Month: October 2019

竹内良三郎 – Wikipedia

竹内 良三郎(たけうち りょうざぶろう、1891年(明治24年)11月24日 – 1984年(昭和59年)11月1日)は、松商学園短期大学第3代学長[1][2]。法学者、経済学者として長く大学教員の職にあったが、「学究というよりは行政官として活躍」したと評されている[1]。 長野県松本市生まれ[1]。旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)、第四高等学校を経て、東京帝国大学法科大学政治学科に進み、1917年に卒業[1]、宝田石油に入社し、1919年に日本製粉に転職した。 1920年に第五高等学校教授となり、教員として法制・経済を講じるとともに、生徒監兼舎監となった[3]。当時は、校友会誌『龍南』に小説などを寄稿したこともあった[4]。 1927年に東京帝国大学農学部助教授となり、1928年には学生主事、1929年の学生課新設に際して初代の学生課長となって、滝川事件前後の左翼学生の処分などに対処した[3]。1940年9月に大学を病気退職して、大日本航空機技術協会常務理事に転じた[3]。 戦後は、大分経済専門学校(大分大学経済学部の前身)、埼玉師範学校(埼玉大学教育学部の前身のひとつ)の校長を経て[3]、1948年から1949年にかけて第五高等学校第13代校長を務めた後[5]、1949年に松本高等学校 (旧制)の最後となる第9代校長となり[6]、同時に、新設された信州大学の教授、文理学部長となった[1][3]。 1957年に信州大学を定年退官し、松商学園短期大学教授となった[3]。学長だった糸魚川祐三郎が1967年に急逝した後、学長への就任を学内から懇願され、当初は高齢を理由に固辞したものの、同窓会などの強い要請を受けて、1968年4月に第3代学長となり、2年間在任した[1][7]。 ^ a b c d e f 松商学園短期大学三十年史編集委員会、1985、p.56. ^

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赤坂御用地 – Wikipedia

赤坂御用地(あかさかごようち)は、日本の東京都港区元赤坂にある皇室関連施設[1]。敷地内には以下の御所・宮邸がある[2]。赤坂御苑(あかさかぎょえん)ともいう。 赤坂御所(旧東宮御所) 秋篠宮邸 三笠宮邸 三笠宮東邸(寬仁親王邸) 高円宮邸 赤坂東邸 常陸宮邸(常盤松御用邸)は東京都渋谷区東に所在し、現存する宮家の中で唯一赤坂御用地外にある。 また、敷地の内部には園遊会が開催されることで知られる赤坂御苑がある[2]。財務省によれば、赤坂御用地の資産価値は、1565億円として計上されており、1平米あたり30万円程度[3]。 現在の住所で東京都港区元赤坂2丁目のほぼ全域を占める赤坂御用地は江戸時代、紀州徳川家の上屋敷(紀州藩赤坂藩邸)があったところで、明治維新後、政府に接収されて帝室(現在の皇室)に献上されたものである。 赤坂御用地は元々、他の御料地などと同様に皇室財産であったが、第二次世界大戦の敗戦と日本国憲法の公布とともに日本国有に移され、国有財産たる皇室用財産として皇室の用に供せられている[1]。 1873年(明治6年)に失火により皇居が焼失した際は、明治天皇がこの地に移り、1888年(明治21年)に新皇居(明治宮殿)が落慶するまでの間、ここを皇居としていた。赤坂御用地の北東に隣接して迎賓館(旧赤坂離宮)があり、訪日した外国賓客の接遇に用いられる。 御所・宮邸[編集] 赤坂御所[編集] 赤坂御所は、赤坂御用地の北部に位置する今上天皇一家の元御所である。 貞明皇后の大宮御所の跡地に、1960年(昭和35年)に皇太子明仁親王の「東宮御所」として建設された。明仁の即位に伴い「赤坂御所」と改称され、1993年に明仁が皇居の吹上御苑に新築された御所に移った後は皇太子徳仁親王が居住し、「東宮御所」と改称された。2019年(平成31年)5月1日に徳仁の即位により、再び「赤坂御所」と改称された。 2021年(令和3年)9月に徳仁一家が皇居の御所へ移った後は改修工事が行われており、2022年(令和4年)4月26日から上皇明仁・上皇后美智子の仙洞御所としての使用が予定されている[4]。改修が終わるまでは高輪皇族邸が上皇・上皇后の仮住まい(仙洞仮御所)となっている。 秋篠宮邸[編集] 秋篠宮邸は御用地の南東部に位置する秋篠宮家の宮邸である。北に赤坂東邸が隣接し、正門は巽門という。 秋篠宮同妃は成婚当初、1931年(昭和6年)に宮内省乳人官舎として建てられ、1968年(昭和43年)から1989年(平成元年)まで鷹司和子が使用した仮寓所を1990年(平成2年)6月から居宅部分として使用していた。250㎡ほどの内庭があり眞子内親王・佳子内親王誕生により増築した。木造モルタル平屋建てで、述床面積105平方メートル(増築後200平方メートル)であった。

