荘内銀行 – Wikipedia

株式会社荘内銀行(しょうない ぎんこう、英語:The Shonai Bank, Ltd.)は、山形県鶴岡市に本店を置く地方銀行。庄内地方を地盤としており、鶴岡市及び酒田市の指定金融機関である。店舗網はこのほかにも山形県内各地や隣接する秋田県、宮城県、福島県と東京都にも展開している[2]

秋田県が地盤の北都銀行とともにフィデアホールディングスの傘下にある。

概要

第六十七国立銀行を前身とする銀行を含めた戦時統合によって1941年に設立。そのため、山形県では唯一の国立銀行を前身とする銀行である。

資金量では地銀中低位に位置するが、早くから投資信託や生命保険の販売に力を入れており、総預かり資産における投信預かり資産の割合は上位に位置する。通称は荘銀(しょうぎん)。北都銀行と金融持株会社方式で経営統合した。

経営

北都銀行との経営統合

2009年10月1日、北都銀行とともに株式移転により新規設立された金融持株会社フィデアホールディングス株式会社の傘下に入った[3]

酒井家と安田財閥との関係

初代頭取は庄内藩第12代藩主・酒井忠宝の長男である酒井忠純であり、2004年に死去した第17代当主酒井忠明は、亡くなるまで荘銀の相談役を務めていた[4]。また、第14代当主にあたる伯爵酒井忠宝の息女銑子は、安田財閥の2代目安田善次郎(幼名・善之助)に嫁ぎ[5]、その間に同財閥3代目となる安田一が誕生している。このように酒井家を介し、荘銀と芙蓉グループの関係は古くから近しいものがある。

沿革

  • 1878年(明治11年)9月19日 – 第六十七国立銀行創業。
  • 1881年(明治14年)1月 – 第百四十国立銀行を合併。
  • 1941年(昭和16年)
    • 4月7日 – 六十七銀行、風間銀行、鶴岡銀行、出羽銀行が合併し、荘内銀行を設立。酒井忠純が初代頭取に就任。
    • 12月 – 新庄銀行の営業譲り受け。
  • 1942年(昭和17年)4月 – 安田銀行鶴岡支店、酒田支店の営業譲り受け。
  • 1943年(昭和18年)10月- 荘内貯蓄銀行を合併。
  • 1951年(昭和26年) – 日本勧業銀行鶴岡支店、酒田特設出張所の業務を継承。
  • 1961年(昭和36年)8月14日 – 富士銀行米沢支店の業務を継承。
  • 1964年(昭和39年)
    • 仙台支店を開設。
    • 10月 – 本店竣工。
  • 1966年(昭和41年)1月28日 – 秋田支店を開設。
  • 1996年(平成8年)
    • 2月 – 東邦銀行山形支店の営業を山形支店(現:山形営業部)が譲り受け。
  • 1997年(平成9年)11月25日 – 荘銀山形ビルが竣工、山形支店を山形営業部に改称。
  • 1998年(平成10年)
  • 1999年(平成11年)
  • 2000年(平成12年)
  • 2001年(平成13年)
    • 4月 – 損害保険の窓口販売業務開始。
    • 10月 – 荘銀ユーシーカードと荘銀ジェーシービーカードが合併し、荘銀カードが発足。
  • 2002年(平成14年)
  • 2003年(平成17年)4月 – 証券仲介業務の開始。
  • 2006年(平成18年)
  • 2007年(平成19年)
  • 2008年(平成20年)
    • ICキャッシュカードの発行開始。
    • 銀行本体発行によるクレジットカード一体型ICキャッシュカード、「〈荘銀〉ブライトワン」の発行開始。
  • 2009年(平成21年)
  • 2010年(平成22年)
    • 2月15日 – イオン銀行・北都銀行の各ATMでの入金の取扱い開始(終日無料)。
    • 5月17日 – セブン銀行との提携を開始。
    • 7月 – 系列企業であるリリー保険が北都銀系列のほくと商事と合併し、リリーほくと商事に商号変更。
    • 10月1日 – 荘銀イオンカード、〈荘銀〉ブライトワンを除く全てのクレジットカードの新規受け付けを終了。
  • 2011年(平成23年)
  • 2012年(平成24年)
  • 2013年(平成25年)
  • 2014年(平成26年)
    • 4月 – 荘銀事務サービスを吸収合併。
    • 3月17日 – 勘定系システムをBeSTAcloudに変更。
    • 11月14日 – 山形第一信用組合とATM手数料相互無料提携を開始。
  • 2015年(平成27年)
  • 2016年(平成28年)
  • 2017年(平成29年)
    • 7月1日 – 時間外手数料を廃止し、平日のATM引き出しが無料に[16]
    • 7月18日 – 新本店営業開始、同時に宝田支店をブランチインブランチ化[17]
    • 9月1日 – 鶴岡市文化会館(2018年3月グランドオープン)の命名権を取得。「荘銀タクト鶴岡」と決定した愛称が使用開始[18]

