いすゞ・ヒルマンミンクス – Wikipedia

ヒルマンミンクスは、かつていすゞ自動車がルーツ自動車と提携し、CKD(完全ノックダウン生産)で製造販売していた自動車である。

トラック・バス専業メーカーだったいすゞにおいて、乗用車分野進出の先駆けとなった自動車である。なおボディの製造は当時の三菱日本重工業(現・三菱重工業)が担当していた。

ラインナップにはセダンのスーパーデラックス、スタンダードの他に、2ドアのライトバン(ワゴン型)であるヒルマンエキスプレスがあった。

日本では「ヒルマンミンクス」と続けて称されることも多いが、「ヒルマン」は元は独立メーカーの社名でルーツグループ傘下に入った後は同社の大衆車 – 中級車ブランドとなっており、「ミンクス」はヒルマンの量販車種のネームとして1930年代から30年以上にわたって用いられた、伝統ある車名である。日本でポピュラーな1956年(昭和31年)からのモデルは、レイモンド・ローウィ事務所によるスタイリングである。
2代合計生産台数は5万7729台[1]

初代 PH10型(1953年-1956年)[編集]

イギリスのルーツ自動車と提携し、ヒルマン・ミンクスMk VIを製造した。

  • 1953年(昭和28年)11月 – ヒルマン・ミンクスMk VIのCKD組み立て車を発売。
  • 1954年(昭和29年)7月 – 初めてのマイナーチェンジを行なう。
  • 1955年(昭和30年)7月 – マイナーチェンジを行ない、エンジンをSVの1,300 ccからOHVの1,400 ccに変更。
  • 1956年(昭和31年)2月 – マイナーチェンジ。

2代目 PH100型(1956年-1964年)[編集]

エンジンも改良が進み、低回転域のトルクを増し、扱いやすさが向上した。品の良いスタイリングによって当時のオーナードライバーからの人気が高く、車格上の後継モデルとなるベレルや、量販小型車(いわゆる大衆車)のベレットがそれぞれいすゞの自社開発で登場した後も1964年(昭和39年)まで長期にわたって生産された。

いすゞの生産工程における品質管理水準は当時、すでに相当高度になっていた模様で、1958年(昭和33年)4月に訪日した際にいすゞ製ミンクスを実見したイギリスの自動車評論家ロナルド・バーカーは、イギリス本国製のミンクスと比較して「日本製の方が細部の仕上げとたてつけがよいように見受けられた。」[2]と後年記述している。

  • 1956年(昭和31年)9月 – ヒルマン・ミンクスMk VIIIのノックダウン生産開始、徐々に国産化率を高め、翌年には国産化が完了。
  • 1958年(昭和33年)1月 – 一部改良。パワーアップし、スーパーDX追加。
    • 3月 – Std(スタンダード)を追加。
    • 6月 – マイナーチェンジ。ヒルマン50周年記念車ジュビリーを追加。
  • 1959年(昭和34年)10月 – マイナーチェンジで1,500 ccへ排気量アップ。
  • 1960年(昭和35年)10月 – ハイスタイルを追加。
  • 1961年(昭和36年)10月 – マイナーチェンジ。
  • 1962年(昭和37年)10月 – 一部改良。
  • 1963年(昭和38年)4月 – パワーアップ。
  • 1964年(昭和39年)
    • 4月 – 生産終了。
    • 6月 – 販売終了。

グレード構成[編集]

初代[編集]

※出典元:デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第97号4ページ。

発売 ボディタイプ 仕様 車両型式 ミッション 全長×全幅×全高 ホイールベース 車両重量 エンジン名 排気量 最高出力 最大トルク 価格
1953年11月 4ドアセダン PH10 4MT 4000x1575x1524mm 2362mm 963kg GH10 1265cc 37.5ps/4200rpm 8.0kg-m/2200rpm 102万5000円
1955年7月 4ドアセダン PH12 4MT 4112x1613x1549mm 2362mm 984kg GH12 1390cc 43ps/4400rpm 9.2kg-m/2200rpm 99万円

2代目[編集]

※出典元:デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第95号2ページ。

発売 ボディタイプ 仕様 車両型式 ミッション 全長×全幅×全高 ホイールベース 車両重量 エンジン名 排気量 最高出力 最大トルク 価格
1956年9月 4ドアセダン PH100 4MT 4076x1555x1511mm 2438mm 998kg GH100 1390cc 46ps/4600rpm 9.25kg-m/2400rpm 103万円
1958年6月 4ドアセダン スーパーデラックス
スタンダード
PH200 4MT 4076x1555x1511mm 2438mm 1050kg(スーパーデラックス)
1015kg(スタンダード)
GH100 1390cc 55ps/4600rpm(スーパデラックス)
50ps/4600rpm(スタンダード)
10.3kg-m/2400rpm(スーパデラックス)
9.35kg-m/2600rpm(スタンダード)
110万円(スーパーデラックス)
88万円(スタンダード)
1959年10月 4ドアセダン スーパーデラックス
スタンダード
PH300 4MT 4125x1555x1511mm(スーパーデラックス)
4105x1555x1511mm(スタンダード)
2438mm 1065kg(スーパーデラックス)
1030kg(スタンダード)
GH150 1494cc 62ps/4600rpm(スーパーデラックス)
60ps/4600rpm(スタンダード)
11.2kg-m/2600rpm(スーパーデラックス)
10.8kg-m/2600rpm(スタンダード)
105万円(スーパーデラックス)
83万円(スタンダード)
1963年9月 4ドアセダン スーパーデラックス
スタンダード
PH50 4MT 4140x1543x1510mm 2438mm 1065kg(スーパーデラックス)
1030kg(スタンダード)
GH150 1494cc 70ps/5000rpm(スーパーデラックス)
68ps/5000rpm(スタンダード)
11.2kg-m/2200rpm(スーパーデラックス)
10.8kg-m/2200rpm(スタンダード)
87万円(スーパーデラックス)
69万円(スタンダード)
  • ヒルマンミンクスの製造で蓄積したノウハウを投入したいすゞ・ベレルが事実上の後継車として登場した。

関連項目[編集]

  1. ^ デアゴスティーニジャパン 週刊日本の名車第95号1ページ及び第97号3ページより
  2. ^ ロナルド・バーカー「初めての日本訪問(2)」(小林彰太郎訳 Super CG29号 p57 二玄社 1995年6月)

外部リンク[編集]