日産・ローレル – Wikipedia
ローレル(LAUREL)は、ライトバンなどの商用車を一切設定しない日本初の「ハイオーナーカー」として、日産自動車が1968年から2003年まで製造・販売していた高級乗用車である。
C33型までは、ライバルのトヨタ・マークIIなどと並んで日本を代表するセダンタイプの乗用車として広く認知されていたが、C34型以降は流行の中心がSUVやミニバンにシフトしたこともあり、販売はかつてのモデルと比べ低迷していた。
しかし、これらのモデルはスカイラインとプラットフォームを共有する手頃なサイズのFR車であることからドリフト走行に適しており、現在でもドリ車のベースとされる事も多く、D1グランプリにおける参戦例もある。C35型に関しては、R33スカイラインのトランスミッションやシルビアのSRエンジンを流用した改造車も市場に出回っている。
初代 C30型系(1968年 – 1972年)[編集]
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- 1968年(昭和43年)4月 – 販売開始。510型ブルーバードより上級で、かつ、法人需要の多い130型セドリックとは性格の異なる「ハイオーナーカー」として企画された。当初は日産製のL18型エンジンを搭載し、生産は追浜工場で行う予定であったが、車両開発中に日産自動車とプリンス自動車が合併した諸事情に鑑み、村山工場での生産となったため、プリンス製・直列4気筒SOHC1,815ccのG18型を搭載しての発表となった[2]。エンジン以外は全て日産独自開発であり、例えばステアリングにラック&ピニオン、サスペンションにフロント・マクファーソンストラットとリア・セミトレーリングアームの四輪独立懸架方式など。そのうち、この四輪独立懸架方式はブルーバード510に先行採用された。それまでのマイカーとは少々違うグレード感を持ったオーナーカーのジャンルを提案し確立した。
販売終了前月までの新車登録台数の累計は15万211台[4]
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2ドアハードトップ 2000GX
2代目 C130型系(1972年 – 1977年)[編集]
- 1972年4月 – C130型にモデルチェンジ。ボディバリエーションは4ドアセダンと2ドアハードトップ。ハードトップは、リアバンパーにビルトインされたリアコンビランプを持つ。プラットフォームはC110型スカイラインと共通で、この代以降スカイラインと基本設計が共通化される。ハードトップはボディー外板(塗装面)に燈火類が無い特徴的なリアスタイルから、『ブタケツ』という愛称がある。また現在でも旧車雑誌に取り上げられるほど人気が高く、一部中古市場において高値で取引されている。エンジンのバリエーションは、これまでのG18型、G20型、G20型SUツインキャブに加え、初搭載となる SOHC 直列6気筒のL20型 (1,998cc)[注釈 1] 、およびL20型SUツインキャブ(レギュラー/有鉛ハイオク)が加わり、3機種5仕様となる。なお、G20型SUツインキャブ仕様は前期「2000GX」にのみ搭載された。
- 1973年10月 – マイナーチェンジ。ローレル初の3ナンバー車となる、直列6気筒 SOHC L26型エンジン (2,565cc) を搭載する「2600SGL」を追加。セダンではグリルの模様から、怪獣のデザインをモチーフにした「ガメラローレル」の愛称も生まれた。
- 1975年9月 – 昭和50年排出ガス規制に対応するため、L26型エンジンを2.8LのL28型へ変更。
- 1975年10月 – 1.8Lおよび2.0Lが昭和50年排出ガス規制に適合。燃料供給をEGIに変更したL20E型エンジン搭載車を追加。排出ガス規制の困難な2.0Lのツインキャブ車(6気筒、4気筒共に)と4気筒2.0L車[注釈 2](G20エンジン搭載車)は廃止され、4気筒エンジンはL18に集約された。
- 1976年2月 – L20E型エンジンが昭和51年排出ガス規制に適合。6月、1.8Lおよび2.0Lキャブレター仕様が昭和51年排出ガス規制に適合。
販売終了前月までの新車登録台数の累計は34万9708台[7]
3代目 C230型系(1977年 – 1980年)[編集]
- 1977年1月 – C230型にモデルチェンジ。先代の流れを汲んでキープコンセプトとなったが、デザイン的にはより重厚感を強調したものとなっている。ハイオーナーカーにふさわしい豪華なインテリアと居住性を確保。ボディバリエーションは4ドアセダンと、この代で新設定された4ドアハードトップ、および2ドアハードトップ。搭載エンジンは直列4気筒SOHC1.8LのL18型、直列6気筒SOHCのL20型、L20E(電子燃料噴射)型、L28型。イメージキャラクターにはプロテニスプレーヤーの石黒修が起用された。CMソングは福沢恵介の「風が変わる朝に」である。
- 1978年1月 – 発売10周年記念特別限定車で深紅の車体色を特別に採用した「深紅のローレル」を発売。他にアルミホイールとフロントグリルのカーバッジを装備。
