Month: June 2020

マルバスミレ – Wikipedia

マルバスミレ(丸葉菫、学名:Viola keiskei Miq.[1])は、スミレ科スミレ属に分類される多年草の1種[4][5]。葉の形状に丸みがり、純白の花をつける[5]。種小名(keiskei)は、伊藤圭介への献名[6]。シノニムがViola keiskei Miq. var. glabra (Makino) W.Becker[2]で、この変種名(glabra)は「無毛の」を意味し、ケマルバスミレの変種として扱われることもある[7]。別名がケマルバスミレ[5]。 花期の草丈は5-10 cm[5]、花後の草丈は約25 cm[7]。地下茎は短い[4]。ふつう葉や葉柄に粗い毛があり[5]、葉は柔らかく、円心形、円頭、鈍鋸歯があり、基部は深い心形、長さ2-4 cm、柄の長さは2-10 cm[4]。葉の表面は緑色、裏面は淡緑色[5]。果期には葉はさらに大きくなり、柄も長くなる[4]。花は丸みがあり直径約2 cm、白色で時に淡紅紫色を帯び[5]、花柄は長さ5-10 cmで[4]まばらに開出毛が生える[8]。花期は4月上旬-5月上旬[5]。萼片は緑色-褐色で[5]、長楕円状披針形で耳に歯牙がある[4]。花弁は長さ10-14 mm、側弁は無毛または少し毛があり、唇弁には紫条が入る[4]。距は長さ6-7 mm[4]。花柱の上部は張り出してカマキリの頭形[5]。丸い果実は熟すと3つに分かれ、舟型の果皮が乾燥すると、中の種子を両側からはさみ、その圧力で弾き飛ばす[9]。種子の一部に小さな白い部分があり、これがアリが好むエライオソームで、アリが種子を運ぶ[9]。 葉に鈍鋸歯があり、基部は深い心形 花は白色、唇弁には紫条が入り、側弁の基部に毛がある

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プロピオフェノン – Wikipedia

プロピオフェノン(Propiophenone)は、アリールケトンである。無色で甘い香りの液体で、水には溶けないが有機溶媒とは混合する。他の化合物の合成に用いられる。消防法による第4類危険物 第3石油類に該当する[1]。 プロピオフェノンは、プロピオン酸とベンゼンのフリーデル・クラフツ反応により生成する。また、商業的には、酢酸カルシウムとアルミニウムの存在下、450-550℃で安息香酸とプロピオン酸をケトン化することで生産される[2]。 C6H5CO2H + CH3CH2CO2H → C6H5C(O)CH2CH3 + CO2 + H2O ルートヴィヒ・クライゼンは、α-メトキシスチレンを300℃で1時間加熱すると、プロピオフェノンが生成することを発見した(収率65%)[3][4]。 医薬品や有機化合物を合成する際の中間体となる[5][6]。また、カチノンやメトカチノン等のエフェドリン系やプロピオフェノン系の誘導体、フェニルプロパノイド等のアリールアルケンの合成に用いられる。プロピオフェノンは、デキストロプロポキシフェンやフェンメトラジンの前駆体にもなる[2]。 花のような香りを持つため、香水の成分にもなる。 ^ 法規情報 (東京化成工業株式会社) ^ a

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内藤正敏 – Wikipedia

この存命人物の記事には検証可能な出典が不足しています。信頼できる情報源の提供に協力をお願いします。存命人物に関する出典の無い、もしくは不完全な情報に基づいた論争の材料、特に潜在的に中傷・誹謗・名誉毀損あるいは有害となるものはすぐに除去する必要があります。出典検索?: “内藤正敏” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2018年10月) 内藤 正敏(ないとう まさとし、1938年4月18日[1] – )は、日本の写真家、民俗学者。元・東北芸術工科大学大学院教授[2]。日本民俗学会会員[1]。見世物学会評議委員。 東京都大田区蒲田出身[1]。1961年、早稲田大学理工学部応用化学科卒業[1]。在学中より写真を制作。1961年倉敷レイヨン(現・クラレ)中央研究所入社[1]。1962年フリーとなる[1]。 1963年、出羽三山で修行[3]。1966年には羽黒山伏の入峰修行を行う[3]。以降、東北地方の民間信仰や民俗を中心とした撮影活動を展開。 2001年、東北芸術工科大学東北文化研究センター教授[2]。2006年~2013年3月まで、同大学院教授[2]。 1963年 カメラ芸術新人賞「白色矮星」 1963年