営業政策

店舗政策

鶴岡市

荘内銀行が発足した際には前身の1行である六十七銀行が1932年に新築した本店を荘銀本店とした。第二次世界大戦後、業容の拡大に伴いオフィスが狭小化し、再三にわたって増築を繰り返し急場を凌いできたが、予想される銀行事務の機械化に備えるべく本店の全面改築が俎上に載り、1961年4月1日、創立20周年記念事業の一環として、本店建築準備委員会を発足させ検討を始めた。その折、本町2丁目で営業していた佐金呉服店が鶴岡駅前に移転することが分かったため、荘銀は郵政省と折衝。その跡地を鶴岡郵便局の移転先として斡旋し、同省も了承した。これによって荘銀は本店と隣接していた鶴岡郵便局跡地を買い取り、本店の新築予定地として996.94坪を用意した。こうして本店新築工事は着工し、1964年10月24日に地下1階、地上5階、塔屋2階の新社屋が竣工。同年10月26日から本部・本店営業部の業務を開始した[19]

その本店も老朽化した為、6階建の新本店ビルを建設し、2017年7月18日オープンした。新社屋1階にはエントランスホールとギャラリーを設置したほか、上層部には荘銀本店ホールも設けた[20]。また本店営業部にはゆうちょ銀行ATMも1台設置した[21]。本店ホールは2018年5月から一般向けの貸し出しを始めた[22]

2014年6月、藤島支店を鶴岡市藤島庁舎内(旧:藤島町役場)に、さらに同年9月には温海支店にねずが関支店を統合した上で、鶴岡市温海庁舎(旧:温海町役場)内にそれぞれ移転リニューアルしたほか、2017年7月には宝田支店を本店営業部に統合した。また同年12月には三瀬支店も本店営業部に統合するが、それを機に移動店舗車を導入し、店舗網の補完に使用していくとしている[23]

山形市

1942年9月22日に県都進出における第1号店として七日町に山形支店を開設し、1957年10月には山形支店を荘銀山形ビルの所在地である本町一丁目に新築移転した[6]

第二次世界大戦後には、山形市における都市開発や郊外部への住宅地の造成の動きに合わせ順次、店舗を増設した。また1973年3月には山形支店内に総合企画部山形分室を設置したほか、松波二丁目に山形県庁が新築移転した際には、近隣に相前後して竣工となった山形県自治会館内に、1978年に県庁前支店、山形事務センター、山形本部を設置し、同本部が県内陸部における情報収集や営業戦略を担う体制とした[6]

1996年に諏訪町二丁目に位置した東邦銀行山形支店が廃止となった際には、土地建物は有償、営業資産は無償で荘銀が譲り受け、荘銀山形ビル建設のための仮店舗として山形支店が移転した[注 2]。翌年11月の同ビル竣工後には、従来の山形支店が山形営業部と改称され、市内における母店としての位置付けを明確化した。また本店からはシステム企画部(当時)などの本部部署の一部を同ビルに移設した[6]

1999年5月、十日町一丁目に位置した仙台銀行山形支店が廃止となった際には、仙銀が山形営業部に預金と貸し出しを無償譲渡した[24]

2012年11月12日に、山形北ICに近接する山形流通団地に位置した流通センター支店を移転する形で、ときめき通り支店を五十鈴三丁目に開設。併せて鈴川支店を取り込んだ店舗とした上、北山形支店内に設置の山形住宅ローンスクエアをときめき通り支店に併設した[25]。また翌年9月には、あかねケ丘支店を新築移転するなど、市内における店舗のリロケーションを進めた。