- 1978年11月 – マイナーチェンジ。ヘッドライトが規格型の角形4灯式になる。オートエアコン装備の最高級グレード「メダリスト」(Medalist)およびSD20型 直列4気筒OHV2.0Lディーゼルエンジン搭載車を追加。1.8L車はZ18型に変更。ガソリン車昭和53年排出ガス規制適合。
- 1979年10月 – 4気筒2.0Lガソリン車(Z20型)とディーゼル車にSGLグレードを設定し、AT仕様を追加。
- 1980年2月 – ハードトップのメダリストに電動サンルーフをオプション設定。ローレル初のサンルーフ車となる。
- 1980年7月 – 限定車「メダリスト」「ザ・クオリティ」を発売。
販売終了前月までの新車登録台数の累計は31万6898台[8]
4代目 C31型系(1980年 – 1984年)[編集]
- 1980年11月 – C31型にモデルチェンジ。開発主管は、設計を共用していたスカイラインの開発主管と兼任の形で桜井眞一郎が務め、ボディバリエーションは4ドアセダンと4ドアハードトップ。デザインは、『アウトバーンの旋風(かぜ)』の広告コピーに象徴される欧州調のスタイルとなった。4ドアハードトップの空気抵抗係数(Cd値)は0.38。エンジンは4気筒モデルにZ18型、Z20型。6気筒モデルにL20型、L20E型、L20ET型、L28E型で、ローレルとしては初めてターボエンジンが搭載された。さらにディーゼルエンジンは4気筒のLD20型と6気筒のLD28型をそれぞれ搭載した。
- 1981年
- 2月 – GX仕様追加。セダンのL20E搭載車で独立懸架式リヤサスペンションを装備(当時はハードトップの6気筒ガソリン車とセダンのターボ車のみ標準装備であった)。
- 11月 – 一部改良。ターボメダリスト追加。
- 1982年
- 6月 – 一部改良。L系エンジンのエアコン装着車に冷媒警告灯を追加。
- 9月 – マイナーチェンジ。ラジエータグリルのクローム化とバンパーの大型化で押し出し感と高級感をアップ。テールランプの意匠変更。エンジンはZ18型に代わり直列4気筒OHC・1809cc CA18S型を搭載。当時の搭載エンジンはCA18S型のほかに、L20ET型、L20E型、直列4気筒SOHC・Z20S型、およびディーゼル車にLD28型とLD20型の6機種。L28E・L20(キャブ仕様)・LD20型のAT車・セダンのコラムシフト6人乗り仕様は廃止。同時に6気筒ガソリン車のAT車はオーバードライブ付のスーパートルコンに発展。CM出演はユベール・ド・ジバンシィ。キャッチコピーは「Laurel mon image」(ローレルこそ、私のイメージ)。
- 11月 – 特別仕様車「ジバンシーバージョン」発売。
- 1983年
- 2月 – 特別仕様車「50スペシャル」発売。
- 3月 – 特別仕様車「ジバンシィバージョンII」発売。
- 5月 – 特別仕様車「50スペシャルII」発売。
- 7月 – ドアミラーの採用及びフェンダーミラーを2モーター化。
- 10月 – 教習車、タクシー向けとして直列4気筒OHC・Z18P型エンジン搭載のLPG車(グレードはSTD、GL)を追加。特別仕様車「SGLグランドエクストラ」(大型カラードバンパーとメダリスト用ホイールカバーを装備)及び「50スペシャルIII」発売。
- 1984年
- 1月 – 1.8LのGLエクストラ仕様追加及び一部車種廃止。
- 2月 – 特別仕様車「ジバンシーバージョンIII」発売。
販売終了前月までの新車登録台数の累計は21万20台[9]
5代目 C32型系(1984年 – 1993年)[編集]
- 1984年10月 – C32型にモデルチェンジ。キャッチフレーズは「ビバリーヒルズの共感ローレル」。開発主管は、後にスカイラインR31/32型で開発主管を務める事となる旧・プリンス自動車出身の伊藤修令が務めた。ボディバリエーションは4ドアセダンと4ドアハードトップで、先代がヨーロッパ車調で苦戦したため、押し出しの強いアメリカ車調となった。世界初の電動格納式ドアミラーを装着。搭載エンジンはRB20E型直列6気筒SOHC2.0L、VG20ET型V型6気筒SOHC2.0Lターボ(歴代ローレルでは唯一のV6エンジン)、CA18S型直列4気筒(LPG仕様あり)、LD28型直列6気筒SOHC2.8Lディーゼル。C32型よりステアリングシステムにラック&ピニオン式を採用した。日本国外への輸出は、これまでのダットサン220~280Lから正式に「日産・ローレル」(中文:日産月冠)となるが、このモデルで最後となる。主に中国・タイ・マレーシア・シンガポールなどのアジア諸国向けの輸出はセダン車のみで比較的前世代のL24E搭載車が主流であった。欧州仕様にはディーゼル車も設定。香港・中東仕様には少数ながらハードトップ車も存在した。ハードトップに関してはRB型のみでL24Eの搭載車は存在しない。CM出演は前期・後期共サックス奏者の渡辺貞夫。
- 1985年5月 – 特別仕様車グランドエクストラリミテッド発売。
- 1985年10月 – 一部改良。
- 1986年1月 – 営業車一部改良。
- 1986年10月 – マイナーチェンジで内外装を変更。RB20DET型直列6気筒DOHC2.0L 24バルブターボエンジンが新たに搭載され、ディーゼルエンジンはRD28型直列6気筒SOHC2.8Lディーゼルエンジンに変更された。