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派生文法 – Wikipedia

派生文法(はせいぶんぽう)は、用言の活用がない日本文法である。アルタイ言語学者の清瀬義三郎則府が提唱した。 この文法論は、「言語とは(意味を伴った)音声である」(“Language is (meaning-bearing) sound.“)との一言を出発点として成ったもののようである[1]。 類型論的には、日本語は膠着語、すなわち「実質的意味を表す語幹に文法的意味をもつ接辞が付着して文法的機能を果たす言語」に分類されており、印欧諸言語のような屈折語ではない。そのような特徴をもつ日本語でも、用言だけは活用(屈折)していると一般に信じられている。しかし清瀬は、膠着語である日本語の中に、用言のような「屈折する」品詞が存在するのは全く不可解であるという認識を示し、こうした矛盾をどのように解釈すべきであろうかという問題を追求した結果、「日本語の用言は活用していない」という結論を導き出した。 学界への最初の発表は、1969年12月27–30日に、アメリカのコロラド州デンバー市で開催されたアメリカ近代語学会 (Modern Language Association of America) の年次大会において、「日本文法に於ける無意味な活用形 (Meaningless Conjugational Forms in Japanese Grammar)」と題し、口頭でなされた[2]。日本語での発表は、同じく清瀬による論文「連結子音と連結母音と――日本語動詞無活用論[リンク切れ]」(『国語学』86集、1971年、42–56頁)が最初である[2]。 一般に動詞がその含有する意味や機能を変えるには活用と派生とがあるが、この文法論では日本語の「活用」(語形の内部変化)を否定して「派生」だけを認める。これが派生文法と呼ばれるゆえんであろう。その理論は、海外では東西の主として日本語学者に、国内ではさらに日本語の形態素解析に携わる工学系の研究者にも、「活用のない文法」として受入れられているようである[3]。

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7aum Arivu – Wikipedia

7aum Arivu 監督 A・R・ムルガダース 脚本 A・R・ムルガダース 製作 ウダヤニディ・スターリン(英語版) 出演者 スーリヤシュルティ・ハーサン(英語版)ジョニー・チー・グエン(英語版) 音楽 ハリス・ジャヤラージ(英語版) 撮影 ラヴィ・K・チャンドラン(英語版)ラヴィ・ヴァルマン(英語版)[1] 編集 アンソニー 製作会社 レッド・ジャイアント・ムービーズ(英語版) 配給 レッド・ジャイアント・ムービーズ

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レッドシャツ – Wikipedia

レッドシャツ(赤シャツ、赤服、redshirt)は、ストックキャラクターのひとつで、登場してすぐに死んでしまう役を示す。テレビシリーズ『宇宙大作戦(スタートレック)』で赤いシャツを着た保安部員がたびたび殺されることが語源であり[1]、レッドシャツの死はメインキャラクターらが直面する危険を表現することに使われる。 『宇宙大作戦(スタートレック)』において、主人公に随行する赤い制服を着た保安部員、技師たちが着陸してすぐ死ぬことがよくある[2]。最初にレッドシャツが登場したのは第1シーズン第7話の『コンピューター人間』[3]。そのシリーズでは死んだ乗組員59人のうち実に43人(全体の73%)が赤いシャツを着ていた[4]。『スタートレック:ディープ・スペース・ナイン』に関する本『Legends of the Ferengi』では、宇宙艦隊の保安部員は「第2幕まで生き延びているのは稀」としている[5]。2009年のリブート作『スター・トレック』でグレッグ・エリス扮するオルソンが早々と死ぬが、オリジナル・シリーズへのオマージュとして赤い服を着ていた[6]。 他のメディアでも、「レッドシャツ」という語と赤い服を着ているキャラクターは、死や不幸を運命づけられた使い捨てキャラクターに使われるようになった[7][8] 『スター・トレック』のパロディ映画である『ギャラクシー・クエスト』ではレッドシャツのパロディに当たるガイ・フリーグマン(サム・ロックウェル)が登場する[9]。 ジョン・スコルジーのヒューゴー賞 長編小説部門およびローカス賞 SF長編部門受賞作『Redshirts: A Novel with Three Codas』はレッドシャツのパロディ本である。 『Redshirt』というPCゲームもある[10]。 関連項目[編集] ^ Bly, Robert

