泥江町 – Wikipedia
泥江町(ひじえちょう)は、かつて愛知県名古屋市中村区に存在した地名である。
町の範囲[編集]
中村区名駅四丁目北東角に「泥江町」という交差点がある[3]。東西方向の愛知県道68号名古屋津島線(通称桜通)と南北方向の名古屋市道江川線が交差する地点であるが、ここから南西方向へと斜めに名古屋市道泥江町線が伸びている[4]。この道路を中心に設定されていた町が泥江町であり、東は泥江町交差点から、西は名駅通との交差点付近までがその町域であった[5]。西側から順に1丁目・2丁目・3丁目が設置されていた[5]。
西は笹島町、北は堀内町・米屋町、南は西柳町、東は花車町・小鳥町に接する[5]。
町名の由来[編集]
沖積低地を意味する「泥地」(ひじち)という語に由来するとされる[6]。
当地は元々愛知郡広井村に属する地域であったが、名古屋駅(1886年設置)へ通ずる駅前道路が1885年(明治17年)ごろに完成すると町ができた[7]。1889年(明治22年)7月1日、広井村の一部をもって「泥江町」が設置され、同時に設置された周辺の笹島町・北禰宜町とともに当時の名古屋区に属し、さらに同年10月1日の市制施行で名古屋市泥江町となった[8]。ただし泥江町の起立時期を1898年(明治31年)とする資料もある[6]。1908年(明治41年)4月1日の区制実施(4区制)では西区に属し、1944年(昭和19年)2月11日には中村区へと編入された[1]。
泥江町は名古屋駅の東、柳橋中央市場のある西柳町の北に立地することから通運会社・倉庫会社・トラック会社などが集まった[6]。1937年(昭和12年)に名古屋駅が北へ移転すると泥江町の道路は裏通りとなるが、戦後になると中経ビル(中部経済新聞社ビル=1962年完成)をはじめオフィスビル建設が進んだ[6]。
1977年(昭和52年)10月23日、中村区名駅一丁目・三丁目・四丁目にそれぞれ編入され泥江町の町名は消滅した[1]。
現在の名古屋市営地下鉄桜通線国際センター駅周辺が該当する。
市電[編集]
名古屋市電に町名が付された「泥江町」という停留場があった。柳橋方面から明道町・浄心町方面へ至る路線の途中にあり[9]、市道江川線上、泥江町交差点を挟んで南側に北行線の、北側に南行線の停留場がそれぞれ立地した[10]。泥江町停留場は1901年(明治34年)2月19日の押切線開通に伴い設置[11]。路線廃止に伴い1971年(昭和46年)4月1日付で廃止された[11]。
参考文献[編集]
- 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳』7号(東海)、新潮社、2008年。
ISBN 978-4-10-790025-8。
- 『角川日本地名大辞典 23 愛知県』「角川日本地名大辞典」編纂委員会、角川書店、1989年3月8日(日本語)。ISBN 4-04-001230-5。
- 住宅地図協会『名古屋市全商工住宅案内図帳』中村区、住宅地図協会、1965年。
- ゼンリン『ゼンリン住宅地図』名古屋市中村区、ゼンリン、2018年11月。ISBN 978-4-432-46540-8。
- 名古屋市計画局『なごやの町名』名古屋市計画局、1992年3月31日(日本語)。全国書誌番号:93012879。
- 名古屋市役所『名古屋市史』地理編、名古屋市役所、1916年。NDLJP:950897。
関連項目[編集]
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