井田毅 – Wikipedia

井田 毅(いだ たけし、1930年(昭和5年)1月13日 – 2013年(平成25年)8月20日)は、日本の実業家。サンヨー食品の創業者で、同社社長としてインスタントラーメン商品「サッポロ一番」の開発に携わった。後任社長の井田純一郎は子[1]

前橋市出身。旧制巣鴨経済専門学校(現千葉商科大学)卒業。父の井田文夫と共に、1953年(昭和28年)に「富士製麺」を設立し、これがサンヨー食品の創業となる[2]。この「富士製麺」は、1961年(昭和36年)に「サンヨー食品」という会社となる。井田毅を実質的な創業者とするサイトもある[3]

札幌で食べた大宮守人のラーメンに注目し、「サッポロ一番」という商標のインスタントラーメンの開発に携わり、1966年(昭和41年)に「サッポロ一番」を売り出す[4]。「サッポロ一番」のインスタントラーメンが、全国的に広まり売れわたる。

1975年(昭和50年)、サンヨー食品株式会社の社長に就任する[4]。1998年(平成10年)、社長の職を辞して、相談役に退く。

2013年(平成25年)8月20日に、肺炎のため83歳で死去[4]

「もう一人のラーメン王」と安藤百福と共に語られることもある[5]

  • 祖父・井田金七(保一)
  • 父・井田文夫
  • 長男・井田純一郎

関連書籍[編集]

  • もう一人のラーメン王 サンヨー食品創業者 井田毅 物語 日本経済新聞社、2012年11月[6]

関連項目[編集]

  • サンヨー食品
  • 札幌ラーメン
先代:
井田文夫
サンヨー食品社長
1975年 – 1998年
次代:
井田純一郎