- 1987年5月 – 特別仕様車「グランドエクストラホワイトスペシャル」発売。
- 1987年8月 – 「グランドエクストラリミテッド」追加。
- 1988年2月 – 20周年記念特別仕様車スーパーメダリスト発売及び一部改良。
- 1988年5月 – 特別仕様車「ホワイトリミテッド」発売。
- 1988年9月 – スーパーセレクションシリーズ追加。
- 1988年12月 – 自家用・教習車モデル販売終了。営業車は継続で国内市場だけとなる。
- 1989年1月 – 営業車モデルのAT車にシフトロック採用。
- 1993年7月 – 営業車モデル販売終了。後継はクルー。
販売終了前月までの新車登録台数の累計は25万9214台[10]
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ハードトップ
(前期型 リヤ) -
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セダン(後期型 リア)
6代目 C33型系(1989年 – 1993年)[編集]
日産・ローレル(6代目) HC33/HCC33/EC33/ECC33/SC33/FC33型系 |
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前期型(1989年1月 – 1991年1月) |
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後期型(1991年1月 – 1993年) |
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概要 | |
販売期間 | 1989年1月 – 1993年1月 |
設計統括 | 佐渡山安彦 |
ボディ | |
乗車定員 | 5人 |
ボディタイプ | 4ドアハードトップ |
駆動方式 | FR |
パワートレイン | |
エンジン |
・RB25DE型 2.5L 直6 DOHC(180PS/6000rpm 23.0kgm/5200rpm) ・RB20DET型 2.0L 直6 DOHC インタークーラー付セラミックターボ(205PS/6400rpm 27.0kgm/3200rpm) ・RB20DE型 直6 DOHC(155PS/6400rpm 18.8kgm/5200rpm) ・RB20E型 直6 SOHC(125PS/5600rpm 17.5kgm/4400rpm) ・CA18i型 1.8L 直4 SOHC(91PS/5200rpm 14.5kgm/3200rpm) ・RD28 ディーゼル2.8L 直6 SOHC 12バルブ(94PS/4800rpm 18.0kgm/2400) |
変速機 |
5速AT(5E-AT RE5R01A) 4速AT(4E-AT RE4R01A,RL4R01A) 5速MT(FS5W71C) |
サスペンション | |
前:マクファーソンストラット 後:マルチリンク |
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車両寸法 | |
ホイールベース | 2,670mm |
全長 | 4,690mm |
全幅 | 1,695mm |
全高 | 1,365mm |
車両重量 | 1,330kg |
その他 | |
ブレーキ |
【フロント】ベンチレーテッドディクス式 【リア】 RB25DE,RB20DET車はベンチレーテッドディクス式。RB20DE,RB20E車はディクス式。CA18i,RD28車はリーディングトレーリング式(ABS装着した場合はディクス式) |
データモデル | RB20Eメダリスト 2J9ホワイトパールツートン 5速MT(前期型) |
- 1988年12月 – 発表。この代は村山工場で製造された。
- 1989年1月 – 発売。キャッチフレーズは「時代のまんなかにいます。」。ボディは4ドアハードトップのみで[注釈 3]、セダンはセフィーロと統合するため、営業車を除いて自家用・教習車モデルは廃止となる。営業車歴代最後の4ドアセンターピラーレスハードトップとなる。車高が低いため室内空間が犠牲となり室内の広さは大人4人の長時間乗車に耐えうる最低限の寸法が確保されている程度のものであった。 V6エンジンが廃止され、RB20DE型、RB20DET型(以上の2つはDOHC)直列6気筒2.0L、CA18i型直列4気筒SOHC1.8L、RD28型6気筒ディーゼルを搭載。リアマルチリンクサスペンションが採用され、一部グレードにはHICAS-IIも設定(クラブSに標準、RB20DE,RB20DET車にメーカーオプション(後期最終型(91年11月)からRB25DE車も追加)リアビスカスLSDとセット)4気筒モデル (CA18i) と直列6気筒ディーゼルモデル (RD28) には教習車仕様も存在した。この時より、日本国内専用車としてシフトしている。CM出演は坂東玉三郎(1991年1月のマイナーチェンジ広告まで出演)。寒冷地仕様車もあったがカタログ等には明記されず、ミラーヒーターと燃費のことのみ記載されていた。(寒冷地仕様車の装備はバッテリーの大容量化、それに伴いD型バッテリー用ターミナルへとハーネスが変更、ウォッシャータンクの大容量化(2L→3L)ワイパーモーターにセミコンシールドへ変更可能なサブハーネスの標準装着、ヒーターコア、ヒーター付ミラー(自動防眩をつけた場合ヒーターなし。後期型(91年1月)からは自動防眩をつけるとヒーター付になった。)スターターモーター(RB系は主に三菱製23300-20P11と日立製23300-20P00、CA18i車は三菱製23300-30F11へと変更。RD28車は変更なし)注・ロックバックアームはディーラーオプション)
