玉山古墳 – Wikipedia

玉山古墳(たまやまこふん、玉山1号墳)は、福島県いわき市四倉町玉山にある古墳。形状は前方後円墳。福島県指定史跡に指定されている。 福島県では第3位、東北地方では第4位の規模の古墳で[注 1]、4世紀中葉(古墳時代前期)頃の築造と推定される。 福島県東部の浜通り地方、仁井田川北岸の支丘陵先端の平坦面に築造された大型前方後円墳である。現在は山麓に建立された至宝山金光寺の裏山になり、墳丘南側は墓地利用されて大きく改変を受けている。これまでに2004-2007年度(平成16-19年度)にいわき市教育委員会による発掘調査が実施されている。 墳形は前方後円形で、前方部を西方に向ける。墳丘は後円部では3段築成であるが、前方部では旧状不明瞭で段築不明。墳丘長は112メートルを測り、福島県では第3位、東北地方では第4位の規模になる[注 1]。墳丘表面では葺石が認められる一方、埴輪は認められず、墳丘周囲では周溝も認められていない。主体部の埋葬施設は未調査のため明らかではない。出土遺物としては二重口縁壺(底部穿孔壺)等の土器片がある。 この玉山古墳は、出土土器より古墳時代前期後葉-末葉の4世紀中葉頃の築造と推定される。当時は東北地方南部で古墳が大型化する時期とされ、時期差はあるが本古墳と同等規模の会津大塚山古墳(福島県会津若松市、114メートル)・遠見塚古墳(宮城県仙台市、110メートル)との関連性が指摘される。また梵天山古墳(茨城県常陸太田市)から本古墳の地域までは大型古墳の空白地であるとともに、本古墳は大型・3段築成・葺石という要素を持つことから、被葬者はヤマト王権と結びついて交通の要衝である当地を押さえ、一帯を広域的に支配した様子が示唆される。 古墳域は1980年(昭和55年)に福島県指定史跡に指定されている[3]。 来歴[編集] 宝暦年間の『至宝山金光寺縁起』に、金光寺北山に開山上人ゆかりの品の埋葬の旨の記述。墳丘上には宝暦13年(1763年)銘の供養塔が所在。 1940年(昭和15年)、佐久良春彦による紹介。 1979年(昭和54年)、測量調査。 1980年(昭和55年)3月28日、福島県指定史跡に指定[3]。 2004-2007年度(平成16-19年度)、範囲確認の測量調査・発掘調査(いわき市教育委員会、2009年(平成21年)に報告書刊行)。 古墳の規模は次の通り(2004-2007年度(平成16-19年度)の調査値)。 墳丘長:約112メートル 後円部 – 3段築成。 直径:約60メートル

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カラビナ・イン・ブルー – Wikipedia

『カラビナ・イン・ブルー』(carabiner in Blue)は、毎月第3月曜日の21:00 – 21:59に放送されている、京都リビングエフエム(84.5MHz)の番組。メインパーソナリティーは徳重英子。 京都市伏見区のコミュニティーFM局・京都リビングエフエム(愛称エフエムはちよんご)にて、「あなたのブルーな心(ハート)に寄り添いたい」をテーマに2015年2月2日に第1回目の放送開始。 番組開催の経緯[編集] カラビナ・イン・ブルー(第一章) 2014年春頃より番組の準備を開始し、2015年2月より、毎週月曜の21:00から21:29までの30分番組としてスタート。 2014年5月からは、放送を隔週(第一、第三月曜)の30分番組と変更した。 2016年6月20日を最後に、全37回に及んだ放送が一旦終了。 カラビナ・イン・ブルー(第二章) 2017年4月17日より、番組を毎月第三金曜日の放送、放送時間は21:00から21:59までの1時間枠として放送再開。 2017年8月21日の放送後、徳重の体調不良を理由に番組を一時休止。 副腎不全を克服し2018年に放送再開した。 番組の内容[編集] この節の加筆が望まれています。 番組メインパーソナリティーの徳重英子のHPには、番組のコンセプトを下記のように説明している。 carabiner カラビナは登山に使うあのカラビナ。命綱を固定し着脱する留め具のことです。

