松井三郎 – Wikipedia

この項目では、政治家について説明しています。環境工学者については「松井三郎 (環境工学者)」をご覧ください。 松井 三郎(まつい さぶろう、1946年10月6日 – )は、日本の政治家。 静岡県小笠郡大須賀町助役、静岡県庁生活文化部ワールドカップ推進室室長、静岡県庁総務部防災計画室室長、社団法人静岡県建設産業団体連合会専務理事、静岡県議会議員(2期)、掛川市長(3期)などを歴任した。 生い立ち[編集] 1946年10月6日、静岡県小笠郡掛川町(のちの掛川市)にて生まれた[1]。掛川市立第一小学校、掛川市立東中学校を経て、静岡県立掛川西高等学校に進学した[1]。高等学校卒業後は、上京して早稲田大学に進学し、政治経済学部の政治学科にて学んだ[1]。 大学卒業後は、静岡県庁に入庁した[1]。企画調整部の秘書課にて調整主幹を務めたのち、環境文化部の環境企画課にて企画調整主幹を務めた[1]。その後、静岡県小笠郡大須賀町(のちの掛川市)に出向することとなった[1]。大須賀町においては助役に就任するとともに、大須賀町農業委員会の会長なども務めた[1]。静岡県庁に戻ってからは、生活文化部の国体準備室にて参事を務めたのち、ワールドカップ推進室の室長を経て、総務部の防災計画室にて室長を務めた[1]。 2001年3月、静岡県庁を退職した[1]。その後は、土木建設業者などによって構成される静岡県建設産業団体連合会の専務に就任した[1]。なお、静岡県建設産業団体連合会は「建設産業の社会的・経済的地位の向上を図ること」[2]を目的とする社団法人(のちに一般社団法人に移行)である。そのほか、掛川アーバンルネサンス研究会においては、その代表幹事を務めた[1]。 政治家として[編集] 2003年4月、静岡県議会議員選挙に掛川市選挙区から立候補し、初当選を果たした[1]。2007年4月には、2期目の当選を果たした[1]。その後、静岡県議会議員を辞職し、2009年4月に掛川市長選挙に立候補し[1]、現職の戸塚進也を破り、初当選を果たした。以降、2021年4月の市長選挙に立候補せず退任するまで3期務めた[1]。 政策・主張[編集] 協働のまちづくり[編集] グローバル化、多様化する社会を背景に、行政だけによるまちづくりではなく市民・地域・市民活動団体・企業など多様な主体による「協働のまちづくり」を理念に市政運営に取り組む。 経済・産業[編集] 土木建設業界 静岡県職員を経て、土建業者のための業界団体である静岡県建設産業団体連合会専務となるなど[1]、土木建設業界のための政策に明るい。

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矢崎新二 – Wikipedia

瑞宝大綬章矢崎新二 会計検査院長 任期1994年4月12日 – 1996年9月27日 任命者 細川内閣 前任者 中島隆 後任者 疋田周朗 個人情報 生誕 (1931-09-28) 1931年9月28日(90歳)長野県 出身校 東京大学法学部 矢﨑 新二(やざき しんじ、1931年(昭和6年)9月28日[1] –

