二都物語 – Wikipedia

二都物語』(にとものがたり、英語: A Tale of Two Cities)は、チャールズ・ディケンズの長編小説。全3巻。初版は1859年刊。

2つの都市ロンドンとパリを舞台として[1]、ダーニーとカートンという2人の青年と、無罪の虜囚の娘であるルーシーとの関係を軸に、フランス革命前後を描く。トーマス・カーライル『フランス革命史英語版』(1837年刊)に触発されて著された歴史小説で[1]、作者後期の佳作の一つ。

2008年現在までに全世界で2億冊を発行した[2]

あらすじ[編集]

第1部[編集]

マネット父娘の再会

1775年11月末の金曜日、テルソン銀行の銀行員:ジャーヴィス・ローリーは、英南部ドーバーの宿で、17歳になる直前の少女ルーシー・マネットと落ち合う。ローリーから、18年間バスティーユ牢獄に入れられていた父:アレクサンドル・マネット医師が解放されたことを聞くと、二人はともにフランス王国へ向かう。

マネット医師は、ドファルジュ夫妻の営む酒場の上で保護されており、精神を病み、牢獄の中と同様に靴を作ってばかりいた。二人は、マネット医師を英国へ連れ帰る。

第2部[編集]

ルーシーへの献身を告白するカートン

1780年3月、ロンドンのオールド・ベイリー英語版では、フランスの亡命貴族:チャールズ・ダーニーの裁判が行われていた。ダーニーはスパイの嫌疑をかけられ、フランスから英国への旅の途上に出会ったマネット父娘やローリーも証人として出席している。ジョン・バーサッドやロジャー・クライの証言で有罪の可能性が出てくるが、弁護士ストライヴァーは、彼の同僚であるシドニー・カートンとダーニーの風貌が良く似ていることを引き合いに無実を勝ち取る。マネット父娘、ダーニー、そしてカートンとストライヴァーは知己になり親交を持つ。

ダーニーは実家を訪れ、侯爵家の当主である残忍な叔父と決別し、英国で教師や翻訳家として身を立てる。残忍な侯爵は、領民に殺害される。1年後、ダーニーはマネット医師に、ルーシーに求婚する意向を打ち明けるが、本名を打ち明けることは止められる。ストライヴァーもルーシーに求婚しようとするが、ローリーがやめさせる。

そしてカートンは、怠惰で酒浸りの自分がルーシーに相応しくないと前置きした上で、彼女が自分の心を照らしたことに感謝し、「ルーシーとルーシーが愛した人のために何でもする」と誓う。程なくしてルーシーはダーニーと結婚する。やがて、ルーシーは同名の女児ルーシーの母となり、父と夫とともに愛情深い家庭を築いた。またカートンも夫妻と交流を続ける。

6年が経過した頃、フランスではフランス革命の機運が盛り上がっていた。1789年、ドファルジュ夫妻はバスティーユ襲撃の先頭に立ち、マネット医師が囚われていた牢獄にも行く。

さらに3年後の1792年8月、ダーニーはかつての召使いの身に及んだ危機を知り、家族に行き先も告げずに渡仏する。

第3部[編集]

ダーニーはパリに着くや否や、恐怖政治の中、旧貴族階級に怨嗟を抱くフランス民衆に捕らえられる。1年3か月後、ルーシーとともにフランスへ駆けつけたマネット医師の尽力により一度は釈放されたが、別の罪で再度捕らえられてしまう。

裁判で、ドファルジュ夫妻はマネット医師の獄中に隠されていた手記を公表する。その内容は、ダーニーの父と叔父:サン=テヴレモンド侯爵一族が、貧しい農民の娘を手籠めにしようと暴行し、彼女と彼女の夫、夫の弟を虐殺したものだった。そして娘の治療のために呼ばれたマネット医師が、この事件を告発しようとして逆に投獄されたことが判明する。エルネスト・ドファルジュはマネット医師の使用人であった。手記でマネット医師はエブルモント侯爵一族を激しく糾弾しており、かくして父や叔父たちの犯した暴虐により、ダーニーは死刑を宣告されてしまう。マネット医師は再び錯乱する。

復讐を果たしたテレーズは、さらにマネット父娘をも処刑台に送りこもうと画策する。そんな中、パリに来たカートンは、バーサッドの正体を暴いて弱みを握ると、ルーシー一行の脱出の手配を整えさせる。そして、ダーニーと入れ替わり、ギロチンの露と消えた。

断頭台に上る直前、カートンは、ルーシーとダーニーの間にシドニーと言う名の男児が生まれ、やがて立派な法律家となり、一族がカートンのことを語り継いでいる姿を預言した。

主な登場人物[編集]

