羽根町 (岡崎市) – Wikipedia

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羽根町(はねちょう)は、愛知県岡崎市の町名。丁番を持たない単独町名であり、19の小字が設置されている。

岡崎支所管内に位置し、東西2つの飛地に分かれる。東側は美合町・緑丘・庄司田・羽根東町・羽根北町・戸崎町・不吹町に接する。西側は羽根北町・羽根東町・柱曙(一点だけ)・柱町・柱・羽根西新町・羽根西・中田町・戸崎町に接する部分と、上和田町・城南町・江口・中田町に接し、西側を占部川が流れている部分(羽根町字五反畑)がJR線のガード(JR羽根ガード)部分を介して繋がっている。

河川[編集]

湖沼[編集]

  • 羽根大池
  • 長池
  • 鰻池
  • 二子池

小字[編集]

東側
  • 字小豆坂(あずきざか)
  • 字池脇(いけわき)
  • 字鰻池(うなぎいけ)
  • 字大池(おおいけ)
  • 字北乾地(きたかんじ)
  • 字陣場(じんば)
  • 字若宮(わかみや)
西側

世帯数と人口[編集]

2019年(令和元年)5月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]

人口の変遷[編集]

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国勢調査による人口の推移

小・中学校の学区[編集]

市立小・中学校および県立全日制高校普通科[注釈 1]に通う場合、学区は以下の通りとなる[13]

額田郡羽根村を前身とする。

地内の小豆坂は、二度の小豆坂の戦いの舞台となった[14]。戦国時代、もしくはそれ以前と思われる領主の名が記された古文書がある。別の古文書によれば、天文9年(1540年)に織田家が安祥城を攻撃した際に、城主松平広忠に味方してよく戦った松平忠次に褒賞として与えられる。さらに別の古文書によれば、天正5年(1577年)に徳川家康が松平伊昌に与えた。また、当時は羽(禰の左側が示)郷と称した。田中吉政の支配を経て岡崎藩領となる。

1871年(明治4年)の廃藩置県により岡崎藩は岡崎県の一部となったが、その年のうちに額田県となり翌年には愛知県に編入された。

町名の由来[編集]

古代は土師部の在地であり、埴土が出土していたことに由来するとされる。

沿革[編集]

史跡[編集]

  • 小豆坂第3号墳
  • 小豆坂第4号墳
  • 小豆坂第5号墳
  • 小豆坂第6号墳

1990年から2010年にかけて区画整理が行われ、西南部の岡崎駅に隣接する地区で商業が盛んに行われている。東部の自動車部品工場や駅周辺の鋳物工場が近年撤退し、羽根町字小豆坂3番地のクラタ産業の工場跡地にウイングタウン岡崎が建設された。

行政施設[編集]

金融機関[編集]

教育[編集]

その他[編集]

ギャラリー[編集]

鉄道[編集]

路線バス[編集]

道路[編集]

日本郵便[編集]

  • 集配担当する郵便局は以下の通りである[20]
注釈
  1. ^ 全県学区の専門学科・総合学科・定時制・通信制は瀬戸市など尾張地区の県立高校への通学も可能。
出典

参考資料[編集]

  • 『角川日本地名大辞典 23 愛知県』「角川日本地名大辞典」編纂委員会、角川書店、1989年3月8日(日本語)。ISBN 4-04-001230-5。
  • 『日本歴史地名体系第23巻 愛知県の地名』有限会社平凡社地方資料センター、平凡社、1981年(日本語)。ISBN 4-582-49023-9。
  • 『新編岡崎市史 総集編 20』新編岡崎市史編さん委員会、1993年。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]


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