- 1990年
- 1月 – RB20E メダリストセレクションS追加。
- 5月 – 火山灰対策を行った「火山灰仕様車」を追加。対策内容は、モール類へのダイレクトクロームメッキによる腐食対策と、ウインドウォッシャータンクの大型化(2リットル→3リットル)である。(モデルコードは9)
- 9月 – 特別仕様車「RB20Eメダリスト リミテッド」及び「RD28メダリスト リミテッド・S」発売。リミテッドは本木目パネル、アルミホイール、アクティブサウンドシステム、運転席パワーシート、SFC(フッ素樹脂塗装)、本革巻きステアリングが標準で装着されます。またRD28メダリストリミテッドSはビスカスLSD、エクセーヌシートが標準となります。またどちらもカラーはDH0(ダークグリーンM)と2J9(ホワイトパールツートン)のみでした。
- 1991年
- 1月 – マイナーチェンジ。
外装面はグリル、グリルオーナメント、フロントサイドエンブレム(フロントフェンダー部。クラブSやクラブL)サイドのメッキモール、リアテールの変更。ウォッシャーノズルをカラードに変更。
メカ的な変更として、SRSエアバッグ(運転席)を新設。クラッチのフェーシング素材をノンアスベスト材に変更。
RB20E/RB20DEエンジン搭載車に5E-AT(5AT RE5R01A)を採用(RB20DETは4ATのまま)。またRD28搭載モデルはRL4R01AからRB20DET車と同じRE4R01A(4E-AT)へと変更。3S71A-T型プロペラシャフト採用(RE5R01A搭載車)ビスカスLSD(メーカーオプション)採用車種拡大。DUET-SSスーパーソニックサスペンション(メーカーオプション)採用車種拡大。2段バルブ構造ショックアブソーバーの採用(RB系エンジン搭載車)新造形アルミロードホイールの採用。ブレーキパッド及びライニング素材をノンアスベスト材に変更。ABSアクチュエーターの小型軽量化及び制御内容変更。(あまりにも細かい変更点は省いております。)
内装面では、全車に4本ステアリングホイールの採用。フロアコンソール周りの連続感の向上。本木目を変更。メーターの自体やレイアウトの変更、5AT用メーターを新設。アナログ時計をシャンペンゴールドへ変更し、文字板に立体感を持たせ高級感の向上。PRO-AESスピーカーシステムのAEグリルを変更。内装色の変更。(グレーとブラウンの色変更。エクセーヌにブルーグレー追加。本革をホワイトベージュからベージュへ(後期は樹脂素材部分も含めほとんどがベージュとなる)ウールシートの追加(セレクションL、クラブLにメーカーオプション))
塗装色面ではKH2ダークグレーパールM、TH1ダークブルーパール、LH1パープリッシュシルバーMの3色を新車体色として設定。また、CG2ベージュM、TG0グレイッシュライトブルーMの廃止。
その他、クラブSにアクセントストライプを標準装着。
クラブLにRB20DE搭載車を追加。RB20DEクラブSの5MT設定を廃止。セレクションSにRD28モデルを追加。また、RB20E/RD28エンジン搭載車にクラブLシリーズの内装(ベージュ本革、本木目クラスター等)を受け継いだ「メダリストセレクションL」を新設。 - 5月 – 「RB20DEメダリストセレクションS」追加。
- 8月 – 特別仕様車「グランド・リミテッド」発売。
- 11月 – 3ナンバー車のRB25DE型 直列6気筒DOHC2.5Lエンジン搭載グレードを追加。2.5L追加と同時に既存モデルはサイドドアビームとハイマウントストップランプを全車に装備。またインナーパネルとドアロックの間にドアロックスティフナーを設定。助手席側のシートベルトの分離式を廃止し一体式へと変更。A/Tモードのスイッチの変更(ホールドモードからスノーモードへと変更し、滑りやすい路面でも使いやすくする狙い。スロットルコントロールによるシフトチェンジができる為雪道走行をしやすく)ファイナルドライブの仕様変更(R180型の減速比3.900の廃止)フロントグリルの変更(格子部(横さん部分)をグレー塗装からメッキ仕上げへ)シートベルト警告灯及び警報ブザーの採用。メダリストV及びクラブLに標準のCDプレーヤーをメダリスト、セレクションS、セレクションL及びクラブSにメーカーオプション設定。また上級グレードを中心に車種整理(セレクションSにRB25DEを新設。クラブLは従来のRB20DETとRB20DEを廃止しRB25DEのみへと変更。クラブSはRB20DEを廃止し従来のRB20DETを引き続き採用し、新しくRB25DEを採用。)車体塗装色に新たにWK1シルキースノーパール、TL0グレイッシュブルーM、AH2バーガンディパールの採用。また、AH1ダークレッドパール、TH1ダークブルーパール、LH1パープリッシュシルバーMの廃止。
