鹿児島湾(写真左)、湾内北部に桜島が位置する。 鹿児島湾(かごしまわん)は、鹿児島県の薩摩半島と大隅半島に挟まれた湾。鹿児島県では錦江湾(きんこうわん)の名称で古くから呼称されている。鹿児島湾は日本百景の一つであり、霧島錦江湾国立公園の南部に位置する[1]。 鹿児島湾の北部、すなわち、霧島市と桜島との距離約20㎞を直径とする円形部はカルデラ噴火でできたものであり[2]、また、桜島は1914年(大正3年)に「桜島大正大噴火」で鹿児島湾東岸の大隅半島と陸続きとなった[3][4][5]。 海域としては、薩摩半島最南端の長崎鼻と、大隅半島南端部の立目崎を結ぶ直線から北側を指す。 面積1,130km2、南北約80km、東西約20kmのやや蛇行した形状をなし、北から湾奥部、湾中央部、湾口部の3海域に分けられる。湾奥部と湾中央部の間に活火山である桜島を擁する。平均水深は117mと比較的深く海岸付近の傾斜角が大きい椀形の海底地形となっている。海岸線総延長は約330kmあり、そのうち約60%は護岸など何らかの人工的な措置が施されている。 湾奥部[編集] 面積250km2、平均水深140m、最大水深206m、南北10-20km、東西約20kmにわたる海域。桜島の北側に位置し姶良カルデラと呼ばれるカルデラ地形を構成する。南部には鹿児島湾唯一の有人島として新島(ただし2014年現在は定住者なし)があり、北部には神造島または隼人三島と総称される辺田小島、弁天島、沖小島がある。 北東部に海底活火山の若尊があり、たぎり(滾り)と呼ばれる火山性噴気活動が確認されている。天降川、別府川などの河川が流入する。沿岸の自治体は鹿児島市、姶良市、霧島市、垂水市。 西桜島水道(桜島西側水道)[編集] 桜島と薩摩半島の間に位置する水深40m、幅1.9kmの水道(海峡)。桜島フェリーが西桜島水道の両岸ある鹿児島港と桜島港を結んでいる。 湾中央部[編集] 面積580km2、平均水深126m、最大水深237m、南北約30km、東西約20kmにわたる海域。海底に阿多北部カルデラと呼ばれるカルデラ地形を構成する。甲突川、永田川、神川などの河川が流入する。沿岸の自治体は鹿児島市、垂水市、鹿屋市、錦江町、指宿市。 湾口部[編集] 面積300km2、平均水深80m、南北約20km、東西幅約10kmにわたる海域。知林ヶ島の南側に位置し阿多南部カルデラと呼ばれるカルデラ地形の東側を構成する。薩摩半島側に山川湾が分岐する。雄川などの河川が流入する。沿岸の自治体は指宿市、錦江町、南大隅町。 鹿児島湾は「錦江湾」とも呼ばれており、鹿児島市内には「錦江」の名を含む地名や橋名、学校名、会社名などがある[6]。 島津家第18代当主島津家久(忠恒)が詠んだ和歌「浪のおりかくる錦は磯山の梢にさらす花の色かな」が起源になっているとされ、島津久徴の「黒川記」に由来する文を刻んだ石碑が日木山川河口に建立されている[6]。島津久徴の「黒川記」にある「歌中有錦波二字、因此又呼錦江」から『加治木郷土誌』などでは久徴の時代に黒川河口の入江が「錦江」と名付けられたとしているが、「黒川記」の原文からはあくまでも黒川(日木山川)に「錦江」という別称が生じただけで明治時代に入ってから「錦江」が海の呼称に転化したとする説もある[6]。 江戸時代末期まで鹿児島湾全体を指す固有名詞は存在せず、地誌類では「入海」や「裏海」、「内海」などの普通名詞を使っていた[6]。 1863年(文久3年)の薩英戦争で英国が作製した海図には「KAGOSHIMA BAY」と表記されているほか、同時期のウィリアム・ウィリスの書簡には「The Bay
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