この項目では、1941年竣工の潜水艦について説明しています。1927年竣工の初代伊号第二十二潜水艦については「伊号第百二十二潜水艦」をご覧ください。 伊号第二十二潜水艦(いごうだいにじゅうにせんすいかん、旧字体:伊號第二十二潜水艦)は、大日本帝国海軍の伊十六型潜水艦の4番艦。 1937年(昭和12年)の第三次海軍補充計画(③計画)により建造が決定し、1937年11月25日に川崎重工業神戸造船所で起工。1938年9月20日、本艦と他の各艦(親潮、夏潮、初風、伊18、伊20、第11号掃海艇、第12号掃海艇)は、それぞれ艦艇類別等級表に登録[2]。1938年(昭和13年)12月23日に進水し、1941年(昭和16年)3月10日に竣工した。竣工と同時に横須賀鎮守府籍となり、横須賀鎮守府部隊所属となった。 7月15日、伊21と共に第六艦隊第1潜水戦隊第3潜水隊を編成。これは、呂1型、海中1型、海中2型からなる先代の第3潜水隊が、所属艦の除籍により1932年(昭和7年)4月1日に解隊されて以来、5代目となる。 太平洋戦争開戦時には第六艦隊第1潜水戦隊第3潜水隊に所属。10月22日、伊22は佐伯を出港し、呉に移動。特殊潜航艇甲標的を搭載できるように改装された。11月18日、呉を出港し、倉橋島亀ヶ首に移動。同地で甲標的を搭載し、真珠湾攻撃に参加するため19日0215に出港。12月7日0110、真珠湾口沖9浬地点付近で、岩佐直治大尉、佐々木直吉一等兵曹を乗せた甲標的を発進させる。0200、伊22は重巡らしき艦2隻を発見し急速潜航。 0712、2回の大爆発音が連続して聞こえ、0818にも爆発音を聴取。0830、搭載艇は工作艦メデューサ(USS Medusa, AR-1)の後方180mを航行中、港外へ退避するべく航行中の米掃海駆逐艦ゼイン(英語版)(USS Zane, DD-377/DMS-14)に発見される。さらに敷設駆逐艦ブリース(英語版)(USS Breese, DD-122/DM-18)に発見され、水上機母艦カーティス(USS Curtiss, AV-4)の砲撃を受ける。さらに、ゼインからの通報を受けた米駆逐艦モナハン(USS Monaghan, DD-354)に発見され、メデューサ、水上機母艦タンジール(英語版)(USS Tangier, AV-8)から砲撃を受ける。艇はカーティスへ向け魚雷1本を発射するが、その際に砲弾が命中し、岩佐大尉が頭部を飛ばされて戦死。さらに機銃掃射を受ける。魚雷はカーティスに命中せず、ドックに命中した。体当たりしようとするモナハンに対し、艇は魚雷を発射したが、魚雷はモナハンの右舷側を通過し、フォード島に命中した。艇はモナハンに体当たりされて水深10mの海底に叩きつけられ、爆雷2発を投下されて沈没した[注釈 1]。0950から1243まで、伊22は爆雷攻撃を受けるも被害はなかった。1806に浮上後、会合地点であるラナイ島西方に向かった。8日明け方になっても艇が帰投しないため、1800に浮上して捜索を開始。10日、搭載艇と連絡を試みたが失敗。1802、モロカイ島南岸付近で浮上して捜索。11日朝、捜索は打ち切られ、会合地点を離れた。15日、スコールの中ジョンストン島に接近し、5000mで砲撃を開始。まもなく、3発目が火力発電所の燃料タンクに命中し、炎上。伊22は10分間ほど砲撃を行った。停泊中の米兵員輸送艦ウィリアム・ワード・バロウズ(英語版)(USS William
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