比嘉大吾 – Wikipedia

比嘉 大吾(ひが だいご、1995年8月9日 – )は、日本のプロボクサー。第42代OPBF東洋太平洋フライ級王者。元WBOアジアパシフィックバンタム級王者。元WBC世界フライ級王者。沖縄県浦添市出身[2]。志成ボクシングジム(旧Ambition GYM)所属。かつては白井・具志堅スポーツジムに所属していた。

2018年2月4日のモイセス・フェンテス戦で15試合連続KO勝利を収め、連続KO勝利数の日本記録に並ぶと共に、デビュー戦からの連続KO勝利数で日本新記録を樹立した[3]。入場テーマ曲は「ゴジラのテーマ」。以前は白井・具志堅ジム元会長の具志堅用高と同じで、メイナード・ファーガソンの「Conquistador」(征服者)。マネジメント会社はトラロックエンターテインメント[4]

沖縄県浦添市出身で[2]、浦添市立仲西中学校を卒業。父親が少年野球の監督であることから小学校、中学校と野球に熱中し、甲子園出場を目指して高校でも野球を継続するつもりが、2011年2月11日に井岡一翔がオーレイドン・シスサマーチャイを破り世界王座を獲得したWBC世界ミニマム級タイトルマッチの中継を琉球放送で観戦し、試合が早く終わったため放送された、沖縄出身で元WBA世界ライトフライ級王者の具志堅用高が強豪をバッタバッタと倒すKOダイジェストに心を奪われ、「ボクシングをやろう」と決意した[5]。比嘉が幼い頃に離婚後、離れて暮らしていた父親に相談すると元プロボクサーで沖縄県立宮古工業高等学校ボクシング部監督の知念健次を紹介され、知念の下でボクシングを学ぶべく宮古島へ渡り、沖縄県立宮古工業高等学校に入学した[5]

宮古工業高に入ると知念から「とにかく攻める」スタイルを伝授された[6]。高校時代は3年次の2013年第68回国民体育大会(東京都)で少年の部フライ級でベスト8が目立った成績であった[6]

高校卒業後はオリンピック日本代表選手を目指して大学進学を希望していたが、ボクシング部の顧問が、具志堅が経営する白井・具志堅スポーツジムの宮古島応援会会長でもあったため[7]具志堅に比嘉の名が伝わり、国体終了後に比嘉をスカウトするべく具志堅自身が宮古島へ訪問するなどしたことからプロ入りを決意し、2014年1月20日に白井・具志堅ジムへ入門することを発表した[5][8]

プロ転向後の2014年6月17日に後楽園ホールで、タイのセーンゲン・サックナロンを相手に51.5kg契約4回戦を行い、初回50秒KO勝ちを収めデビュー戦を白星で飾った[9]。その後5戦して全てKO勝ちで6連勝。

2015年7月24日にバンコクでWBC世界フライ級ユース王座を懸けてコンファー・CPフレッシュマートと対戦し、7回1分2秒TKO勝ちを収め王座獲得に成功した[10]

WBC世界フライ級ユース王座を2度防衛したのちに返上し、2016年7月2日に後楽園ホールでOPBF東洋太平洋フライ級王者のアーデン・ディアレと対戦し、4回2分39秒KO勝ちを収め王座獲得に成功した[11]

2016年11月5日にフェリペ・カグブコブ・ジュニアと対戦し、4回2分55秒KO勝ちを収めOPBF王座の初防衛に成功した[12]

2017年2月4日に後楽園ホールでディオネル・ディオコスとノンタイトル10回戦を戦い、4回2分29秒TKO勝ちを収めた[13]

世界王座獲得[編集]

2017年5月20日に有明コロシアムでWBC世界フライ級王者のフアン・エルナンデスに挑戦し王座獲得を目指したが、エルナンデスが前日計量で200グラム体重超過して王座を剥奪され[14][15]、比嘉が勝てば新王者となりエルナンデスが勝てば王座が空位となる条件で試合は行われ、比嘉が6回2分58秒TKO勝ちを収め王座獲得に成功した[16][17]。6月8日にWBCは比嘉を2017年6月度の月間優秀選手賞に選出した[18][19]

2017年10月22日に両国国技館でWBC世界フライ級5位のトマ・マソンと対戦し、デビュー戦から14連続KO勝ちとなる7回1分10秒TKO勝ちを収め、初防衛に成功した[20][21]。11月9日にWBCは比嘉をWBCの2017年11月度の月間優秀選手賞に選出した[22][23]