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高雄多功能経済貿易園区 – Wikipedia

高雄多功能経済貿易園区(高雄多機能経済貿易園区) 多功能経貿園区 各種表記 繁体字: 高雄多功能經貿園區 簡体字: 高雄多功能经贸园区 拼音: Gāosyóng Duōgōngnéng Jīngmàoyuánqū 通用拼音: Gāoxióng Duōgōngnéng Jīngmàoyuáncyū 注音符号: ㄍㄠ ㄒㄩㄥˊ ㄉㄨㄛ ㄍㄨㄥ

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岩山 (芝山町) – Wikipedia

岩山(いわやま)は、千葉県山武郡芝山町の大字。郵便番号は289-1608[3] 芝山町の西部に位置する。東西に飛び地が存在している。 周辺の三里塚、東三里塚(成田市)、大里、飯櫃、山田、朝倉、牧野、御料(富里市)、南三里塚(成田市)、本城と隣接する。 成田国際空港の南側にあり、空港関連施設が多数ある。 岩山は江戸時代から農業を営む集落(古村)であった。 芝山町編入前は千代田村、岩山村に属していた。 空港建設時に三里塚闘争(成田空港問題)が発生し、岩山でも岩山鉄塔(団結小屋)が建設され、鉄塔の一部除去を巡って東山事件が発生している。 世帯数と人口[編集] 2017年(平成29年)4月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]。 小・中学校の学区[編集] 町立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。 道路[編集] バス[編集]

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イベリア・アナーキスト連盟 – Wikipedia

イベリア・アナーキスト連盟(スペイン語: Federación Anarquista Ibérica、FAI)は、 スペインにおけるアナーキズム(アナルコ・サンディカリズム、無政府共産主義)の戦闘組織である。全国労働組合(Confederación Nacional del Trabajo(CNT)) 内の関連組織で活動する。両組織の密接な関係から、CNT-FAIと略されることも多い。FAIは、定期刊行物『大地と自由(Tierra y Libertad)』を発行している。 その名前にイベリアとあるのは、汎イベリア組織として、スペインとポルトガルにおけるアナーキストの連携を目指すことを意味するからである。FAIの会合には、ポルトガル・アナーキストユニオン(União Anarquista Portuguesa)やポルトガルの全国労働組合(Confederação Geral do Trabalho)のメンバーも参加する。例えば、1936年のCNTのサラゴサ会議には、それらの組織の出席があった。FAIは、現在でも活動中であり、国際アナーキスト連盟と提携している(IAF/IFA)。 1926年、FAIはフランスのマルセイユで予備的な会合を行い、翌年バレンシアで創立した。CNTの官僚制を問題にして、アナーキストであり続けるための運動を起こすことを目的とし、労働者階級の代表となるよりも、労働者と資本家を媒介する橋渡しとなって成長していったと考えられている。このことは、ミゲル・プリモ・デ・リベラの独裁体制がスペインで成立して労働運動を取締ったときに、とりわけ緊迫した問題となった。 1930年代初頭、FAIはCNT内の政治において不釣り合いなヘゲモニーを獲得し、それほどラディカルではない革命的サンディカリストのメンバーとの衝突を引き起こした。 スペイン第二共和制の初年、すなわち1931年から、ポッシビリズムの組合役員(共和制支持者「30」(Treinta)とそのフォロワー)は、CNTの事務局から解雇または追放され、1933年3月にCNT内に反FAIに立つ組合を結成するに至った。アンヘル・ペスターニャの指導する、最も穏健であった労働組合も最終的に追放され、1934年4月にサンディカリスト党を結成している。スペイン内戦まで、CNTの指導体制はFAIの安定した統制下にあった。内戦中、FAIのメンバーは、フランシスコ・フランコの軍隊に対抗する戦闘の最前線にあり、主に東軍

