イレーネー・アンゲリナ – Wikipedia

イレーネ・アンゲリナ
イレーネ・フォン・ビザンツ
Irene Angelina
Irene von Byzanz
シチリア王妃
ローマ王妃
在位 シチリア王妃:1193年6月 – 12月24日
ローマ(ドイツ)王妃:1198年9月8日 – 1208年6月21日

出生 1177/81年
東ローマ帝国、コンスタンティノープル
死去 1208年8月27日
神聖ローマ帝国、ホーエンシュタウフェン城
埋葬 神聖ローマ帝国、ロルヒ修道院
結婚 1193年
1197年5月25日 アウクスブルク
配偶者 シチリア王ルッジェーロ3世
  ローマ王フィリップ
子女 ベアトリス
クニグンデ
マリア
エリーザベト
家名 アンゲロス家
父親 東ローマ皇帝イサキオス2世アンゲロス
母親 ヘリナ
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イレーネー・アンゲリナ(Irene Angelina, 1177/1181年 – 1208年8月27日)は、東ローマ皇帝イサキオス2世アンゲロスと最初の皇后ヘリナの娘。シチリア王ルッジェーロ3世妃、のちシュヴァーベン公・神聖ローマ皇帝フィリップ妃。

1193年、シチリア王ルッジェーロ3世と結婚するが、その年の12月に夫は急逝した。1194年12月、イレーネーはシチリアに侵攻したドイツ軍に捕らわれた。1197年5月、彼女はシュヴァーベン公であったフィリップとアウクスブルクで結婚式を挙げた[1]。この結婚には、フィリップの兄ハインリヒ6世の、ホーエンシュタウフェン家に東ローマ帝国に対する相続権を確保するという意図があった[2]

父イサキオス2世アンゲロスは1195年に皇帝の座から追われたが、娘婿フィリップの協力で復位した。イレーネーの兄弟アレクシオスは第4回十字軍の侵攻の間、フィリップの宮廷に滞在した。イレーネーは、1204年にコンスタンティノープルへ到着した十字軍に少なからず影響を与えていたのである。

フィリップとイレーネーには、4人の子が生まれた。

  • ベアトリス(1198年 – 1212年) 神聖ローマ皇帝オットー4世の皇后
  • クニグンデ(1200年 – 1248年) ボヘミア王ヴァーツラフ1世妃
  • マリア(1201年 – 1235年) ブラバント公アンリ2世妃
  • エリーザベト(1203年 – 1235年) カスティーリャ王フェルナンド3世妃

1208年6月21日、夫フィリップが暗殺され、同年8月27日にイレーネーも死去した。

  1. ^ 瀬原、p. 448
  2. ^ 瀬原、p. 446

参考文献[編集]

  • 瀬原義生 『ドイツ中世前期の歴史像』 文理閣、2012年