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鍵 – Wikipedia

鍵(かぎ、鑰、キー、Key)とは、錠(ロック、Lock、扉などを閉ざす目的で取り付けられている機器)を解錠操作により開閉するための器具[1]。錠前(じょうまえ)は錠(じょう)とそれと対となっている鍵(かぎ)をセットにしたものの総称をいう[1]。 典型的な鍵(右図)は、錠の鍵穴に差し込まれる個々に形状の異なるブレード部分と、鍵穴には入らず手でつまんでブレードを回転させるのに使う頭部から成る。ブレード部は一般に一つまたは少数の特定の錠にしか合わない。 錠は固定を行う機構の側であり、鍵はそれを開閉するための道具である。建築物や自動車の扉に使われているほか、自転車[2]、金庫、スーツケース、机の引き出し、鞄など幅広い場所に設置されている。自動車のエンジン始動スイッチも、かつては錠前の形をとってる場合がほとんどだった。 鍵および錠前には、要求される形状パターンの多さから切削加工が多用されるため、加工性と適度な硬度、耐食性により耐久性もある黄銅が多用される。現代の鍵は耐久性を高めるためニッケルめっきされた鈍い銀色のものが多いが、古くなって磨耗したり、切削で仕上げられている歯の端面は黄銅の地金が露出する。鉄板のプレス加工で作った鍵もあるが、パターンが限定されるため廉価な自転車用の鍵(英語版)のようなセキュリティ性の低いものに限られる。 扉を閉ざして固定する錠は締まり機構と鎖錠機構で構成される[1]。締まり機構とは閂(かんぬき)の横棒のように扉などの開閉を阻止するための機構をいう[1]。また鎖錠機構とは錠を操作して扉などを開閉する資格を持つ者が操作しているか判断する機構をいう[1]。錠前によっては合わせ数字などで開閉を行うため、鍵と錠前が一体のようになっている物もあり、これを符号錠という。携帯電話などで実用化されている生体認証技術も、広義の鍵に当たるといえる。 鍵等により扉や窓の錠を締めること(または締めた状態)を施錠という[1][3]。また、鍵(合鍵)など正規の方法で扉や窓の錠を開けることを解錠という[1][3]。なお、「開錠」と書く場合は多義的であり、(解錠と区別して)本来の方法によらずに錠を開けることをいう場合と[1]、鍵による解錠や破錠などを広くまとめていう場合がある[3]。 比喩としての鍵[編集] イベントやテレビ番組において主催者から自動車が贈られる場合には象徴的に自動車の鍵を模した大型のパネルが用いられることがある。これは鍵がなければ車が動かないことから、鍵を車の所有権の象徴として扱うものである。ほかに、何かの問題を解く際の重要ポイントを指して「鍵」という使用例がある。生物の同定に用いる検索表の英名もkeyである。 世界[編集] 詳細は「錠前」を参照 鍵の歴史は古く、世界で最も古い鍵はエジプト錠と呼ばれる木製の鍵で、紀元前2000年頃には存在していたといわれ[4]、壁画にも描かれている[5]。それ以前は紐を複雑な結び目で結んで鍵の代わりとしていた。 また、中世都市の城門の鍵は都市の象徴であった。その名残で、現在でも姉妹都市の提携をするときには、鍵を交換する。 ルイ16世の趣味は鍵と錠を制作することであった。 アメリカ合衆国では、植民地時代から鍵を権力の象徴とする見方があった。ウィリアム・ペンが1682年にデラウェアを訪れたとき盛大な式典が行われ、そこで彼は防衛の仕事を任されたことを象徴する鍵を与えられた[6]。 金属製の平らな鍵は20世紀初頭から広く使われるようになり、鍵を複製する機械が登場するとそのような鍵は容易に複製できるようになった。 日本[編集] 日本で最古の鍵とされるのは、1998年に野々上遺跡(大阪府羽曳野市)から出土した7世紀中頃と推定される海老錠である[7]。飛鳥京跡苑池でも7世紀後半のものと見られる海老錠が出土しているほか[8]、正倉院にも唐から伝わったと思われる海老錠が納められている。海老錠は古風に「魚鑰」(ぎょやく)ともいうが、錠前は元々「鎖」「鑰」「鎰」の一字でも表記された。地方を治める国府では、国司の印と正倉の鑰が、令制国統治の証明とされていた。又、「鎖」は「錠前」という字義から、「閉ざす」行為を意味する字にもなっている(例 : 鎖国、封鎖)。江戸時代には、庶民にとって鍵はほとんど必要のないものだった。当時の治安は比較的よかった上に、用心する際はほとんど心張り棒で戸締りをしていたからである。鍵をかけるのは当時の金持ちが蔵にかけるぐらいであったが、その鍵は手で簡単に開けられるようなものなど、防犯の意味をあまり成さず、ほとんど飾りだけのようなものが多かった。ただし、城門の|閂(かんぬき)には頑丈な錠前が備え付けられていた。なお、蔵などには雨戸などで用いられる落とし錠[9]が用いられることもあった[10]。 武器の需要が減り、仕事が減った刀鍛冶ら武器職人によって、和錠と呼ばれる手の込んだ造りの錠前が作られるようになった。阿波錠(徳島県)、土佐錠(高知県)、因幡錠(鳥取県)、安芸錠(広島県)などが著名とされる[11]。 現代の日本では、6月9日が「ロックの日」とされている[2]。