- 1月 – マイナーチェンジ。
- 1992年1月 – 累計生産200万台を達成。
- 2月-累計生産200万台達成特別仕様車「メダリスト セレブレーション」(RB25DE,RD20E,RD28)を3月末まで期間限定発売。セレブレーション限定色としてKJ6ダークブルーイッシュブラックパールを追加。中でもRB25DEのセレブレーションはかなり特別で黒本革パワーシート、本木目パネル、CDプレーヤー、ゴールドアルミホイール、セレブレーション専用エンブレム(Cピラーに装着)などが標準装備とされる。RB20E,RD28車は黒本革パワーシートがつかない以外は同じ装備となる。
- 5月-日産車累計生産4000万台達成記念車「メダリストクラブSセレクション」(RB20E/RD28)発売。ここでもKJ6選択可能。
- 8月-特別仕様車「SVシリーズ」(RB25DE/RB20E/RD28メダリストSV、RB20Eメダリスト・クラブS-SV、RB20E/RD28-SV)を発売。SVシリーズ専用エンブレム(Cピラーに装着)はRB25メダリストSVのみ2500SVといったようなものへと変更される。
前述のクラブSセレクションとクラブS-SVとの違いはクラブSセレクションが漆塗り調クラスターに対して、クラブS-SVは本木目クラスターであった。
また、クラブS-SVには存在しないRD28があった。RD28ディーゼル搭載のクラブSはRD28クラブSセレクションのみとなる。
また、前述のセレブレーションとSVシリーズはかなり外観が似ているが2J9ツートン以外はSVシリーズはアルミホイールがシルバーポリッシュな為(セレブレーションは全車ゴールドアルミホイール)そこを見て見分けることができる。近くで見れる際はCピラーに装着されている専用エンブレムを見ると見分けられる。
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- 12月[11] – 生産終了。在庫対応分のみの販売となる。
- 1993年1月 – 7代目と入れ替わって販売終了。
販売終了前月までの新車登録台数の累計は34万4139台[12]
7代目 C34型系(1993年 – 1997年)[編集]
- 1993年
- 1月 – モデルチェンジ[13]。キャッチフレーズは「すっきりがいい。1993年と新しいローレル」。CM出演は松方弘樹、本木雅弘[注釈 4]。全車3ナンバーとなり、ボディ形状は、側面衝突時の安全性を確保する観点から、センターピラーを加えた4ドアピラードハードトップとなる、室内空間の居住性が大幅に改善された。装備面では、 ASCD(オートスピードコントロール)、ステアリングスイッチがメダリストV・Gセレクションに装備された。クラブSには電動スーパーハイキャス、ABSが装着されたものが用意された。搭載エンジンはRB20E型、RB20DE型、RB25DE型およびRD28型。4気筒1.8Lは廃止となった。ビスカスLSD、リアマルチリンクサスペンション、電動SUPER HICASを採用、ディーゼルRD28型については3バルブヘッド(計18バルブ)が採用された。ミッションは5速MTがディーゼルメダリストのみに残り、ガソリン車のMT車は廃止。メダリスト系、20EクラブSはシート地がスーパーラッセル、メダリストJ・グランドクルーズはプレミアムトリコット、クラブSはグレーのエクセーヌとなる。メダリストV、クラブSはメーカーオプションで本革(グレー)が選べた。メダリストVには日産車およびこのクラスで初の自発光メーター(ファインビジョンメーター)を標準装備した。なお、歴代のローレルとしては唯一、ドアアウターハンドルの形状が一般的なフリップ式ではなく、欧州車の高級車クラスで常識的に採用されているグリップ式が採用されている。
- 5月 – RB20E型を搭載するクラブSを追加[14]、モデルチェンジで2.5リッター車のみとなっていたクラブSを2リッターにも追加する事で販売のテコ入れをはかった仕様。
- 7月 – 日産創立60周年特別記念車追加。60周年記念キーが装備された。
- 8月 – 日産創立60周年特別記念車追加。
- 1994年
- 1月 – マイナーチェンジで中期型となる[15]。メダリスト系はグリル中央にフィニッシャーが追加され、クラブS系はスポーティタイプの新形状のフロントグリル、クラブS専用フロントバンパーを採用するなど、フロント周りのデザインを一部変更。メダリスト系とクラブS系の差別化が図られた。クラブS系にRB25DET型 直列6気筒DOHC2.5L 24バルブターボエンジン搭載車を追加。これに伴いRB20DE型 直列6気筒DOHC2.0L 24バルブエンジン搭載車が廃止。メダリスト系に大きな変更はなく、メダリストJ、グランドクルーズが廃され、メダリストL、グランドサルーンが追加された。メダリスト専用フルホイールカバーがニッサン車汎用の物になるなど一部でコストダウン化が図られている。クラブS系はターボモデルが追加され、RB25DE型エンジン搭載車以外、クラブSタイプXがそれぞれに追加された。タイプX以外のクラブSはシート地に下級グレードに採用されていたプレミアムトリコットを採用。また、オーディオのヘッドユニットがローレル専用のものから1DIN汎用タイプのものになるなど、外装専用パーツを採用する代わりにコストダウンが図られている。タイプXも前期で標準装備されていた高級スエード調のエクセーヌシートがメーカーオプションとなり、専用のダブルラッセルに変更された。