2018年2月4日に沖縄県立武道館で元世界2階級制覇王者でWBC世界フライ級9位のモイセス・フェンテスと対戦し、初回2分32秒KO勝ちを収め、2度目の防衛に成功すると共に15戦連続KO勝ちの日本タイ記録を樹立した[24][25]。2月12日にWBCは比嘉をWBCの2018年2月度の月間優秀選手賞に選出した[26][27]

沖縄での防衛戦から僅か2か月後の4月15日、横浜アリーナで同級2位のクリストファー・ロサレス(ニカラグア)を迎えて3度目の防衛戦を行う予定が組まれていたが、試合前日(4月14日)に実施された計量の1回目でリミット(50.8Kg)から900gオーバーとなり、再計量のため2時間の猶予を与えられたが制限時間30分前に具志堅が計量ギブアップを宣言したことにより規定により比嘉は王座を剥奪された[28]。なお、日本人世界王者がウエートオーバーにより王座を剥奪されたのは比嘉が初めてとなった[28]。当日は試合開催の条件として設定された55.3kgを試合12時間前の午前8時に実施された計量でクリアしたものの[29][30]、夜の試合では減量失敗の影響から、精彩を欠いた内容となり、9回1分14秒でセコンドがタオルを投げ入れ(試合棄権アピール)、TKO負けが宣せられた。この結果、比嘉はプロ16戦目での初黒星を喫し、狙っていた16戦連続KO勝ちの日本新記録も樹立することが出来なかった[31][32]。この計量失敗の失態を受け、JBCは4月25日、比嘉にプロライセンス無期停止処分と復帰する場合に1階級以上転級させることを義務付け、具志堅ジムには管理責任を問い戒告処分とすることを決めた[33][34]

ライセンス停止処分解除[編集]

2019年9月27日、比嘉と所属ジムの具志堅会長がJBCへ処分解除を申し入れ、JBCの倫理委員会で処分解除の方向性が確認された。倫理委員会は、既に1年5か月が経過したことや、比嘉が階級を上げて復帰に備えてきたことを考慮したという[35]

2019年10月3日、JBCは比嘉のボクサーライセンス無期限停止処分を解除したと発表した[36]

2019年11月11日、WBCがランキングを更新し、バンタム級7位にランクインした。

2020年2月13日、後楽園ホールにて119ポンド(約53.97キロ)契約のノンタイトル8回戦で、フィリピン・バンタム級11位のジェイソン・ブエナオブラと1年10か月ぶりの復帰戦を行った。2回には左ストレートをもらう場面もあったが、6回にボディーへの連打で2度ダウンを奪い、6回2分25秒TKO勝ちを収めた[37]。試合後には、「2年休んでまたかと思われるかもしれないが、自分に期待していない自分もいる。夢を追って東京に出て来た当時の闘争心が今の自分にはない。それがない限り、チャンピオンになるのは無理」と複雑な胸中を吐露し[38]、「今後こんな気持ちだったらやっても意味ないので、ファンが熱狂的で本人がこうだったら意味がない。このままモチベーションが上がらなかったら辞めようとも思っているし。これからいろいろ考えます」と語った。

2020年3月13日、比嘉が具志堅ジムに契約更新しないと意思表示し、ジムを離れることになった[39]。待遇のほか、練習や試合に臨む体制などで折り合いがつかなかったという[40]

2020年6月28日、トラロックエンターテインメント株式会社は比嘉とマネジメント契約を締結したと発表した[4]

2020年6月30日、Ambition GYMに所属することが発表された[41]

2020年10月26日、後楽園ホールで日本バンタム級13位の堤聖也と対戦し、10回1-0(96-94、95-95×2)で引き分けとなった[42]

2020年12月31日、大田区総合体育館でIBF世界バンタム級9位・WBO世界同級14位でWBOアジアパシフィックバンタム級王者のストロング小林佑樹とタイトルマッチを行い、5回45秒KO勝ちを収め、王座を獲得した[43]

2021年2月11日、国立代々木競技場で開催のチャリティーボクシングイベント『LEGEND』で世界3階級制覇王者・井上尚弥と対戦した[44]

2021年4月24日、沖縄コンベンションセンターでWBOアジアパシフィックバンタム級5位の西田凌佑と対戦し、12回0-3(110-118、111-117×2)で判定負けを喫し、王座から陥落した[45]

獲得タイトル[編集]

  • アマチュア: 45戦36勝(8KO)8敗
  • プロ:20戦17勝(17KO)2敗1分

関連項目[編集]

外部リンク[編集]