鳥取県立米子工業高等学校 – Wikipedia

鳥取県立米子工業高等学校(とっとりけんりつ よなごこうぎょうこうとうがっこう, 英: Tottori Prefectural Yonago Technical High School)は、鳥取県米子市に所在する県立の工業高等学校である。略称「米工」。

歴史
1923年(大正12年)に開校した「鳥取県立工業学校」(実業学校)を前身とする。2013年(平成25年)に創立90周年を迎えた。
設置課程・学科
全日制課程 5学科(各科定員 38名)

  • 機械科
  • 電気科
  • 情報電子科
  • 環境エネルギー科
  • 建設科 建築コース 土木コース
校章
校歌
歌詞は3番まであり、各番に校名の「米子工業高校」が登場する。
制服
2003年(平成15年)より、男女とも、グレーのブレザーにネクタイ、チェック柄の標準ズボン(男子)、プリーツスカート(女子)となっている。改定前は、男子は標準学生服(いわゆる学ラン)、女子は、黒に近い紺地に白線三本、紺のネクタイのセーラー服であった。男子は制服の襟の部分、女子はポケット部分に、校章及び科のマークのバッジを付けていた。
同窓会
「米工会」と称されている。東京、関西、東海、県内各地に支部を持つ。また「華の会」と称される出身女子の会も存在する。校内に同窓会館(米工会館)があり、1階は食堂・購買、2階には和室二部屋があり、部活動の合宿や、茶道部の部活動に使用されている。
設立にいたる経緯
  • 1919年(大正8年)12月13日 – 通常鳥取県会に「県立工業学校設置に関する件」が意見書として提出され、議案となる。
  • 1920年(大正9年)12月18日 -「米子町に県立工業学校設置に関する件」が意見書として提出され、議案となる。
  • 1921年(大正10年)
    • 3月 – 鳥取県会より内務大臣・鳥取県知事宛に意見書が提出される。
    • この年度 – 次年度(大正11年度)県費予算に、設立の経費が計上される。
  • 1922年(大正11年)
    • 6月 – 「鳥取県立工業学校」が設立が認可される。
    • 10月 – 初代校長に竹下俊夫が着任。
    • 11月 – 書記に足立重孝が採用される。
    • 12月 – 鳥取県立米子高等女学校(鳥取県立米子西高等学校の前身)の玄関右側の看護室を借用し、県立工業学校の開校事務を開始。
工業学校時代
  • 1923年(大正12年)
    • 3月 – 本館が完成。
    • 4月1日 – 「鳥取県立工業学校」が博労町四丁目220番地(現在地)に開校。機械電気科・応用化学科の2学科を設置。
      • 機械電気科50名・応用化学科30名の入学が許可される。
    • 5月25日 – 開校式を挙行し、以後この日を開校記念日と制定。
  • 1934年(昭和9年)6月30日 – 「鳥取県立米子工業学校」と改称。
  • 1938年(昭和13年)3月31日 – 第二本科・機械科の設置が認可される。
  • 1939年(昭和14年)4月14日 – 電気科の設置が認可される。
  • 1940年(昭和15年)1月25日 – 電気機械科を機械科に改編。
  • 1943年(昭和18年)4月20日 – 鳥取県立米子機械工養成所を併設。
  • 1946年(昭和21年)3月1日 – 第二本科、鳥取県立米子機械工養成所を廃止。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 – 学制改革(六・三制の実施、新制中学校の発足)
    • 工業学校の募集を停止(1年生不在)。
    • 新制中学校を併設し(名称:鳥取県立米子工業学校併設中学校、以下・併設中学校)、工業学校1・2年修了者を新制中学校2・3年生として収容。
    • 併設中学校はあくまで経過措置として暫定的に設置されたため、在校生が2・3年生のみ(1年生不在)の中学校であった。
    • 工業学校3・4年生はそのまま工業学校に在籍し、その4・5年生となる(4年修了時点で卒業することもできた)。
新制工業高等学校
  • 1948年(昭和23年)4月1日 – 学制改革(六・三・三制の実施、新制高等学校の発足)
    • 工業学校が廃止され、新制高等学校「鳥取県立米子工業高等学校」が発足。全日制課程 工業科を設置。
      • 工業学校卒業生(5年修了者)を新制高校3年生、工業学校4年修了者を新制高校2年生、併設中学校(3年修了者)を新制高校1年生として収容。
      • 併設中学校は新制高校に継承され(名称:鳥取県立米子工業高等学校併設中学校)、在校生は1946年(昭和21年)に工業学校へ最後に入学した3年生のみとなる。
  • 1949年(昭和24年)
    • 3月31日 – 併設中学校を廃止(旧制4・5年から新制3年への修業年限の移行が完了)。
    • 4月1日 – 高校三原則に基づく鳥取県内公立高等学校の再編が行われ、総合制高等学校「鳥取県立米子西高等学校」の工業科となる。
      • 島根県立米子第一高等学校(旧制中学校を前身とする男子校)・島根県立第二高等学校(高等女学校を前身とする女子校)の2校と統合された。
      • 土木科を設置。
  • 1952年(昭和27年)4月1日 – 「電波通信科」を設置。
  • 1953年(昭和28年)4月1日 – 鳥取県立米子西高等学校より工業に関する学科が分離し、「鳥取県立米子工業高等学校」として独立(総合制を解消し設置)。
  • 1963年(昭和38年)4月1日 – 新設の鳥取県立境港工業高等学校[1]が校舎完成までの間、併設される。
  • 1964年(昭和39年)2月20日 – 鳥取県立境港工業高等学校[1]の新校舎が完成し、併設を解消。
  • 1973年(昭和48年)9月4日 – 鉄筋コンクリート造4階建ての新校舎が完成。
  • 1976年(昭和51年)4月1日 – 電波通信科を「電子科」に改編。
  • 1984年(昭和59年)
  • 1990年(平成2年)4月1日 – 機械科のうちの1学級を「電子機械科」に改編。
  • 1991年(平成3年)4月1日 – 工業化学科を「材料科学科」に、電子科を「情報電子科」に改編。
  • 1992年(平成4年)4月1日 – 機械科を廃止。
  • 2003年(平成15年)4月1日 – 学科の改編を実施。
    • 制御系3学科(メカトロニクス科・パワーエレクトロニクス科・コンピュータテクノロジー科)と環境系2学科(環境テクノロジー科・環境デザイン科)の5学科。
  • 2006年(平成18年)4月1日 – 学科の改編を実施。
    • 機械科・電気科・情報電子科・環境エネルギー科・建設科の5学科。
    • 上記のうち建築科は旧・鳥取県立境港工業高等学校[1]より移管される。
  • 2011年(平成23年)2月 – 新校舎が完成し、移転を完了。