- 9月 – マイナーチェンジで後期型となり[16]、外観デザインが大幅に変更された。フロント周りは、ライト、グリル、ボンネットの変更なので前・中期とバンパーは共通だが、リア周りはリアテール、バンパー形状の変更によりボディに溶接されるリアフェンダーの形状が前・中期と異なる。今回のマイナーチェンジで運転席SRSエアバッグが全車標準装備となった。ローレル初の4WD車とメダリスト系ターボ車[注釈 5]が追加。CM出演は歌手の森進一。「走ってま~す。」「いいね。いいね。」が合言葉。キャッチコピーは「ローレルのビッグチェンジ」。
- 1995年
- 1月 – 特別仕様車「クラブSセレクション」を発売[17]。クラブS(20E)をベースに、リアスポイラー、スポーツタイプアルミホイール、本革巻きステアリングホイール&シフトノブ等を追加。
- 9月 – 特別仕様車「メダリスト デュアルリミテッド」を発売[18]。メダリスト(20E)をベースに、助手席SRSエアバッグ、本革巻きステアリングホイール&シフトノブを追加。CM出演は俳優の鹿賀丈史。
- 1996年5月 – 一部改良[19]。助手席SRSエアバッグも全車標準装備となる。これに伴いステアリングホイールの形状が変更された。特別仕様車「セレンシア(Cellencia)」シリーズ(4WDを含む25ツインカム、20E、28ディーゼル)を設定。UVカットガラス、専用のフロントグリルとシート生地が装備される。また、セレンシアを含むメダリスト系のボディカラーにシルキースノーパール2トーンを追加。CM出演は引き続き鹿賀丈史、キャッチコピーは「愛しのセレンシア」。
- 1997年
- 1月 – セレンシアシリーズの装備に加えてABSを標準装備した「セレンシアSV」シリーズ(20E、25ツインカム4WD)を発売[20]。
- 5月[21] – 生産終了、在庫対応分のみの販売となる。
- 6月 – 8代目と交代して販売終了。
ハイソカーブームの終焉もあって、販売終了前月までの新車登録台数の累計は17万6724台[22]とC33型の半分強に留まった。
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前期・中期型(リア)
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8代目 C35型系(1997年 – 2003年)[編集]
- 1997年
- 6月 – モデルチェンジ[24]。スタイルは先代に対し、より傾斜の大きくなったCピラーなど、躍動感を強調したものとなった。搭載エンジンはRB20DE型、RB25DE型(以上2機種は「NEO[注釈 6]ストレート6」として改良)、RB25DET型、およびRD28型(SOHC18バルブ、C34型からのキャリーオーバー)の4機種。トランスミッションは4速ATのみ搭載。足回りはフロントがストラット式(4WD車はマルチリンク式)、リアがマルチリンク式。CM出演は俳優の佐藤浩市(ブランド終了まで。後にトヨタ・マークXのCMに出演)。型式は2000ccモデルがHC35、2500ccモデルが2WD車はGC35(SUPER HICAS仕様はGCC35)/4WD車はGNC35、ディーゼルエンジン車がSC35となる。
- 10月 – ローレル誕生30周年を記念して特別仕様車「25クラブS 30thアニバーサリー」を発売[25]。スポーティグレードの2.5L搭載「25クラブS タイプX」をベースに、30周年記念キー、本革/スエードコンビシート、運転席パワーシート、木目/本革コンビステアリングホイール、FM文字多重対応ローレルスーパーサウンドシステムCDセレクション、サイドエアバックなどを装備した豪華モデル。専用ボディカラーとしてレッドパールを設定、同色を選択した場合のみ30周年記念エンブレムも装着される。同時に、クラブSに4WD車「25クラブS FOUR」を追加。
- 12月- ローレル誕生30周年記念特別仕様車の第2弾として「クラブS 30thアニバーサリーII」を発売[26]。スポーティグレードの2.0L搭載「クラブS」をベースに、丸型4灯キセノンヘッドランプ(ロービーム)、プライバシーガラス、木目/本革コンビステアリングホイール、15インチアルミホイールなどを装備する。
- 1998年9月 – 一部改良[27]。ターボ系に積まれるRB25DET型エンジンが可変バルブタイミング機構を採用する「NEOストレート6」(280ps)へと進化。同時にRB20DE型にリーンバーン仕様を追加した。クラブSシリーズの2.5L車(4WDを除く)にマニュアルモード付オートマチック「デュアルマチックM-ATx」を採用。ボディカラーにレッドパールを追加。「25クラブSターボ タイプX」は本革/サプラーレコンビシート、リアスポイラーを標準化。「25メダリストVターボ」 / 「25メダリストV」にアクティブダンパーサスペンションのメーカーオプションを設定。
