ジョージ・ムラーツ – Wikipedia
ジョージ・ムラーツ[1](George Mraz、本名:Jiří Mráz、1944年9月9日 – 2021年9月16日)は、チェコ人ジャズ・ベーシスト。現在活躍するジャズ・ベーシストの中でもすぐれた技巧を誇り、特にクラシック音楽を学んだ音感の良さと、アルコ弾き(弓弾き)の技術は非常に高く評価されている。 現チェコ共和国、ボヘミア地方南部のピーセクに生れる。一時期サクソフォーンも学んだがプラハ音楽院にてクラシックとベースを学ぶ。在学中よりチェコの一流ジャズ・グループであるチェコスロバキア・オールスター・バンドで活躍。卒業後の1966年西ドイツミュンヘンへ移住し、ジャズ・ミュージシャンとして活躍。その時期にアメリカのミュージシャンと共演し、若きジャズ・ベーシストの名はアメリカのミュージシャンの間で話題になる。1968年、バークレー音楽院特待生として渡米。その後、ニューヨークで活躍し、25歳の若さにして才能を見込まれ、オスカー・ピーターソン・トリオのレギュラー・メンバーとなる。その後もエラ・フィッツジェラルド等と共演。当時、あまりにも忙しく泣く泣くビル・エヴァンス・トリオへの誘いを断ったというエピソードがある。その後も数々のミュージシャンと共演し、1978年からはトミー・フラナガンのレギュラー・ベーシストとして活躍。フラナガンとは「Eclypso」「Thelonica」「Ballads&Blue」などの作品を残している。1992年、フラナガンの元を離れてからもフリーのベーシストとして活動。親日家で1970年代より頻繁に来日し、来日回数は50回を超える。 母国では英雄的存在とされ、2004年の60歳の誕生日はヴァーツラフ・クラウス大統領主催でプラハ城にて記念コンサートが開催され、その模様を収めたCDが発売、また、2009年の65歳の誕生日には共和国大統領栄誉賞として勲章を授与されている。 2021年9月16日、チェコ・プラハにて死去。 エピソード[編集] 本名は「Jiri Mraz」であり、初期のレコーディングなどには「Jiri Mraz」の名でクレジットされているが、英語の発音では表現が違い、母国の発音で読む「Jiri」が音として「ジョージ」にちかいため通称名を「George」に変更している。そのため、Jiri MrazもGeorge Mrazも同一人物であり、また「Jiri」名義はニューヨークでの音楽活動初期時代の貴重な音源とも言える。 また、酒豪(近年でも自らのエネルギー源と語る程)として知られ1970年代の頻繁に来日していた時は、バンドのリハーサルの前日に浴びるほど酒を飲み、翌日のリハーサルで二日酔いながらもサド・メル・オーケストラの難解な譜面を音程も外さず完璧に弾ききったと言う逸話がある。他にも、NYでギグ中に酒を飲みまくって、ステージに立つのもままならない状態で演奏をし(この時は誰かに背中を支えてもらっていたらしい)、自分のソロとなると、高音域で超絶技巧ソロをいとも容易くやってのけたというケニー・ワシントンの発言がある。 箸を使うのが上手であり、来日時の食事では箸をよく使う(和食好きでもある)。 ディスコグラフィ[編集] リーダー・アルバム[編集] 『ドリフティング』 –
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