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ラブシック (漫画) – Wikipedia

『ラブシック』は、モリエサトシによる日本の漫画作品。『花とゆめ』(白泉社)にて短期連載(2008年20号から22号、2009年2号から4号)を経た後、同誌にて2009年8号から同年22号まで連載された。 あらすじ[編集] 復讐の為、亡き父を陥れた理事長が運営する学園に男として転入した吉岡色。彼女は、医師だった父の元患者であり、トップクラスの家柄と完璧な容姿から学園の人気を四分する王司弥春、森宮奈都、京本秋治、京本冬治を頼るが、彼らはそれぞれ秘密の奇病に罹患していた。 登場人物[編集] 吉岡 色(よしおか しき) 主人公。汚名を着せられ失意の内に死んだ父の復讐を果たすべく、怨敵である理事長が運営する学園に転入した。その際に性別および経歴を偽っており、男装時は八敷光伸(やしきみつのぶ)を名乗る。目的達成の為、王司弥春、森宮奈都、京本秋治、京本冬治(いずれも後述)の助力を仰ぐ。 王司 弥春(たかつかさ みはる) 通称ハル。王司グループの御曹司。もの静かで優しい寡黙な青年。全てにおいて完璧で、特に武術に長けている。6年前に色と会っており、当時の彼女の純粋さと優しさに救われて以来恋い慕っている。 母親につけられた胸の傷だけが治癒しない奇病に罹患している。 森宮 奈都(もりみや なつ) 通称ナツ。かつては実家の企業広告にモデルとして出演していた美少年だが、無邪気を装って他人を攻撃することを好む。 体温が上がると体に異様な模様が浮き出る奇病に罹患している。模様自体に害はないが接触感染する。 京本 秋治(きょうもと

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三重県立南伊勢高等学校南勢校舎 – Wikipedia

三重県立南伊勢高等学校南勢校舎(みえけんりつみなみいせこうとうがっこうなんせいこうしゃ)は、三重県度会郡南伊勢町船越2926-1にある公立高等学校。 南伊勢町立南勢中学校と連携型の中高一貫教育を実施している。校舎制の三重県立南伊勢高等学校には南勢校舎のほか、度会校舎がある。三重県立高等学校条例上は、南勢校舎が「三重県立南伊勢高等学校」の本校とされ、度会校舎は三重県立南伊勢高等学校の度会分校とされている[1]。三重県教育委員会発行の『学校名簿』では、度会校舎に分校を表す「○」印が付与されている[2]。ただし、2020年(令和2年)の生徒数は南勢校舎が3学級40人に対し、度会校舎が6学級141人と、本校より分校の方が多い状態になっている[2]。 設置学科[編集] 設置学科:全日制課程 普通科(進学コース・情報関連コース・生活文化コース) 1948年(昭和23年)8月 – 五ヶ所町立三重県五ヶ所高等学校として開校。 1949年(昭和24年)4月 – 三重県に移管される。 1955年(昭和30年)4月 – 三重県立南勢高等学校に改称。 2004年(平成16年)4月 – 三重県立南伊勢高等学校に統合されて南勢校舎となる。 2008年(平成20年)4月 – 三重県立南伊勢高等学校南島校舎を吸収。