- 1999年
- 1月 – 一部仕様変更[28]。RB20DE型エンジンをリーンバーン仕様に集約。マルチAVシステムはコンパスリンク対応とする。
- 9月 – マイナーチェンジ[29]。内外装の意匠変更[注釈 7]と共に、本革シート、木目/本革コンビステアリングホイールを装備する「メダリスト プレミア」シリーズを設定。ディーゼルエンジンがRD28型から電子制御燃料噴射システムを採用したRD28E型に変更。
- 2000年6月 – 特別仕様車「メダリスト NAVIエディション」を発売[30]。2.0L「メダリスト」 / 2.5L「25メダリスト」をベースに、TV/ナビゲーションシステム、丸型4灯キセノンヘッドランプ(ロービーム)、15インチアルミロードホイールを装備する。
- 2001年
- 3月 – 村山工場での生産を終了[31]。生産拠点を栃木工場へ移管。
- 5月 – メダリストに新グレード「セレンシア」と特別仕様車「NAVIエディションII」を発売[32]。前者は2.0L「メダリスト」 / 2.5L「25メダリスト」をベースに、シート等内装に専用高級クロスを採用するとともに、2.0L車は運転席をパワーシートとした(2.5L車はベース車標準)[注釈 8]。後者は「メダリスト NAVIエディション」に、更に木目/本革コンビステアリングホイール、ファインビジョンメーター、6連奏CDオートチェンジャー等を追加したもの。同時に、低価格の「Jナビ」ナビゲーションシステムをメーカーオプションとして設定した他、ディーゼルエンジン車を廃止。
- 2002年
- 1月 – 特別仕様車「メダリスト セレンシア NAVIエディション」を発売[33]。2.0L「メダリスト セレンシア」 / 2.5L「25メダリスト セレンシア」をベースに、TV/ナビゲーションシステム、木目/本革コンビステアリングホイール、木目調オーディオフィニッシャー等を装備する。
- 7月 – グレード整理。
- 12月[34] – 平成12年排出ガス規制に対応できなかったため、生産終了。[出典無効]以後、在庫のみの対応となる。
- 2003年1月 – 販売終了。35年間のローレルの歴史に幕を閉じたが、2か月後、ローレル、およびセフィーロが開拓したマーケットを継承するかたちでティアナが登場した。
- 静岡県警察交通機動隊にパトカー仕様として覆面車が配備されていた。この車両の赤色回転灯は反転格納式ではなく、マグネット式の赤色回転灯を装備していた。また奈良県警察には警護車として反転格納式の赤色灯を装備した車両が配備されていた。
- メダリストのグレード名は後年、同社のノートで復活している。
- 販売期間中の新車登録台数の累計は10万8177台[35]
車名の由来[編集]
英語で「月桂樹」「月桂冠」の意味であり、月桂樹はギリシャ神話の気高き樹木で、月桂冠は名誉ある地位の象徴である。
注釈[編集]
- ^ 前期型の新聞広告では、フェアレディZに搭載のものと同一である旨が記されていた[5][6]。
- ^ 1979年にZ20型を搭載して復活。
- ^ セダンおよび輸出の役割は姉妹車の「セフィーロ」(輸出名:ローレルアルティマ)が担うこととなる。
- ^ 本木は後にコロナEXiVやプログレ、アルファード等のトヨペット店扱いであるトヨタ車のCMに出演。
- ^ メダリストVが25ツインカムから移行した形。フロントバンパーがクラブS用となる。
- ^ Nissan Ecology Oriented performanceの略。
- ^ 特にメダリスト系はヘッドランプが丸型4灯になった事で、従来クラブS系のみだったキセノンヘッドランプ(ロービーム)が設定される様になった。
- ^ 但し、ステアリングスイッチ(オーディオ)は省かれている。
出典[編集]
- ^ “ハイオーナーカーの先駆け、日産『ローレル』の穏やかな集い…初代“マル中”デザイントーク / プリンスの丘パレード”. Response.. (2021年4月21日) 2022年1月1日閲覧。
- ^ 太田昇『ブルーバード510とあの時代』二玄社刊(278-283ページ)
- ^ デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第75号4ページより。
- ^ デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第75号3ページより。
- ^ 日産自動車「日産ローレル(広告)」『朝日新聞縮刷版』第610巻、朝日新聞社、1972年4月、 170頁。
- ^ 日産自動車「日産ローレル(広告)」『朝日新聞縮刷版』第627巻、朝日新聞社、1973年9月、 494頁。
- ^ デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第19号11ページより。
- ^ デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第16号15ページより。
