長崎ブルース – Wikipedia

長崎ブルース」(ながさきブルース)は、青江三奈の楽曲で、11枚目のシングル。1968年7月5日に発売された。青江にとって「池袋の夜」に次ぐヒットとなった。

200万枚を超すセールスを記録したピンキーとキラーズ「恋の季節」に阻まれたが、発売5ヵ月後にオリコンの2位まで上昇した。累計売上は76.7万枚を記録し、翌1969年の年間売上第10位を獲得した[1]

『夜の歌謡シリーズ 長崎ブルース』の題名で1969年4月に東映で映画化され(後述)、ナイトクラブでの歌唱シーンがある。

紅白では発売から5年後の1973年末『第24回NHK紅白歌合戦』で歌唱披露された。

  1. 長崎ブルース(3分37秒)
  2. 一人になりたい(3分00秒)

映画は1969年4月19日に公開。カラー、シネマスコープ、88分。『夜の歌謡シリーズ』第5弾[2]。東京と長崎を舞台に、七色のネオンが彩る盛り場の夜を結んで、男と女の様々な恋と愛欲の生態をヒット曲に乗せて生々しく描き出す[2][3]

スタッフ[編集]

出演者[編集]

製作[編集]

それまで4作に渡って主演した梅宮辰夫が[4]、1969年3月20日に自宅で、当時の妻・大門節子の快気祝いにと磯釣の弟子が釣り上げて持って来た真鯛を料理中に出刃包丁で左手首を切る大怪我を負い[5][6]、当時大映にレンタル中だった松方弘樹が一時東映に戻り主演を務めた[7][8]。松方は1969年4月14日から大映京都で『薄桜記』(『秘剣破り』)のクランクインが予定されていたが[3]、東映へのレンタルのお礼返しとして大映も了承し、松方も助っ人を買って出た[3]。当時東京のナイトクラブにホステスならぬホストが活躍していると話題をまいていたことから[3][7]、これを脚本に取り入れ[7]、松方の役はホストになった[3][9]。ホストを主人公にした映像作品では最初期のものと見られる。役柄を摑むため、松方は東京駅八重洲口そばにあるホストクラブを実地見学し[9]、「世の中広いですねえ。何もかもあべこべなんだな。とてもじゃないけど僕はダメだね。僕の女房がこんな所に来たらぶっとばしちゃいますよ。仕事だから、そこはプロらしくなんとかやります。どうせ出るなら大藪春彦タッチのハードボイルドものに出たい。こういう作品はどうも..」などと話した[9]

梅宮は「不良番長シリーズ」三作目『不良番長 練鑑ブルース』の撮影が半分終わり[5]、同作のクランクアップを1969年4月10日に予定し[5]、1969年4月22日から公開を予定していたが[4][6]、アクションの多い『不良番長』の撮影を延ばし、さほど動きのない本作の撮影前倒しを決め[5]、即刻、1969年3月29日からのクランクインとなった[6]。先述のように松方の大映作品のクランクインが迫っていたため、撮影期間は通常の半分、僅か15日だった[9]。松方が友情出演で梅宮の代わりに主演を務め、アクションはないため、梅宮も出演は可能と判断され梅宮が脇役に回り、ギプス姿で後半に登場する[6][8]。このため『不良番長 練鑑ブルース』は怪我をしたという設定に脚本が書き換えられ[8]、同作は1969年6月に、次の『不良番長 送り狼』が1969年7月と一ヶ月おきに公開された。また前作『夜の歌謡シリーズ 伊勢佐木町ブルース』に続いて青江三奈が助演しているが、本作では自分自身役では無い。

撮影は短期間ながら長崎ロケも行われ[8][10][11]、松方の他、怪我をした梅宮も参加し、松方に殴られるシーンの撮影の他[8][10]、思案橋、グラバー邸、崇福寺などで撮影が行われた[7]

封切時のポスターには、松方弘樹、宮園純子、谷隼人、大原麗子、青江三奈、梅宮辰夫の名前が並列に記載され「6大スター競演!人気シリーズ第5弾デラックス版」と書かれた[12]

同時上映[編集]

『戦後最大の賭場』

映像ソフト[編集]

  1. ^ a b c オリジナルコンフィデンス「コンフィデンス年鑑 1970年版」1970年
  2. ^ a b 「内外映画封切興信録 『長崎ブルース』」『映画時報』1969年6月号、映画時報社、 39頁。
  3. ^ a b c d e “松方弘樹が代打に 東映『長崎ブルース』 梅宮辰夫の負傷で”. スポーツニッポン (スポーツニッポン新聞社): p. 10. (1969年3月28日) 
  4. ^ a b “ゴシップ週間史 映画界GW作戦 邦画 エロとやくざが中心”. 内外タイムス (内外タイムス社): p. 3. (1969年4月13日) 
  5. ^ a b c d “梅宮は自宅で左手首負傷”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社): p. 11. (1969年3月23日) 
  6. ^ a b c d 「小柳徹の死・梅宮辰夫の傷の裏側 春の芸能界 体を張ったハプニング・ショー 梅宮辰夫深夜のアクション」『週刊大衆』1969年4月10日号、双葉社、 18–20。
  7. ^ a b c d “ロケ メロディーに乗って長崎へくり出す東映、松竹”. スポーツニッポン (スポーツニッポン新聞社): p. 10. (1969年4月15日) 
  8. ^ a b c d e “ギプスはめてケンカ ケガの梅宮辰夫が”友情出演” 東映”. 報知新聞 (報知新聞社): p. 9. (1969年4月15日) 
  9. ^ a b c d “松方弘樹がホスト修行 『長崎ブルース』 男女逆に戸惑い気味 柄じゃないが体当たり”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社): p. 11. (1969年4月6日) 
  10. ^ a b “包帯姿も痛々しく 梅宮辰夫カムバック”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社): p. 13. (1969年4月16日) 
  11. ^ 馬飼野元宏「夜の歌謡シリーズ 当時の歌謡曲の大ヒットナンバーをタイトルに冠して作られた、夜の酒場で起きる人間模様を描いた風俗映画」『映画秘宝』2017年7月号、洋泉社、 83頁。
  12. ^ “封切映画広告”. 内外タイムス (内外タイムス社): p. 3. (1969年4月19日) 
  13. ^ 夜の歌謡シリーズ | 東映ビデオ株式会社

関連項目[編集]