快傑ズバット – Wikipedia
出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2014年2月) 『快傑ズバット』(かいけつズバット)は、1977年2月2日から9月28日まで、東京12チャンネルで毎週水曜19:30 – 20:00(JST)に全32話[注釈 1]が放送された、東映制作の特撮テレビドラマ、および作中に登場する変身ヒーローの名称である。「怪傑ズバット」は誤記[注釈 2]。 概要 本作品は、元々は前年より放送されていた『超神ビビューン』(NETテレビ)の後番組として企画されていたが、同時期に東京12チャンネルにて放送されていた『忍者キャプター』が打ち切りとなったため、その後番組へ変更された[2]。『ビビューン』の後番組にはテレビアニメ『氷河戦士ガイスラッガー』(テレビ朝日系列、東映・東映エージエンシー制作)が充てられた。 脚本のほとんどを執筆した長坂秀佳の独特の世界観、そして主人公・早川健を演じる宮内洋の独特の台詞回しと軟硬自在の演技などで、数々の特撮ヒーロー番組の中でも高い人気がある。宮内は本作品の終了直後、『ジャッカー電撃隊』(テレビ朝日系列)のテコ入れ策として行動隊長・ビッグワン役としてレギュラーに加わるが、役作りの上で早川健のテンションを高く持ち誇張した芝居が大きく影響したせいか、主役の4人が手下同然に見えてしまうような状態だったという。 メインライターの長坂は全32話中30話を執筆しているが、2話分(第7話と第12話)を他の脚本家に任せたのは「1年続くと思っていたので、一人では全部書けないと思ったから」とその理由を明かしている。しかし、作風の違いが目立ったため、残りは自分で書くことになった。結局32話で終了したため「そうなると最初から分かっていれば全部自分で書いた」とも語っている。 企画 本作品の企画や世界観を語る上で、小林旭主演の日活映画「渡り鳥シリーズ」が参考とされ、大きく影響していることが知られている[6][7][8][注釈 3]。また本作品の企画を立ち上げた鈴木武幸は松竹大谷図書館に通って「渡り鳥シリーズ」の台本を読むなどしたが、多忙のため、第1・2話のホン直しの時点で降板となった[9]。一方でメインライターを務めた長坂秀佳は日活の「渡り鳥シリーズ」をほとんど観たことがなく、「人に聞いた大体の雰囲気で書いた」と語っている[10][7]。 最初の企画書のタイトルは放送作品と同一であるが、「視聴者参加・スーパーヒーロー多次元ドラマ」となっており、視聴者のアイディアをもとにドラマを作る試みが考えられていた。また、早川健の名前は「高見沢冬彦」となっており、宇宙から来た地球監視員で大邸宅の御曹司という設定となっていた。番組放送開始直前の『テレビマガジン』1976年12月号では、「大募集! きみがつくる新ヒーロー」のタイトルで、複数のヒーローデザインと乗物および名前を掲載し、読者投票で正式デザインを採用するイベントも行われている。 その後、『探偵ズバット』と書かれた企画書を経て、放送内容と近い企画書が書かれた。ただし、設定の細部および登場人物の名前は異なっている。 高視聴率と早期終了 当時、東京12チャンネルが制作に関わったアニメ・特撮作品の中でも高視聴率をマークしたのが本作品であり、1977年3月9日放送分の第6話では15.5%にまで達した。しかし関連玩具が売れ行き不振のため、スポンサーだったタカトクが降板。これに伴い本作品も3クール弱の全32話で打ち切りになった[7]。脚本の長坂秀佳も、番組終了をいきなり聞かされたために理由を尋ねたところ、「数字が良すぎて終わる」と言われたという。実際、番組の人気は、制作側が設定していた年齢層より上の年代である大学生が中心で、それがキャラクター商品の不振の一因ともなった。当時の東京12チャンネルは系列局がなく(中京、近畿では独立UHF放送局がその代わりをしていた)、リアルタイムで観られなかった地域も存在した(北海道地区など)[6]。 このように早期終了となった本作品であるが、のちに1時間枠での再開を図っていたとされる[17]。 あらすじ 科学者の飛鳥五郎は、妹の勤める幼稚園へ地域掌握のため現れた暴力団・地獄組と対峙、命を狙われることとなる。しかしそこに妙な風来坊が現れた。その男は飛鳥の子供のころからの親友であり、何をやっても日本一の私立探偵・早川健。地獄組の用心棒を追い払い、親友との再会に喜ぶ早川だったが、幼稚園バスに爆弾が仕掛けられているのを発見。園児たちを無事に避難させ、飛鳥は独りバスを安全な所まで運ぶが爆発で重傷を負ってしまう。
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