蒲原鉄道EL形電気機関車 – Wikipedia
蒲原鉄道EL形電気機関車(かんばらてつどうイーエルがたでんききかんしゃ)は、かつて蒲原鉄道(蒲原鉄道線)に在籍した直流用電気機関車。一形式1両のみが在籍した、蒲原鉄道線における唯一の電気機関車であった[1]。 1923年(大正12年)10月[2]の開業以来、蒲原鉄道線における貨物輸送は電車牽引による混合列車の形態で行われた[3]。その後、1930年(昭和5年)10月[2]の全線開通に際しては貨物輸送量の増加が見込まれたことから、貨物列車牽引専用の電気機関車を新製することとなり、本形式は同年5月に日本車輌製造名古屋本店において製造されたものである[4]。 凸形車体を有する25t機で[4]、車体外観はウェスティングハウス・エレクトリック (WH) 社(電装品)とボールドウィン・ロコモティブ・ワークス(BLW)社(機械装置)の2社が設計・製造し、日本にも数多くが輸入された凸形電機各形式[注釈 1]に酷似しているが[5]、本形式は前述のようにそれらを設計の基本として日本車輌製造においてデッドコピー製造した国内模倣品であり[1]、電装品についても東洋電機製造製のものが搭載された純国産機である[1]。 本形式は貨物輸送のほか、冬季はスノープロウを取り付け除雪用途にも供され、1952年(昭和27年)10月の形式称号改正に伴ってED1形1と改称された[5]。貨物輸送廃止後は主に村松車庫内における構内入換機として運用され、1999年(平成11年)10月の蒲原鉄道線全線廃止まで在籍した[6]。 全長9,180mmの凸形鋼製車体を有し[4]、車体中央部に設置された運転室の前後に主要機器を格納したボンネットを備える[4]。WH社製凸形電機の設計流儀に則って、乗務員扉は運転室前後妻面の向かって左側に設け、その分ボンネットが向かって右側へ寄せて配置されている[4]。 前後妻面上部には長さ252mmの日よけが設けられ[4]、前面窓(運転台窓)は向かって右側に1枚、前面窓と乗務員扉の間に取付式の白熱灯型前照灯が1灯設置されている[4]。後部標識灯は前後台枠上部のデッキ部分向かって左側に各1灯設置され[1]、前後のボンネット前面には真鍮製の蒲原鉄道の社章が設置された[3]。 主要機器[編集] 主制御器[編集] 当時の旅客用車両と同様、運転台に設置された直接制御器によって電流制御を行う直接制御方式であるが、本形式は4基の主電動機を搭載する都合上、主電動機4基分の大電流の制御に対応した東洋電機製造TDK-Q2LTを前後運転台に各1基搭載する[4]。 主電動機[編集] 東洋電機製造製の直流直巻電動機TDK-31S-C(端子電圧600V時一時間定格出力63.4kW[注釈 2])を1両当たり4基搭載する[4]。TDK-31系主電動機は一部の例外を除いて旅客用車両を含む在籍車両の大半に搭載された、蒲原鉄道における標準型主電動機であるが[7][8]、旅客用車両各形式が変電所容量などの都合から1両当たり2基搭載とされていたのに対し[9]、本形式においては牽引力を確保する目的から4基搭載仕様とされた[1]。駆動方式は吊り掛け式、歯車比は5.0 (70:14) である[4]。 台車[編集] BLW社が設計・製造した電気機関車用釣り合い梁式台車を日本車輌製造においてデッドコピー製造したEL形台車(製造No.536・537)を装着する[5]。 制動装置[編集]
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