に駆け込むのが見えた」(“that we all know: we all saw him run into hell.”)。ミセス・バーナビーはこれを或るロンドンの知人に語り、知人はそれをミセス・ブーティに知らせた。ミセス・ブーティーは非常に不快になり、それについて裁判所に行った。裁判官は、夫がいつ死亡したのかミセス・ブーティに訊ねた。彼女は彼らに話したし、それは船長と彼の乗組員に彼が走っているのが見えた時間と一致した[1]

主よ私を憐れみたまえ、そしてあなたがみそなわしたものはけっしてわたしに見えないかもしれないことを認めたまえ。1人、2人または3人は間違えるかもしれないが、30人はけっして間違えられない。(Lord have mercy upon me, and grant I may never see what you have seen; one, two or three may be mistaken, but thirty never can be mistaken.)

ハーバート裁判長

彼女はそこにいた証人30人の陳述と彼らの日記に基づいて、敗訴した[2]

それ以降の諸版の中にはブーティを、パン焼き職人[3]またはレシーバー(receiver)としているものがある。

1837年に『The Idler』は、ジョージ・クルックシャンクによるミスタ・ブーティに関するイラストレーションを2つ発表した[3]

1830年に「Old booty! : A serio-comic sailor’s tale」というタイトルの詩が、William Thomas Moncrieffによって出版された[4]

訴訟の詳細[編集]

1687年、ジェームズ2世治下、王座裁判所、ウェストミンスターの記録において

  • サー・エドワード・ハーバート – 裁判長
  • Wythens、ホロウェー(Holloway)およびライト(Wright)、裁判官ら
  • 被告 – キャプテン・バーナビィ
  • 原告 – ミセス・ブーティ
  1. ^ Later reports mention the island as Lessaria [1] and another called Shumbalon.

外部リンク[編集]