米沢市

米沢支店は、荘銀における置賜地区進出の嚆矢として1949年11月21日、米沢市大町の米沢商業銀行跡地に開設した。その後、1900年の開設で、1936年に新築されたゴシック風の壮麗な白亜な殿堂で、市内銀行の象徴といえる風格を保ち、営業をしていた富士銀行(安田銀行)米沢支店が[26]、戦後の繊維業界の波乱や、同行が東京丸の内地区に支店を新設するため[26]、1961年8月に振替店舗として廃止されることが決まった。これを受け荘銀は、富士銀に米沢支店の譲受を要請し、業務、店舗、社宅のほか女性行員13名の雇用を継承し、同年8月14日から立町(現:中央1丁目)の旧富士銀米沢支店跡地で米沢支店は営業を開始した[27][28][注 3]

1989年5月には、モータリゼーションやドーナツ化現象の進行により、米沢市における繁華街が従来の平和通り商店街周辺から、米沢市役所の所在する金池地区周辺へと移行したため、市下3店目として金池五丁目に、米沢中央支店を開設し、のちに米沢支店から米沢中央支店に母店機能を移管した[6]。2008年3月には、マックスバリュ東北が運営を手掛けるイオンタウン米沢にイオンタウン米沢支店を開設し、2010年8月には、米沢西支店を米沢支店へブランチインブランチ化した[29]

酒田市

酒田中央支店は、荘銀と経済団体が酒田市役所近隣に建設した酒田産業会館[注 4] 1階に従来の東支店を新築移転、酒田中央支店と改称し開設した。また、これと同時に酒田市および飽海地区における母店機能も担うこととした。さらに1997年には建物の老朽化した酒田支店を酒田中央支店に統合した[6]

その後、酒田市においてもドーナツ化現象が顕著となったため、酒田駅前の庄交ビル1階に所在した酒田駅前支店を同市二番町に所在した浜町支店へと統合し、量販店の集積し始めた同市北部のゆたか地区に2001年8月、酒田北支店として新築移転した。また同市南部においては酒田中央支店卸町出張所をおおみや支店として昇格したほか、後年には酒田営業部とし同市南部の拠点とした、また2009年には同営業部に若竹町支店を統合し、若竹町二丁目へ新築移転している[6]

2015年12月21日には、松山支店を移転・名称変更の上で平田支店を統合し、酒田市平田総合支所(旧:平田町役場)内に酒田東部支店を開設した。

仙台圏

2020年には宮城県内では仙台市青葉区(仙台・栗生)、太白区(長町)、泉区(桂ガーデンプラザ・イオン中山)、若林区(荒井)、仙台市以外でも富谷市(明石台・イオン富谷 )、名取市(名取エアリ)、利府町(イオン利府)と、宮城県内に10店舗を展開していた。2020年末までに大規模な統合が行われ、仙台・長町・桂ガーデンプラザ・明石台の4店舗に拠点を絞った。

そのうち、仙台支店は、荘銀における初の県外店舗として、1964年7月に仙台市青葉区に開設した。その後、店舗の老朽化を受け建設した荘銀ビルで営業を開始した。また、1978年8月には市下2店目として長町に長町支店を開設している[6]

近年は、イオングループなどのショッピングセンターにインストアブランチにも出店。

2013年6月17日に、黒川郡3店舗目となる「吉岡支店」(大和町)をヤマザワ吉岡店パーキングエリアの一角に開設した[31]。また続く8月20日には、東日本大震災で被災し、桂ガーデンプラザ支店にブランチインブランチとされていた西友仙台泉支店 を、泉中央地区に移転。「泉中央支店」に改称の上、個人向けフルバンキング店舗として約2年ぶりに営業を再開した。しかし、吉岡と泉中央の両店は、2018年12月中旬までに桂ガーデンプラザ支店にブランチインブランチ化の上統合となり、実店舗は閉鎖された。他にも、石巻市や多賀城市にも店舗を構えていたが、こちらも統合により撤退している。

2014年11月25日に、仙台市青葉区2店舗目であり、旧宮城町地域では初となる栗生支店を開設した他[32]、これに先立つ同年8月18日には、仙台市地下鉄東西線のターミナルとなる荒井駅予定地の近隣に「荒井住宅ローンスクエア」を、同年10月27日には、名取市美田園に所在する仙台空港鉄道仙台空港線美田園駅近隣に「名取住宅ローンスクエア」をそれぞれ単独で設置した。また2016年4月2日には、荒井支店を新規に構え、既存の荒井住宅ローンスクエアは同店に併設した[33]。こちらも統廃合に伴い、現在は「宮城ローンスクエア」(桂ガーデンプラザ支店内)のみが営業。