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ビッグシングルターボ – Wikipedia

この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。出典検索?: “ビッグシングルターボ” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2015年5月) この記事には独自研究が含まれているおそれがあります。問題箇所を検証し出典を追加して、記事の改善にご協力ください。議論はノートを参照してください。(2015年6月) ビッグシングルターボとは、ターボチャージャーを用いた自動車エンジンチューニングにおいて、当該エンジンの適正容量を超えたターボチャージャーを1台採用することを言う。また、この手法によってチューニングされたエンジン特性や車両の運転特性を指す場合もある。 エンジンは、排気量によりその大小が区別されるように、ターボチャージャー(T/C)の容量は風量などにより大小が区別される。自動車メーカーが、市販過給エンジンにおいてT/Cを選定する場合は、一般的に中低速域から過給を始められる容量のT/Cを選定する。この場合、エンジンが最大馬力発生回転数に達する以前に、T/C自体の排気抵抗や過給圧制御などで仕事量が頭打ちになる。そこで、標準的な容量よりもあえて大型の物を選定し、過給開始回転数を上げ、T/Cの過給仕事量とエンジン回転数それぞれのピークを一致させるチューニング手法がビッグシングルターボである。 この手法はT/Cを2台使っては実現しにくく[1]、スカイライン GT-Rに搭載されているRB26型等のツインターボエンジンを、あえてこの手法でチューニングすることがあり、呼称にはシングルと付く。この手法でチューニングされたエンジンの多くは、ターボラグが大きく高回転に向けて急峻にパワーが立ち上がる、扱い辛いいわゆる「ドッカンターボ」特性になりやすい。さらに、T/Cだけでなくエンジン内部も強化しなければ十分に機能しないため、金銭的な負担が大きい。上記のような理由から、0-400m加速を争うドラッグレース等の特別な用途が一般的である。また、インタークーラーを前置きに改造する場合、ドッカンターボになりやすいと言われる。 ^ T/Cを2台に分散すると、それぞれの容量は小さいものになり、エンジン高回転時に吸入抵抗や排気抵抗になり得る。 関連項目[編集]

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青山正明 (法曹) – Wikipedia

この存命人物の記事には検証可能な出典が不足しています。信頼できる情報源の提供に協力をお願いします。存命人物に関する出典の無い、もしくは不完全な情報に基づいた論争の材料、特に潜在的に中傷・誹謗・名誉毀損あるいは有害となるものはすぐに除去する必要があります。出典検索?: “青山正明” 法曹 – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2013年2月) 青山 正明(あおやま まさあき、1937年(昭和12年) – )は、日本の裁判官、弁護士。元福岡高等裁判所長官。神奈川県出身。 1963年(昭和38年)判事補任官。甲府地家裁所長、東京高裁判事部総括、東京家裁所長を経て、2000年(平成12年)福岡高裁長官に就任。福岡高裁判事妻ストーカー事件の令状コピー問題の責任者として、分限裁判により戒告処分を受ける。 2002年(平成14年)に定年退官後は弁護士となり、国地方係争処理委員会委員長や桐蔭横浜大学法科大学院教授等を務めた。2007年(平成19年)の秋の叙勲で瑞宝重光章を受章した。 1960年(昭和35年) 司法試験第二次試験合格 1961年(昭和36年) 東京大学法学部第一類卒業