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櫻田浩三 – Wikipedia

この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。出典検索?: “櫻田浩三” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2017年6月) 櫻田 浩三(さくらだ こうぞう、1941年4月19日 – 2016年4月21日[1])は岩手県出身の元騎手・元調教師。 1961年から東京オリンピック馬術競技の日本代表候補生に選出され、出場馬の世話をするために東京で生活した。1965年からは郷里・岩手に戻って繋駕速歩専門の騎手となり、後に平地競走の免許も取得。1969年には高額賞金レースを数多く制し、大舞台に強い騎手として確固たる地位を築いた。1971年には繋駕速歩が廃止となり、1974年に引退して同年からは調教師へ転身。4月13日の水沢第2競走・イセヒカリオーで初出走初勝利を飾り、2年目の1975年にはサカノエミールが南部駒賞を勝って重賞初制覇[2]。鞍上は後に調教師として南部杯2着のバンケーティングを管理する平澤芳三で、櫻田の初特別勝ちとなった同年のIBC杯でも平澤が手綱をとっていた[2]。その後は順調に勝ち星を重ねていき、1984年には佐藤雅彦が所属騎手となり、1988年と2000年にはリーディングトレーナーを獲得。1990年代に入るとアラブの女傑・シバノアマゾネス、2歳世代で地方最強とうたわれたアプローズフラワー、アラブ競馬末期に息長く活躍したタービュレンスらを輩出[2]。遠征での活躍も目立ち、1999年と2000年には2年連続で管理馬(ガッサンヒカリ、ガッサンホワイト)がJRAの3歳特別戦(中山芝1200m・黒松賞)を勝利。2000年代ではダート中長距離戦線の主的存在であったグローバルゴット、マイル・短距離路線で芝・ダートを問わず活躍したトキオパーフェクトらを輩出したほか、ダートグレード競走でも存在感を示す[2]。2003年東京大賞典4着、2004年名古屋グランプリ3着のデンゲキヒーロー、2005年全日本2歳優駿2着のアテスト、2006年にはオウシュウクラウンがジャパンダートダービーで3着に入り、パラダイスフラワーがエーデルワイス賞を制覇[2]。初めてのグレードタイトルを手にし[2]、特にオウシュウクラウンは2006年の岩手競馬年度代表馬にも輝いている。2008年の冬季休業中にはまとまった数の馬を荒尾に遠征させてレースに出ていたため、騎手や厩務員も大挙して遠征して荒尾で住み込むという力の入れようであったが、櫻田が岩手からの遠征馬の監督役となり、現地で長期滞在[2]。朝の調教を終えて朝食という時に率先して料理を作り、厩務員や同行した記者に振る舞った[2]。2010年代もトーホクキング、コミュニティらみちのく大賞典の勝馬、あるいはアスペクト、スペクトル、サプライズハッピーといった2~3歳戦線での活躍馬を送り出し、各世代にまんべんなく有力馬を配しているというイメージを保ち続けた[2]。2015年には6月7日の盛岡第3競走をサプライズハッピーで勝利し、現役最多で歴代2位の1800勝を達成。岩手の調教師歴代最高記録である1914勝にも「あと71」まで迫っていたが[2]、晩年は体調不良で入退院を繰り返すようになり、2016年4月21日に死去[1]。75歳没。 調教師としての通算成績は地方競馬13553戦1843勝、中央競馬34戦2勝[1]。 主な管理馬[編集] その他[編集] 関連項目[編集] 外部リンク[編集]

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伊東維年 – Wikipedia

伊東 維年(いとう つなとし、1945年10月1日- )は、日本の経済学者、熊本学園大学名誉教授。 佐賀県生まれ[1]。1969年佐賀大学文理学部経済学科卒、1977年九州大学大学院経済学研究科博士課程満期退学、1995年「戦後地方工業の展開 熊本県工業の研究」で経済学博士。熊本商科大学助教授、校名変更で熊本学園大学経済学部助教授、教授[2]、2016年定年退職し、名誉教授となる。地域経済が専門。 『戦後地方工業の展開 熊本県工業の研究』ミネルヴァ書房 1992 『テクノポリス政策の研究』日本評論社 1998 『地産地消と地域活性化』日本評論社 2012 『シリコンアイランド九州の半導体産業 リバイタリゼーションへのアプローチ』日本評論社 2015 共編著[編集] 『先端産業と地域経済』井上吉男共編著 ミネルヴァ書房 1989

