崇禎 – Wikipedia

崇禎(すうてい)は、中国、明代の最後の皇帝である第17代皇帝毅宗の治世中で使用された元号。1628年 – 1644年。

明では一世一元の制を採用していたため、毅宗は崇禎帝と称される。

崇禎17年3月19日、李自成により明は滅亡。李自成は、その年の1月に西安で皇帝を称し(順)、年号を永昌としていたが、4月に清によって逐われた。その清の元号では、この年は順治元年である。

一方、南京では、崇禎帝の従兄弟である福王・朱由崧が5月15日に皇帝に即位し、明朝を復興(南明)、踰年改元法に則り、崇禎の年号を継承し、翌年正月を以って弘光に改元する。

李氏朝鮮では、明の滅亡後、明の後継者は朝鮮だとする小中華思想により、崇禎による崇禎紀元を使い続けていた。

西暦との対照表[編集]

他年号との対照表[編集]

崇禎 元年 2年 3年 4年 5年 6年 7年 8年 9年 10年
後金
天聡2 天聡3 天聡4 天聡5 天聡6 天聡7 天聡8 天聡9 天聡10
崇徳元
崇徳2
崇禎 11年 12年 13年 14年 15年 16年 17年  
崇徳3 崇徳4 崇徳5 崇徳6 崇徳7 崇徳8 順治元
永昌元

関連項目[編集]