学校行事[編集]

学校祭
米工祭」と呼ばれている。文化の部が2日間、体育の部が1日間、計3日間にわたり9月下旬から10月上旬に開催される。各クラスがユニフォームを制作する。かつてはクラスごとに張り子を制作するのが伝統であったが、2000年代に入り学校の造改築が進むと校地が狭くなり(グランド部分に校舎が建てられ、老朽化した校舎部分の一部を取り壊してグランドにするため)、張り子は制作されなくなった。
なお、体育祭では、33人リレー(仮称。人数は毎年変わる。その年度に一番生徒数の少ないクラスに合わせる。)が行われ、学年ごとのクラス(学科)対抗で、一人100mの、クラスのほぼ全員参加のリレーとなる。なお、女子生徒には15mのハンデが与えられる(女子は85m、クラスの最初に走る。女子が複数人出場する場合、そのクラスの始めに女子が続けて走る。)
球技大会
毎年秋に行われる。競技は固定しておらず、毎年、生徒会にて決定する。
強歩大会
毎年秋に行われていたが、1990年代末頃より行われなくなった[要出典]
応援練習
新入生に対して4月中の1週間、生徒会(應援團)による応援練習が行われていた。指導される曲目は、校歌、応援歌2曲である。この応援練習を乗り越えて真の米工生になったと言われる。以前は、竹刀・木刀等が使用されていたが、應援團による応援練習の在り方が問題視されるようになったため、1990年代末頃より、木刀・竹刀等は使用されなくなり、2000年代に入り、応援練習そのものが行われなくなった[要出典]
運動部
文化部

著名な出身者[編集]

卒業生
指導者

関連項目[編集]

外部リンク[編集]