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服部宣之 – Wikipedia

はっとり のぶゆき 服部 宣之 生誕 (1976-05-11) 1976年5月11日(45歳) 日本 愛知県一宮市 出身校 順天堂大学 職業 テレビプロデューサー 活動期間 2000年 – 団体 東海テレビ放送(2000年 – 2015年)テレビ朝日(2015年

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イェクラ – Wikipedia

イェクラ(スペイン語: Yecla)は、スペイン・ムルシア州のムニシピオ(基礎自治体)。2016年の人口は34,037人。スペインワインの産地として知られる。イエクラと表記されることもある。 ムルシア州の最北端にある自治体であり[1]、バレンシア州アリカンテ県ビリェーナ、ピノーソ(英語版)、カスティーリャ=ラ・マンチャ州アルバセテ県フエンテ=アラモ(英語版)、モンテアレグレ・デル・カスティージョ(英語版)、アルマンサ(英語版)、カウデテ(英語版)と境界を接している[1]。 面積は607.7kmであり、標高は602m[1]。ムルシア州の州都ムルシアからの距離は96km。南西のフミーリャとイェクラの2自治体でアルティプラーノ郡(スペイン語版)を構成している[1]。自治体名と同名の中心集落のほかに、23km離れてラスパイ(英語版)集落がある[1]。サリーナス山地(1238m)、アラビ山(1065m)、マグダレーナ山地(1038m)などに囲まれている。 著作家のアリソンとホセ・ルイス・カスティージョ=プチェ(スペイン語版)はともにイェクラ生まれであり、イェクラの学校には両名の名前が冠されている[1]。 イェクラでは南西にあるフミーリャとともに、ムルシア・ヤギ(英語版)やグラナダ・ヤギ(Granada goat)が飼育されている[2]。19世紀中頃以降は農業が卓越し、主にブドウ、オリーブ、アーモンド、穀物を生産している。20世紀前半には家具製造業も勃興し、今日では家具製造の町としても知られている[1]。イェクラ家具フェアの開催地であるほか、常設の家具展示場も置かれている[1]。 ワイン[編集] イェクラ (DO)の範囲 イェクラの自治体域を含むムルシア州北部には、スペインワインの原産地呼称制度であるデノミナシオン・デ・オリヘン(DO)に認定されているイェクラ (DO)(英語版)がある。南側と西側はフミーリャ (DO)に、北側はアルマンサ (DO)(英語版)に、東側はアリカンテ (DO)(英語版)に、完全に囲まれている。イェクラ (DO)はモナストレル種を用いた赤ワインで知られる。 この地域では2000年以上前からブドウ栽培とワイン生産が行われており、古代ローマ人によって導入されたと考えられている。19世紀末にはフランスワインの産地がヨーロッパブドウの白化症状で大打撃を受けたため、フランス人ワイン商人がイェクラ地域のワイン生産に関与するようになった。1975年にはスペインの原産地呼称制度であるデノミナシオン・デ・オリヘン(DO)に認定された。 イェクラ (DO)のブドウ畑は標高400m-800mにあり、地中海とメセタ(ラ・マンチャ地方)の遷移地帯にある。土壌は石灰質であり、表土は砂質で水はけがよい。気候は地中海性大陸性気候であり、乾燥した長い夏季、穏やかな冬季が特徴である。夏季の最高気温は摂氏39度に達し、冬季の最低気温は摂氏マイナス5度に達する。年降水量はわずか300mmであるが、春季と秋季には暴風雨に見舞われることがある。日照時間は年平均3,000時間と長い。 スポーツ[編集]

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