シャーリヴァーハナ – Wikipedia

シャーリヴァーハナशालिवाहन Śālivāhana)は、インドの伝説的な王。プラティシュターナ(今のマハーラーシュトラ州パイタン英語版)を都としてマールワー地方を治めたと伝えられる。

名称の由来[編集]

シャーリヴァーハナは、シャーラヴァーハナまたはサータヴァーハナとも呼ばれる。サータヴァーハナが古い形である[1]。実在のサータヴァーハナ朝の名に由来しているのは確かだが、伝説ではひとりの王の名前として出現する。

シャーリヴァーハナはプラークリット文学の擁護者とされる。1600年ごろのラクシュミーナータ・バッタは、シャーリヴァーハナをプラークリットの最初の詩人とする[2]。実際にプラークリット(マーハーラーシュトリー)で書かれた最初の文学作品である詩集『ガーハー・サッタサイー』(七百頌集)はサータヴァーハナ朝のハーラ王によって編纂されたと伝えられ、冒頭の詩にもそのことが記されている。ハーラという王はプラーナ文献にサータヴァーハナ朝の王として見え、碑文にも確認されるために実在の人物だったようである[1]。しかし、現存の『ガーハー・サッタサイー』はもっと新しい時代の内容(曜日や時刻の表記のしかた、ガネーシャなどに対する礼拝など)を含んでいる[3]

『ブリハットカター』の作者であるグナーディヤについても、サータヴァーハナ王の大臣であったグナーディヤによってパイシャーチーで書かれたという伝説をカシミール系の伝本が伝える[4][5]

シャーリヴァーハナはしばしば同様に伝説化した王であるヴィクラマーディティヤのライバルとして扱われる。シヴァダーサの『サーリヴァーハナカター』はヴィクラマーディティヤとシャーリヴァーハナのライバル関係を記す[6]。ジャイナ教の伝説では、あるバラモンの未亡人がナーガと交わってシャーリヴァーハナを生んだが、彼が将来王になることを占星術師がヴィクラマーディティヤに告げたため、ヴィクラマーディティヤは彼を攻撃した。シャーリヴァーハナは粘土の兵隊に命を吹きこんで戦って勝ったとする[7]

インドのシャカ紀元は13世紀以降に「シャーリヴァーハナ・シャカ」と呼ばれ、シャーリヴァーハナと結びつけられた。しかしそれより100年以上古いヴィクラマ紀元がヴィクラマーディティヤと結びつけられているため、ヴィクラマーディティヤとシャーリヴァーハナを同時代の人物とする説と矛盾し、伝説は混乱している[8]

  1. ^ a b Ollet (2017) pp.55-56
  2. ^ Ollet (2017) p.54
  3. ^ Sircar (1969) pp.113-114
  4. ^ Sircar (1969) pp.107-108
  5. ^ 土田(2017) pp.48-50
  6. ^ Sircar (1969) p.109
  7. ^ Sircar (1969) pp.117-118
  8. ^ Sircar (1969) pp.111-112

参考文献[編集]