山形・宮城県外

東京都内
東京支店は1969年11月に、千代田区内神田の繊維貿易会館ビル(現:センボービル)に路面店として開設されるが、後に空中店舗となった[6]。2010年3月23日、北都銀行とともに中央区日本橋室町に所在のヒューリック日本橋室町ビル(現:日本橋室町プラザビル)2階へ移転してATMは撤去されたが、カード入出金は同じ階の北都銀行ATMを共同利用することになった[34]
前述にもある通り、近年は、江戸川区や板橋区、武蔵野市のイオングループや三菱商事都市開発のショッピングセンターに、インストアブランチ形式の店舗を開設していたが、2021年4月までに3店とも東京支店に統合(ブランチインブランチ化)された。これらの3店舗は、土日祝日も営業しており、ATMも設置していた。
秋田支店
1992年9月末まで庄内地方は日本銀行秋田支店の所管だった[注 5]。このため荘銀は秋田支店を開設するまで為替の集中決済は全て他行に代理交換を依願していた[35]。しかし、昭和40年代に入り地域経済の広域化が進み、他行に対する代理交換を解消することを狙い、1966年1月28日、秋田市楢山字長沼の安田生命秋田ビル[注 6] に秋田支店を開設している。
1968年、富士銀行が秋田支店を日本勧業銀行秋田支店に対し営業譲渡し秋田県から撤退したため[36]、建物および敷地を荘銀が買収。1970年6月に秋田支店を旧富士銀跡に移した。その店舗も老朽化したことから建て替えられ、1999年3月に秋田支店が入る荘銀秋田ビルが竣工した[36]
福島支店
福島支店は他県資本の地銀支店で唯一、福島市の金融街ことレンガ通り(福島の兜町)沿いに店舗を構えず、東北新幹線の開通を見据え新たに開発が進められた福島駅西口地区(三河南町)の高湯街道沿いに1974年7月24日に開設し、1976年7月には店舗を新築した[6]
郡山支店
2008年5月31日にショッピングモールフェスタの本館専門店エリアの2階に、インストアブランチ・ジャスコ郡山支店として開設。2011年3月1日のイオングループのGMS店舗のブランド統一に伴い、5月1日、イオン郡山支店と改称した。しかし、東日本大震災によってフェスタ本館が被災。営業再開の目処が立たない為、同16日には、郡山市並木一丁目に臨時相談窓口を設置し、同20日には臨時常設店舗として窓口業務を再開。7月1日、臨時常設店舗を正式に支店とした。しかし、合理化推進のため、2020年2月14日、福島支店に統合(ブランチインブランチ化)された。

インストアブランチ

1997年以後の銀行法改正により出店規制自体が緩和され、欧米で浸透しはじめていたインストアブランチ形態の出店が可能となった。専門家などによる書籍などでは、銀行の営業時間外の銀行店舗スペースを他のテナントエリアとシャッターで仕切らない、荘銀やイオン銀行の店舗が「インストアブランチ」のモデルケースとされることが多い。

最大で山形県内外の商業施設に16店舗展開していたが、2021年4月までに宮城・東京からは全店撤退[37]。山形のイオンの商業施設に出店する3店だけとなった。このうち2店については、ほけんの窓口グループとの提携に基づき、2020年10月、新たに「ほけんの窓口@荘内銀行」を併設した[38]

法人市場対策

荘銀ビジネスダイレクト
2007年3月より、法人向けとしてインターネットEBサービスを提供している。通信には128ビットSSL暗号化方式を採用しているほか、公開鍵証明書による本人認証を行うことによりセキュリティを高めて運用している。
産学連携協定
山形大学工学部、農学部、鶴岡工業高等専門学校、山形デザイン専門学校、と連携協定を結び、地元企業ニーズと研究機関ニーズをつなぎ、経営課題解決を支援している。また、日本政策投資銀行、東北公益文科大学とも、「環境」と「まちづくり」を主要テーマに連携協定を結んでいる[39][40][41][42][43]
2016年、内閣府が取りまとめを行う第14回産学官連携功労者表彰において、産学官連携功労者選考委員会特別賞を受賞。受賞内容は、「山形発 地域からイノベーションを起こす学金連携システム」であり、山形大学と米沢信用金庫との共同受賞である[44]
確定拠出年金
2001年10月の確定拠出年金制度施行と同時に取扱いを開始し、地元企業の退職制度、企業年金制度の改定をサポートしている。
金融商品仲介業務
2005年4月より、日興コーディアル証券(現:SMBC日興証券)、(旧:みずほ証券)、三菱UFJメリルリンチPB証券と提携し、株式、外国債券、仕組債の取扱い(仲介)を行っている[45]
市場誘導業務
2006年1月より、日興コーディアル証券(現:SMBC日興証券)、大和証券、新光証券(現:みずほ証券)、旧SBI証券、ディー・ブレイン証券と提携し、企業株式公開を支援する市場誘導業務を行っている[46]
海外ビジネスサポート
海外取引支援室に、東アジア戦略チームを2007年度組成するとともに、中国ビジネスで東京リースと提携、また県内初となる国際協力銀行とも提携し県内企業の海外ビジネスを支援している[47]