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堀親義 – Wikipedia

この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。出典検索?: “堀親義” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2018年3月) 堀 親義(ほり ちかよし)は、江戸時代後期の大名。信濃飯田藩の第11代藩主。信濃飯田藩堀家12代。 文化11年(1814年)1月28日、第10代藩主堀親寚の次男として生まれる。幼い頃から病弱な上、凡庸だったために父から嫌われ、廃嫡されかけたこともあったという。しかし紆余曲折の末に弘化3年(1846年)、父の隠居により家督を相続した。 父と同じように幕閣入りし、嘉永6年(1853年)に奏者番に就任、文久3年(1863年)に寺社奉行に就任、元治元年(1864年)に講武所奉行に就任した。しかし元治元年(1864年)11月、水戸藩の武田耕雲斎率いる天狗党が領内に侵入、留守を預かる家臣は城を固めるのみで攻撃を加えず、美濃国に通じる清内路関所をそのまま通過させ、幕府追討総督の田沼意尊の逆鱗に触れた。そのため同年12月に幕府は親義に対し、講武所奉行の解任と2000石を減封を命じ、清内路関守衛の任務は高遠藩に移された。また、親義は藩主として家臣たちの処罰を行ったものの、不満も強く、藩内に大きなしこりを残すことになった。家臣から藩主の押込の意見も出るようになる。 慶応2年(1866年)5月、大坂警備のために上坂、同年10月に京都見廻役を命じられる。慶応4年(1868年)1月、元家臣の讒言により、徳川慶喜に通じているとして家老石沢らを明治政府に捕えさせた。家臣団は抗議、反発し、親義を隠居させることになる。同年2月、病気を理由に隠居届を提出、同年3月に隠居を許可された。隠居した親義は領地に戻り、謹慎することになる。明治10年(1877年)9月6日、養子親広の隠居により、再び家督を相続する。明治11年(1878年)10月5日、再び隠居し、養子親篤(細川興貫の次男)に家督を譲った。明治13年(1880年)9月20日に死去した。享年67。 人物・逸話[編集] 「ケチ大名」と言われた。どの大名でもよほどの理由がない限り、古くなった自らの衣服を家臣などに下げ与えるのが当たり前であったが、親義は家臣に下げ与えることを決してせず、飯田の土蔵には古着屋と思われるほどの親義の古着があったという。 嘉永元年(1848年)に父・親寚が死去する寸前、親寚は愛妾の春との間に生まれた子に対して鎧と太刀を遺品として与えた。しかし父が死去すると、親義はその遺品を強引に奪い取る暴挙を行ない、春は親義を恨みながら自殺したという。

