本来の表記は「醬油」です。この記事に付けられたページ名は技術的な制限または記事名の制約により不正確なものとなっています。 醤油(しょうゆ、醬油、英:soy sauce)は、主に穀物を原料とし、醸造技術により発酵させて製造する液体調味料である。日本料理における基本的な調味料の一つ。同様の調味料は東アジアの民族料理にも広く使用される。 以下、特記なき記述は日本について記したものとする。 独自の発展を経て明治時代の中期に完成を見た。大豆、小麦、トウモロコシ、砂糖、グルコース、塩を原料とする。麹菌、乳酸菌、出芽酵母による複雑な発酵過程を経て生成される。その過程でアルコールやバニリン等の香気成分による香り、大豆由来のアミノ酸によるうまみ、同じく大豆由来のメチオノールによる消臭作用と、乳酸・酢酸などの酸味、小麦由来の糖による甘みを生じる。なお、赤褐色の色調は、主にメイラード反応によるものである。 鉄分はコウジカビの生育に悪影響を与えるので鉄分の少ない水を使用する[1]。鉄分が少ない方が色が薄く仕上がり、軟水の方が適する[2]。 日本料理の調理において、煮物の味付けや汁物やタレのベースとなる。天ぷら・江戸前寿司・蕎麦などにも利用される、日本の食文化の基本となっている調味料である。一般家庭および飲食店でも醤油差しに入れられて食卓に出される。料理にかけたり少量を小皿に注ぎ・浸す、「つけ・かけ」用途に用いられる。主要な産地は千葉県・兵庫県である。 日本における初出には諸説あるが、15世紀ごろから用例が現れる。文明6年(1474年)成立の古辞書『文明本節用集』(ぶんめいぼんせつようしゅう)に、「漿醤」に「シヤウユ」と読み仮名が振られている。上記「漿醤」から約100年後の『多聞院日記』永禄11年(1568年)10月25日の条に登場する[3]。しかし『鹿苑日録』天文5年(1536年)6月27日条には「漿油」と表記されており、「シヤウユ」の漢字表記はこちらの方が古い可能性が高い。また、初期には「醤油」の「油」を漢音読みして「シヤウユウ」と発音されることもあった[4]。 醤の当て字に正を用いて正油と書く事がある[5]。 調味料を料理に用いる順番を表す語呂合わせの「さしすせそ」では、「せ」にあたり、「せうゆ」と表記されるが、歴史的仮名遣では「しやうゆ」と書くのが正しい。ただし「せうゆ」という仮名遣も、いわゆる許容仮名遣として広く行われていた。 したじという別名もあり、これは吸い物の下地の意からで、むらさきという別名の語源は諸説ある。高価な調味料だった醤油が、高貴なものの象徴である紫色に近かったことからとも、江戸時代に筑波山麓で多産され、筑波山の雅称が紫峰(しほう)であったことからとも言われる。 起源[編集] 日本の醤油のルーツは諸説ある。文献上記録されている最古のルーツは中国の「醤」とされる[11]。 中国大陸の醤[編集] 古代中国大陸の醤(ひしお・ジャン)をルーツとする説[12] で、「醤」は広義に「食品の塩漬け」のことを指す[5][注釈 1]。醤についての最初の文献は、周王朝初期の古書『周礼』とされており、獣・鳥・魚などの肉を原料とした塩辛の類の肉醤(ししびしお)、魚醤(うおびしお)だった[11]。 穀醤(こくびしお)がはじめてあらわれるのは、湖南省から出土した紀元前2世紀(前漢時代)とされる[11]。そして紀元1世紀(後漢時代)『論衡』に豆醤の記述が、さらに6世紀中頃(南北朝時代)に執筆された農書『斉民要術』に、蒸した豆と麹、食塩を発酵させて醤を仕込む方法が記載されている[11]。 日本では「醤の類い」(果物・野菜・海草などを材料とした草醤、魚による魚醤、穀物による穀醤の3種)が縄文時代から弥生時代にあったとされているが、文献には残されておらず[11][13]、本格的に醤が作られるようになったのは、中国大陸からの「唐醤」(からびしお)や、朝鮮半島からの「高麗醤」(こまびしお)の製法が伝えられた、大和朝廷時代頃だった[11][14][15]。 文献上で日本の「醤」の歴史をたどると、701年(大宝元年)の『大宝律令』には、醤を扱う「主醤」という官職名が見える。また923年(延長元年)公布の『延喜式』には大豆3石から醤1石5斗が得られることが記されており、この時代、京都には醤を製造・販売する者がいたことが分かっている。また『和名類聚抄』では、「醢」の項目にて「肉比志保」「之々比之保」(ししひしほ)についてふれており、「醤」の項目では豆を使って作る「豆醢」についても解説している。
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