山田敏雅 – Wikipedia

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日本の旗 日本の政治家

山田 敏雅

生年月日 (1949-09-08) 1949年9月8日(72歳)
出生地 広島県福山市
出身校 京都大学工学部卒業
東京大学工学部大学院修了
前職 国家公務員(通産省)
衆議院議員
現職 会社役員
所属政党 (民主党→)
無所属

日本の旗 衆議院議員
選挙区 比例中国ブロック(広島7区)
当選回数 1回
在任期間 2000年 – 2003年
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山田 敏雅(やまだ としまさ、昭和24年(1949年)9月8日 ‐ )は、日本の政治家、実業家、通産官僚。元衆議院議員(1期)。

広島県福山市出身。京都大学工学部卒業、東京大学工学部大学院修了後、通産省入省。

2000年6月25日の第42回衆議院議員総選挙に民主党から立候補し、広島7区では自民党の宮澤洋一に敗れ落選したものの、比例中国ブロックで復活し、初当選した。

2003年、7月27日告示・8月3日投票の広島県福山市長選挙に立候補し、衆議院議員を失職。立候補に際し、民主党を離党した[1]。しかし、三好章市長(2004年辞職直後に逝去)に敗れ、落選。同年の第43回衆議院議員総選挙にも無所属で立候補したが落選した。

その後は太陽光発電やバイオマス発電を手掛ける株式会社エジソンパワーの社長を務めている。

週刊文春2003年5月22日号の「タイ美人女性惨殺事件 日本の現職国会議員に事情聴取」と題した記事に名誉を傷つけられたとして、発行元の文藝春秋側に1000万円の賠償を求め訴訟を起こした。

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記事中では「国会議員のX氏」と名前は伏せられたものの、東京地裁は「記事は匿名でも、経歴を知る人が記事を見れば原告と特定でき、社会的評価を低下させた」と判断し、文藝春秋側に100万円の支払いを命じた。

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外部リンク[編集]

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