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ヘレス・サーキット – Wikipedia

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ロックウッド・スミス – Wikipedia

アレグザンダー・ロックウッド・スミス(英語: Alexander Lockwood Smith、1948年11月13日 – )は、ニュージーランドの元政治家。 ルアワイ高等学校、オークランド・グラマー・スクール卒業。マッセー大学卒業後、コモンウェルス奨学金を得て、オーストラリアのアデレード大学でPh.D.取得(動物科学専攻)。アデレード大学ではボート選手として活躍しボート大会では5度の王者に輝く。 マッセー大学講師を経て、子供向けクイズ番組のテレビ司会者になる。その後、ニュージーランド乳製品評議会(現在のフォンテラ)マーケティング部門に勤務する。 政治活動[編集] 1984年の議会総選挙にカイパラ選挙区より出馬し初当選。1996年に小選挙区比例代表併用制の導入によりカイパラはロドニー選挙区に地区変更。隣接するアルバニー選挙区は国民党の重鎮ドン・マキノンの選挙区であり、保守派支持層の厚い地域であることから1996年の総選挙ではロドニーより出馬し以降、同地区の議席を保持している(マキノンは比例名簿入り)。 1990年に教育大臣に就任(1996年まで)。国民党の教育報道官時代(野党時期)に、大学生の学費引き下げを公約に挙げていたが、大臣就任後は政府から大学への助成金比率を変更、学費は事実上値上げされた。また、学生手当て(家計収入に比例)が大幅に減額されたことから、訪問先のカンタベリー大学では大規模な抗議活動が行われた。 1996年に農業大臣に就任。その後、貿易大臣、観光大臣を務め、1999年のアジア太平洋経済協力(APEC)では貿易大臣としてシンガポールとの経済緊密化提携の交渉に合意(2000年に締結)。1999年の総選挙で当選を果たすもニュージーランド国民党は野党に転落。野党議員として外務、商務、移民担当報道官を務める。 2008年の選挙中、マールボロ・エキスプレス紙とのインタビュー取材で、アジア諸国と太平洋諸島からの季節労働者に対し“(太平洋諸島出身の中には)トイレやシャワーの使い方を教えないといけない者もいる” “アジア系労働者の(果実の)摘み取りが早いのは手が小さいから”と発言。マオリ党からは人種差別主義者と強烈に批判され、ヘレン・クラーク首相(当時)も“馬鹿げた発言”と痛烈に批判した。スミスは発言内容は自らの主張ではなく果樹園経営者たちから聞いた話であるが、不適切で気分を害する発言であったことを謝罪した。ジョン・キー国民党党首もスミスの謝罪は適切であると発言内容を認めた。スミスは次期移民担当大臣への就任が確実視されていたが、キーはこの発言を踏まえスミスを国会議長職へ起用した。 2011年に議長を再任されたが、2012年に国政からの引退を表明。2013年2月に最終演説を行い議会を去る。国政での活動期間は29年。ニュージーランドの政治史では当選回数が最も多い政治家の一人である。2013年3月25日に駐英高等弁務官(駐イギリス大使)に就任。 教育大臣時代に訪問した学校でマッセー大学在学時の交際相手と偶然再会し、その後交際に発展。2009年7月に結婚した。 外部リンク[編集]