瓜二つのダーニーとカートン
ルーシー・マネット(en:Lucie Manette
マネット医師の娘。死んでいたと思っていた父と、フランスで再会する。ダーニーと結婚し、女児ルーシーと男児(夭折)を産み幸福な家庭を築く。
アレクサンドル・マネット(en:Alexandre Manette
外科医。バスティーユ牢獄で裁判も始まらないまま18年に渡って囚われ、精神を病み、記憶もおぼろげになっていた。錯乱状態になると靴作りを始めてしまう程だったが、ルーシーの記憶は残っており、亡命した英国で健康を取り戻す。婿であるダーニーの解放に尽力するが、彼が再度投獄された際に、最初の投獄理由が判明し、再び精神錯乱に陥る。
チャールズ・ダーニー(en:Charles Darnay
フランスからの亡命貴族。裁判をカートンたちに助けられ、その際に証人であったルーシーと結ばれる。本名(フランス名)はシャルル・サン=テヴレモンド。叔父の死により、サン=テヴレモンド侯爵を継承するはずだったが、それらを放棄して英国に亡命する。かつての使用人ギャベルから救いを求める手紙を見、フランスへ向かうと、捕縛され死刑判決を受ける。
シドニー・カートン(en:Sydney Carton
弁護士。普段は酒びたりの怠惰な生活を送る。ルーシーを愛しているが、彼女への献身的な愛を告白して身を引く。法律家としてはジャッカルに例えられる。
エルネスト・ドファルジュ(en:Ernest Defarge
パリのサンタントワーヌで、夫婦で酒場を経営する。かつてはマネット医師の使用人であった。
テレーズ・ドファルジュ(en:Madame Defarge
いつも棒針編みに没頭しているが、その実、客の会話から様々な情報を得ていた。幼い頃、姉とその夫たちをエヴレモンド侯爵に惨殺され、貴族階級に激しい恨みを抱いている。
ミス・プロス(en:Miss Pross
マネット家の家政婦で、ルーシーを溺愛している。実弟ソロモンのことも溺愛しており、弟とルーシーの結婚を望んでいた。ルーシーのパリ脱出の際、時間稼ぎのためテレーズ・ドファルジュと揉み合いになり、彼女を死なせてしまう。
ジョン・バーサッド(en:John Barsad
本名はソロモン・プロスで、ミス・プロスの弟。姉の金をくすねて以降、失踪し、1793年時点ではフランス共和国のスパイになっていた。かつては英国政府のスパイだったため、カートンに弱みを握られ、ダーニーの脱獄に協力する。
ロジャー・クライ
1775年に、カレー行きの船上でダーニーに雇われた使用人で、バーサッドの知人。病死し、セント・パンクラス・オールド教会英語版に埋葬されたとされる。実は英国のスパイで、死を偽装していた。
ジャーヴィス・ローリー(en:Jarvis Lorry
テンプル銀行の銀行員。高齢になっても旺盛に働く。
ジェリー(ジェレマイア)・クランチャー(en:Jerry Cruncher
テンプル銀行の連絡員、雑用係。副業として「復活屋」をしており、土葬された死体を掘り起こして外科医に売り捌いている。妻に対して傲慢な態度を取る。
ストライヴァー(en:Stryver
カートンの同僚。法律家としてはライオンに例えられる。勘違いしてルーシーに求婚しようとするが、ローリーの助言に従って思い止まる。別の未亡人と結婚。
サン=テヴレモンド侯爵(en:Marquis St. Evrémonde
ダーニーの父の双子の弟。残忍かつ傲慢で、ベッドの上で領民に殺害される。

二都物語を題材とした作品[編集]

映画[編集]

ジャック・コンウェイ監督
カートン:ロナルド・コールマン、ルーシー:エリザベス・アラン
  • 「二都物語」 – 1957年、イギリス映画
ラルフ・トーマス英語版監督
カートン:ダーク・ボガード、ルーシー:ドロシー・テューティン英語版
クリストファー・ノーラン監督
クリストファー・ノーランは二都物語に構想を得たと語っている[3]

舞台[編集]

詳細は宝塚歌劇団によって舞台化された作品の一覧#二都物語を参照。
1985年月組にて初演。大地真央主演。
2003年花組にて再演。瀬奈じゅん主演。
  • 「二都物語」 – 2013年。時代設定を、古代の日本にアレンジ。草彅剛主演。
  • 東宝ミュージカル「二都物語」 – 東宝
2013年。2008年にブロードウェイ・シアターで上演されたA Tale of Two Citiesの日本公演版である。井上芳雄主演。
2015年。2008年にブロードウェイ・シアターで上演されたA Tale of Two Citiesの日本公演版である。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]