地方公共団体取引

山形県の指定代理金融機関である。市町村部では、鶴岡市、酒田市、最上町、金山町から指定金融機関とされている[6]

キャラクター

鶴岡出身である藤沢周平が原作の『蟬しぐれ』が映画化された際、主演を務めたことが縁で、市川染五郎 (7代目)がイメージキャラクターとして起用していた[48]。また、マスコットキャラクターとしてタマ&フレンズを1995年8月から採用している[6]

自動機サービス

ICキャッシュカード関連
2010年4月時点、生体認証付ICキャッシュカードが発行されている。
単体とクレジット一体型の2種類があり、カラーは単体が【ブラック・レッド・ブルー】、クレジット一体型が【シルバー・ゴールド(ゴールドカード専用)】[49]
クレジットカード提携
2010年10月現在 取扱いカード
キャッシュカード一体型(太字は、ICキャッシュカード対応)

情報処理システム

1974年10月、オンラインによるシステムの開発と運用を目的に、山形相互銀行(現:きらやか銀行)と共に資本金5000万円でエスワイコンピューターサービス(SYC)を山形市小白川町に設立。委託方式で翌年11月より第一次オンラインシステムが稼動し、さらに1986年1月からは第二次オンラインシステムが稼動となった[6]

その後、歳月の経過によってSYCによる総合オンラインシステムも老朽化した上、年々、金融のIT化が進展する中、両行においても新システムの構築が喫緊の経営課題となった。そこで協議を重ねた結果、システム分野における独自性を最優先させ、2006年上期までにSYCの共同運営を終了すると決定した。これを受け同年5月7日から荘銀の基幹系システムはNTTデータ地銀共同センターへと移行している[50][51]

ギャラリー

脚注

  1. ^ きらやか銀行新潟支店(当時は、山形しあわせ銀行新潟支店)に対して顧客・預金等を譲渡。
  2. ^ 山形ビル竣工後は、十日町四丁目から山形南支店が移転した。
  3. ^ その後の米沢支店の新築によって富士銀から継承した建物は現存しない。 なお、米沢市は1966年から南部、中部、北部を対象区域として住居表示を実施。以後年次的に住居表示を進める。
  4. ^ 酒田産業会館は老朽化のため、2021年5月のオープンを目処に、新会館の建設構想が具体化されている[30]
  5. ^ 以後、山形県全域は日銀仙台支店の管内となる。
  6. ^ 現:秋田市中通、明治安田生命秋田ビル。現在はSMBC日興証券秋田支店が入る。

出典

参考文献

  • 荘内銀行130年史編纂チーム、荘銀総合研究所編『荘内銀行130年史』荘内銀行、2009年。
  • 宇井洋『荘内銀行はなぜ顧客に選ばれるのか? – 勝ち残りに賭ける、ある地銀の挑戦 -』ダイヤモンド社、2008年。ISBN 978-4478004777
  • 渋谷隆一、森武麿、長谷部弘『資本主義の発展と地方財閥 – 荘内風間家の研究』現代史料出版、2000年。ISBN 978-4877850319
  • 米沢市史編さん委員会編『米沢市史 第5巻 (現代編) 』米沢市、1996年。
  • 荘内銀行百年史編纂室編『創業百年史』荘内銀行、1981年。
  • 富士銀行七十周年記念事業委員会編『富士銀行七十年誌』富士銀行、1952年。
  • 『日本経済新聞』1999年2月20日
  • 『山形新聞』2010年8月24日

外部リンク