- ^ デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第14号13ページより。
- ^ デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第21号13ページより。
- ^ “ローレル(日産)1988年12月~1992年12月生産モデルのカタログ”. リクルート株式会社 (2020年1月20日). 2020年1月20日閲覧。
- ^ デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第58号5ページより。
- ^ “新型ローレルを発売” (プレスリリース), 日産自動車株式会社, (1993年1月25日) 2022年3月20日閲覧。
- ^ “ローレルに「20E クラブS」を追加” (プレスリリース), 日産自動車株式会社, (1993年1月25日) 2022年3月20日閲覧。
- ^ “ローレルにターボ車を追加” (プレスリリース), 日産自動車株式会社, (1994年1月25日) 2022年3月20日閲覧。
- ^ “ローレルをマイナーチェンジ エクステリアの高級感、車格感を向上 量販グレードにお求めやすい価格を設定” (プレスリリース), 日産自動車株式会社, (1994年9月27日) 2022年3月20日閲覧。
- ^ “ローレルの特別仕様車「クラブSセレクション(20E)」を発売” (プレスリリース), 日産自動車株式会社, (1995年1月17日) 2022年3月20日閲覧。
- ^ “ローレルに助手席SRSエアバッグシステムを標準装備した特別仕様車を追加” (プレスリリース), 日産自動車株式会社, (1995年9月5日) 2022年3月20日閲覧。
- ^ “ローレルに「セレンシア」シリーズを追加 併せてデュアルエアバッグ(運転席・助手席SRSエアバッグシステム)を全車標準装備” (プレスリリース), 日産自動車株式会社, (1996年5月20日) 2022年3月20日閲覧。
- ^ “ローレルに特別仕様車「セレンシアSV」シリーズを設定” (プレスリリース), 日産自動車株式会社, (1997年1月13日) 2022年3月20日閲覧。
- ^ “ローレル(日産)1993年1月~1997年5月生産モデルのカタログ”. リクルート株式会社 (2020年1月20日). 2020年1月20日閲覧。
- ^ デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第60号9ページより
- ^ “ローレル(1997年6月~2003年1月)”. トヨタ自動車株式会社 (2020年1月20日). 2020年1月20日閲覧。
- ^ “新型「ローレル」を発売” (プレスリリース), 日産自動車株式会社, (1997年6月23日) 2022年3月20日閲覧。
- ^ “ローレル30周年記念車を発売 あわせて、4WD車「25クラブS FOUR」を追加” (プレスリリース), 日産自動車株式会社, (1997年10月20日) 2022年3月20日閲覧。
- ^ “ローレル30周年記念車第2弾を発売” (プレスリリース), 日産自動車株式会社, (1997年12月22日) 2022年3月20日閲覧。
- ^ “「ローレル」を一部改良” (プレスリリース), 日産自動車株式会社, (1998年9月2日) 2021年12月13日閲覧。
- ^ “「ローレル」2.0L全車にリーンバーンエンジンを搭載” (プレスリリース), 日産自動車株式会社, (1999年1月2日) 2022年3月20日閲覧。
- ^ “ローレルをマイナーチェンジ メダリスト系にプレミアシリーズを追加” (プレスリリース), 日産自動車株式会社, (1999年8月31日) 2022年3月20日閲覧。
- ^ “キューブ、プレサージュなど8車種で特別仕様車「NAVIエディション」を発売” (プレスリリース), 日産自動車株式会社, (2000年6月7日) 2021年12月13日閲覧。
- ^ “日産自動車、村山工場の車両生産中止について” (プレスリリース), 日産自動車株式会社, (2001年3月29日) 2021年12月13日閲覧。
- ^ “ローレルにメダリスト「NAVIエディションII」、メダリスト「セレンシア」を追加” (プレスリリース), 日産自動車株式会社, (2001年5月28日) 2022年3月20日閲覧。
- ^ “ローレルの特別仕様車「メダリスト セレンシア NAVIエディション」を発売” (プレスリリース), 日産自動車株式会社, (2002年1月8日) 2022年3月20日閲覧。
- ^ “ローレル(日産)のカタログ”. カーセンサーnet. リクルート株式会社 (2020年1月20日). 2020年1月20日閲覧。
- ^ デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第82号9ページより。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
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