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タッジー・マッジー – Wikipedia

『タッジー・マッジー』は、山口美由紀による日本の漫画作品。『花とゆめ』(白泉社)にて1992年から1994年にかけて連載された。コミックスは花とゆめコミックスより全6巻、白泉社文庫より全3巻。 前作『フィーメンニンは謳う』から引き続き主要登場人物としてシルヴィが登場し、地続きの作品であるが、ストーリー上の直接のつながりはない。ジャンルとしては同じファンタジー作品であるが、「フィーメンニンは謳う」は異世界を主な舞台としていたのに対して、本作は人間の世界を舞台としており、対となる関係にあると言える。 あらすじ[編集] 田舎町・モーゲンに引っ越してきたロッテには、人に言えない秘密があった。それは自分が魔女であること。小さい頃からその力のために迫害され、時間は少女のまま止まってしまい、15歳からは一人家を出て隠れるように各地を転々としていたのだった。モーゲンでも早々に大家のカロリーネと孫のリヒトにバレてしまうが、二人はロッテが魔女であることを受け入れる。そんな中、ロッテは妖精の世界からやって来た青年・シルヴィと出会う。彼は人間の世界にやってきた妖精・マリーンを追ってやってきたのだが、そのマリーンは心はロッテの中に入り込んで出られなくなっており、体は行方不明という状態だった。マリーンの体がモーゲンの町にあるらしいことがわかり、ロッテは体探しに協力することになる。 モーゲンにはかつて町に住んでいたという魔女・ルルーの伝説が残っていた。町の住人達とトラブルを起こし殺されたルルーは、眠りについた精霊達とともに復活するという予言を残していた。ロッテ達によるマリーンの体探しと時を同じくして動き出すルルー。ロッテはルルーから町を守るため魔法の修行を始めるが、ロッテがあこがれる数学教師・ザヴィニーとその助手・ルーイにシルヴィは疑いの目をむける。 自らの目的のためルルー騒動を起こし、ロッテ達を利用しようとするザヴィニー。だがルルーの死の真実と予言の意味が明らかになった時、ザヴィニーは救われ、モーゲンはかつてのように人間と精霊達が共存出来る町へと変わったのであった。 主な登場人物[編集] ロッテ 本名はシャルロッテ・グリューン。外見はローティーンの少女だが、これは無意識のうちに魔法の力で時間を止めていた(単に不老なのではなく、髪がのびたりもしない)ためで、本当の年齢は70歳。魔女であることを隠すため、各地を転々としていたところをモーゲンの町に引っ越して来た。モーゲンでの家は町の外れにある一軒家だが、これはかつて魔女・ルルーが住んでいた家だった。 かつて母と暮らしていた時にハーブの使い方を覚え、自家製のハーブ製品を売って生計を立てている。ただし、魔力のせいで効き目が通常のハーブ製品よりも強い。また、ロッテのハーブティーを飲んだ人間が(本来通常の人間には見えないはずの)シルヴィの姿を見ることができるようになったり、ハーブキャンドルで真の姿が映し出されたりと、特殊な効力も発揮する。それ以外にも多くの魔法が使えるが、対象が花柄になるなどの副作用が現れていた。 当初は魔法の力を捨てたがっていたが、ルルーから町を守るために魔法の修行をする。ルルーのことを知る中で魔女の力を受け入れられるようになり、ルルー騒動の解決とともに時間も動き出し、最終回では成長したロッテの姿が描かれた。 シルヴィ ロッテの前に現れた、人間と妖精の血をひくクォーターの青年。「フィーメンニンは謳う」から引き続き登場。元々はマリーンを連れ戻すために人間の世界へやってきた。ザヴィニーがルルー騒動の黒幕であることに早くから勘づいていた。戦いの中でロッテを守りたいという気持ちが芽生える。酔うと脱ぎ上戸になる。 マリーン シルヴィに追いかけて来てもらいたいという気持ちと、シルヴィに人間の世界を見せたいという想いから、人間の世界にやって来た妖精。予想外のダメージを受けたため、心だけロッテの中に入り込んで休養していたところ、今度は逆にロッテの中から出られなくなってしまった。行方不明となった自分の体を探すため、ロッテの寝ている間に体を乗っ取っていたが、自分の存在を知られてからはロッテのウサギのぬいぐるみをベースとした体に意識を移して仮の体として使うようになる。 最初はシルヴィ一筋だったが、後にリヒトに惹かれるようになる。 事件解決後に体を取り戻すが、衰弱が激しかったため、妖精の世界へと帰っていった。 リヒト・ヘルダー ロッテの家の大家であるカロリーネの孫。学校では名うてのプレイボーイでファンも多い。ロッテが魔女であることを初めから受け入れ、協力する。最初のうちはロッテを気に入っていたが、後にマリーンに惹かれるようになる。 本当はカロリーネの実の孫ではなく、チコリに自らの計画を手伝わせようと考えたザヴィニーが、その交換条件として、娘夫婦を亡くして独りぼっちになっていたカロリーネのために作った人形だった。カロリーネを初め町の住人達は、ザヴィニーの術によりリヒトがカロリーネの実の孫であると信じている。この事実を知ったリヒトは一度はマリーンやカロリーネの元に帰るのをためらうが、マリーンの呼びかけに応じ、カロリーネの元に「孫」として帰る。

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