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リジェ・オートモーティブ – Wikipedia

リジェ・オートモーティブ(Ligier Automotive)は、様々な国際大会に出走するプロトタイプレーシングカーを専門としたレーシングカーの設計・製造・販売を行なうフランスの会社である。 前身のオンローク・オートモーティブは2012年にジャック・ニコレによって、彼のレーシングチームであるオーク・レーシングのレースカーの設計・製造・販売部門を独立会社として分社化する形で設立された[1]。オンロークはギ・リジェと合意を結んで、オンローク製の新しい開発車両の車名にリジェ(Ligier)の冠号を付けるようにした。 2018年12月、親会社エバースピードのブランド変更と再編成の一環として、名称をリジェ・オートモーティブに変更されることが発表された[2]。 前身のオンローク・オートモーティブのルーツは、2007年にペスカロロ・スポールが設計したル・マン・プロトタイプのペスカロロ・01の製造継続とオーク・レーシングとの共同開発をするという内容で、2009年12月にペスカロロ・スポールの製造部門をオーク・レーシングが引き継ぐ合意をした時点まで遡る。オーク・レーシングは当時「ソルニエ・レーシング」というチーム名であったが、2008年にペスカロロ製レースカーの顧客となり、ル・マン・シリーズに2台のレースカーを参戦させた[3]。ペスカロロ・スポールが管財人による管理下に置かれた時、オーク・レーシングが結局唯一の開発会社となり、そのレースカーは「 オーク・ペスカロロ (OAK-Pescarolo) 」の名で販売活動が行われた。 2012年に、新しく発効されるル・マン・プロトタイプのレギュレーションに合わせる為に、各チームは既存のレースカーを新設計の車に交換するか、レギュレーションに適合させた改良をチームが所有する車に施すか、いずれかの対応を求められることになった。オンロークは、既存のペスカロロのシャーシに新設計の開発を加えた車を作り、新レギュレーションに適合した車を求める他のチームに販売を実施した[1]。オンロークはモーガンと提携を結び、LMP1カーには「 オーク・ペスカロロ 」 の名前を保持しながら、新設計の異なるLMP2カーにモーガンの冠名を付け、「モーガン・LMP2」としてブランド化した[4]。 2013年中に、オンロークは、グループCN用のプロトタイプレーシングカーのリジェ・JS 53の進化版の開発と販売を援助する提携をギ・リジェと結び、2014年にリジェ・JS 55の名で知られる運転席がクローズド・タイプの発展型を設計した[5][6]。 この提携の合意は、2014年初頭にオンロークが設計して完全に独力で製造した新しいLMP2カーの命名権にも拡大されて適用され、その車両は「リジェ・JS P2」と名付けられた[5]。オンロークとリジェは、2015年にヨーロピアン・ル・マン・シリーズに新設されたLMP3クラス用の新シャシー 「リジェ・JS P3」をJS P2と合わせてサポートしている[7]。

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イズヒメエイ – Wikipedia

イズヒメエイ(学名: Dasyatis izuensis )は、トビエイ目アカエイ科に属する海水魚。伊豆半島で得られた標本をもとに1988年に新種として記載され、現在までのところ生息が確認されているのは日本沿岸のみである。成熟個体の体盤幅は70 cmに達し、アカエイなどの近縁種に似るが、尾がやや短いといった種々の特徴から識別される。採捕例が少ない稀種であり、その生態には未解明の点が多い。 イズヒメエイはトビエイ目のアカエイ科アカエイ属Dasyatis に分類される[2][3]。 本種は1988年に北海道大学の西田清徳と仲谷一宏によって、日本魚類学会の発行する『魚類学雑誌』において新種として記載された。本種の和名、および学名の種小名izuensis は、タイプ標本が得られた伊豆半島に由来する[4]。この時は8個体の標本に基づいて記載が行なわれ、そのうちホロタイプ(正基準標本)は体盤幅42 cmの成熟したオスの個体であった[4][5]。 背面から見たイズヒメエイ。尾部は写真下側に折り返されている。 概要[編集] 本種の体盤幅は40 cm程度から、最大で70 cmに達する。体盤は菱形で、その幅は長さよりもわずかに大きい。体盤前縁はほぼ直線で、後縁はやや丸みを帯びる。体盤の前端はわずかに突出し、吻は丸みをおびてわずかに突出する。眼は中程度の大きさで、その後ろに大きな噴水孔がある。腹面の鼻孔の間には白色で短い皮槢(隆起線)がある。上顎には35-41の、下顎には37-39の歯列がある。歯列は敷石状の配列をなし、歯はメスや未成熟個体と比較して、オスではやや尖っている。口底には5列の乳頭突起がある。腹鰭は幅広く三角形である。尾は鞭状になり、体盤とほぼ同じ長さで、背面には1本から2本の尾棘(毒棘)がある[4][6]。棘には普通オスでは6.8 cm程度、メスでは7.9 cm程度で、112-130程度の鋸歯をもつ[7]。尾部に背面には黒色で短い隆起線がある。体盤は小棘がなく円滑であるが、成体では棘の手前と体盤の背面項部正中線上に1列に並ぶ小棘を持つものもみられる[4][6]。 体色は体盤の背面で黄土色で、眼の間と尾部の後端3分の2はやや暗色になる。腹面は白色で、辺縁は褐色または黄色に縁取られる[4][6]。 類似種との比較[編集] アカエイ属の他の種と比べると尾が短いのが特徴である。また、腹面にある皮槢は本種では白色だが、同属のアカエイでは黒色になる[6]。

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