マハバード共和国 – Wikipedia

マハーバード共和国
کۆماری مەھاباد
国歌: おい、敵よ
マハーバード共和国の位置
マハーバード共和国のおおよその範囲

マハーバード共和国(クルド語: Komarî Mehabad、英語: Republic of Mahabad)は、パフラヴィー朝イラン領内の西アーザルバーイジャーン州西部に1946年、ソビエト連邦の傀儡政権として短期間存在したクルド人国家。大統領はカズィー・ムハンマド英語版

マハーバード共和国という名称は首都名に由来する通称であり、公式な国名はクルディスタン共和国 だった[要出典]

前史[編集]

1941年、ソヴィエト連邦がイランに進駐。1945年8月にはイラン・クルディスタン民主党英語版[注釈 1]が成立し、イラン国家内の自治獲得を目指した。

樹立[編集]

第二次世界大戦後の1946年1月22日、南下政策を推し進めるソヴィエト連邦の後押しによってマハーバードで自治政府の樹立を宣言した。マハーバート共和国は、一方では、国外に「空間」を求めたソ連の政策によってつくられた側面があるものの、他方で、クルド人の宗教家や知識人らが政権に参加しており、民族自決を目指す運動としての側面も有していた[1]

クルド人の分離独立を認めないイラン政府は、1946年4月に北部石油開発の独占権を持つソ連とイランの共同出資会社(ソ連51%、イラン49%)を設立することを条件にソ連軍の撤退を認めさせた[1]。そして実際にソ連軍が撤退すると、イラン政府は同年12月に政府軍を投入し、12月15日にマハーバード共和国を崩壊させた[1]

1947年3月31日、カズィー・ムハンマドがマハーバードのチャハール・チェラーグ広場英語版で絞首刑となった。

注釈[編集]

出典[編集]

参考文献[編集]

  • 石井明「国際関係史」『国際関係研究入門』岩田一政、小寺彰、山影進、山本吉宣編、東京大学出版会、2003年、増補版、19–42。

    ISBN 9784130320375。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]