紀元前255年 – Wikipedia

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紀元前255年(きげんぜん255ねん)は、ローマ暦の年である。

当時は、「マルクス・アエミリウス・パウッルスとセルウィウス・フルウィウス・パエティヌス・ノビリオルが共和政ローマ執政官に就任した年」として知られていた(もしくは、それほど使われてはいないが、ローマ建国紀元499年)。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前255年と表記されるのが一般的となった。

他の紀年法[編集]

  • 干支 : 丙午
  • 日本
    • 皇紀406年
    • 孝霊天皇36年
  • 中国
    • 秦 – 昭襄王52年
    • 楚 – 考烈王8年
    • 斉 – 斉王建10年
    • 燕 – 孝王3年
    • 趙 – 孝成王11年
    • 魏 – 安釐王22年
    • 韓 – 桓恵王18年
  • 朝鮮 :
  • ベトナム :
  • 仏滅紀元 : 292年
  • ユダヤ暦 :

できごと[編集]

共和政ローマ[編集]

  • アディスの戦いに敗れたカルタゴはスパルタ人の傭兵Xanthippusを雇い、軍を再編した。Xanthippusに率いられた新生カルタゴ軍は、チュニスの戦いでローマ軍を破り、指揮官のマルクス・アティリウス・レグルスを捕えた。レグルスの救出に向かったローマ軍の艦隊は、シチリア沖の嵐で難破した。

エジプト[編集]

  • 第二次シリア戦争で、プトレマイオス2世は、シリシア、パンフィリア、イオニアの領土を失い、アンディオコス2世は、ミレトスとエフェソスを奪回した。その後、アンティオコスとプトレマイオスの間で和平が結ばれ、アンティオコスはプトレマイオスの娘ベレニケと結婚した。

バクトリア[編集]

  • セレウコス朝のサトラップであったディオドトス1世は、アンティオコス2世に対して反乱を起こし、グレコ・バクトリア王国を建国した。

中国[編集]

  • 秦の河東郡守の王稽が諸侯と通じた罪で処刑された。自分が推挙した人物が次々と失態を犯したことに恐縮した范雎は、蔡沢の意見を容れて致仕した。
  • 蔡沢が秦の相国となったが、数カ月で辞任した。
  • 楚の春申君が荀況を蘭陵令として登用した。
  • 周の民が東周に逃れた。秦は周の宝器を奪って、西周公の身柄を憚狐の聚に移した。

天文学[編集]

  • エラトステネスが天球を模した天球儀を発明した。
  • 孝王 – 燕王
  • 王稽 ‐ 中国戦国時代に秦に仕えた人物

注釈

出典

[脚注の使い方]

関連項目[編集]

  • 年の一覧
  • 年表
  • 年表一覧