アルバート・ヴィクター (クラレンス公) – Wikipedia

クラレンス・アヴォンデイル公爵アルバート・ヴィクター王子(Prince Albert Victor, Duke of Clarence and Avondale、全名:アルバート・ヴィクター・クリスチャン・エドワード(英語: Albert Victor Christian Edward)、1864年1月8日 – 1892年1月14日)は、イギリス王太子アルバート・エドワード(後のエドワード7世)とその妃アレクサンドラの長男。愛称はエディ。

クラレンス・アヴォンデイル公(Duke of Clarence and Avondale)に叙され、父に次ぐ王位継承権者とされていたが、祖母ヴィクトリア女王の在位中に肺炎で急死したため、のちに弟が王位を継承しジョージ5世として即位した。

早すぎる死[編集]

1891年に、アルバート・ヴィクターはフランツ・フォン・テックの長女ヴィクトリア・メアリーと婚約したが、婚約の6週間後の1892年1月14日に肺炎により薨去。これによって弟ジョージ・フレデリック・アーネスト・アルバートは、父に次いで王位を継承しなければならなくなり、海軍も退役することとなった。ジョージは代わってメアリーと結婚し、父エドワード7世が即位すると王太子プリンス・オブ・ウェールズに叙された。

祖母ヴィクトリア女王は孫娘にあたるアリックス(ロシア皇后アレクサンドラ)との縁談を望んでいたといわれる。エディ自身もこの従妹がお気に入りだったようで、アリックスがプロポーズを拒否したとき、落胆したといわれている。

一時、切り裂きジャック事件の犯人と疑われていたことがあるほか、クリーヴランド・ストリート・スキャンダルで摘発された男娼館の顧客だったと長らく噂されており、バイセクシュアルだったと信じる人々もいる。

フリーメイソンのメンバーだった[1][2]

参考文献[編集]

  • 吉村正和『図説 フリーメイソン』河出書房新社〈ふくろうの本・世界の文化〉、2010年。

    ISBN 978-4309761480。