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バレンシア・バスケット – Wikipedia

バレンシア・バスケット 愛称 Taronjas (Oranges) 所属リーグ リーガACBユーロリーグ 創設 1986年9月27日 チーム史 バレンシア・バスケット(1986-現在) 本拠 バレンシア, スペイン アリーナ パベリョー・ムニシパル・フォント・デ・サン・リュイス 収容人数 8,500 チームカラー    

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マーカー分解 – Wikipedia

マーカー分解 (マーカーぶんかい、Marker degradation) は、アメリカの化学者ラッセル・マーカー(Russell Earl Marker) が1938年 – 1940年に開発したステロイド化学における 3ステップの合成ルートである。その方法は、植物ステロイドからコルチゾンおよび哺乳類性ホルモン (プロゲステロン、エストラジオールなど) の生産に使用され、メキシコを 第二次世界大戦直後の数年間のステロイド生産の世界センターにした[1]。マーカー分解の発見により、初めて大量のステロイドホルモンの生産が可能になり、経口避妊薬およびコルチコステロイド抗炎症薬の開発の基礎となった。1999年、アメリカ化学会 (American Chemical Society) とメキシコ化学協会 (Sociedad Químicade México)

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ザ・ユナイテッド・ステイツ vs. ビリー・ホリデイ – Wikipedia

『ザ・ユナイテッド・ステイツ vs. ビリー・ホリデイ』(原題:The United States vs. Billie Holiday)は2021年に公開されたアメリカ合衆国の伝記映画である。監督はリー・ダニエルズ、主演はアンドラ・デイが務めた。本作はヨハン・ハリが2015年に発表したノンフィクション『麻薬と人間 100年の物語』を原作としている。 1940年代、ビリー・ホリデイが歌う『奇妙な果実』は黒人差別の悲惨さを人々に知らしめ、公民権運動に大きな影響を与えていた。ホリデイはジャズシンガーとしてスターダムにのし上がったかに見えたが、その裏では恋人からの暴力に苦しみ、酒や麻薬を手放せない日々を送っていた。 しばらくして、『奇妙な果実』の力を危惧した当局は歌唱の妨害を試みたが、どうやっても上手くいかなかった。ところが、時の連邦麻薬局の長官、ハリー・J・アンスリンガーの介入で事態は急転することになった。アンスリンガーは麻薬の使用・所持を法律で禁止し、さらには厳罰化するキャンペーンに力を注いでいたが、それは自らの権力欲を満たすためであり、国民の健康増進や治安向上を願ってのことではなかった。アンスリンガーは「黒人の歌手が麻薬に手を出している」というイメージを宣伝し、人々の差別意識をも利用しようとしていた。そんな彼が目を付けたのがホリデイであった。 アンスリンガーは黒人捜査官、ジミー・フレッチャーをホリデイの元に送り込み、彼女に関する情報を一通り集めさせた。そうした諜報活動の結果、ホリデイはヘロインの使用で逮捕され、そのまま服役することになった。1年後、出所したホリデイは歌手活動を再開したが、アンスリンガーは彼女を再起不能になるまで追い込むつもりでいた。だが、ここで予期せぬ事態が起こる。 キャスト[編集] 2019年9月17日、リー・ダニエルズ監督の新作映画にアンドラ・デイ、トレヴァンテ・ローズ、ギャレット・ヘドランド、ナターシャ・リオンが出演することになったと報じられた[3]。9月25日、エヴァン・ロス、デイナ・グーリエ、エリック・ラレイ・ハーヴェイの起用が発表された[4]。10月2日、メルヴィン・グレッグとミス・ローレンスがキャスト入りした[5]。 なお、ダニエルズ監督は当初、女優としての経験がないに等しいデイの起用に難色を示していた。しかし、周囲からの強い勧めもあり、取り敢えずデイと会うことにした。直接話をした監督は「デイには十分な魅力があり、ビリー・ホリデイの精神をその身に宿している」と感じ、彼女に演技のレッスンを受けるよう勧めた。それからしばらくして、コーチから監督の下にデイの演技を収めた30秒の映像が送られてきた。その映像を見た監督は「ここに映っているのはビリー・ホリデイを演じるアンドラ・デイではない。ホリデイ本人だ」と感動し、正式なオーディションを経てデイの起用を決断したのだという[6]。 撮影・音楽[編集] 2019年10月、本作の主要撮影がカナダのモントリオールで始まった[3]。17日、クリストファー・ガニングが本作で使用される楽曲を手がけるとの報道があった[7]。後にガニングが降板したため、その後任はマーク・アイシャム→クリス・バワーズと代わっていった[8][9]。2021年1月11日にはデイが歌う劇中歌「All of Me」が[10]、26日には主題歌「Tigress &

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双竜・チボリ – Wikipedia

この項目では、双龍自動車のSUVについて説明しています。その他の用法については「チボリ」をご覧ください。 チボリ(Tivoli、티볼리 )は、 韓国のサンヨンが製造・販売するBセグメント-CセグメントのクロスオーバーSUVである。 サンヨンの世界戦略モデルとしてありとあらゆる地域で「チボリ」として販売されるが、中国市場のみ、商標上の都合により「TIVOLAN(チボラン)」の名で販売される。 当項では、2016年に追加されたロングバージョンのチボリ エア(Tivoli Air、티볼리 에어)についても併記する。 コードネーム「X100」の名で、コランドCの下に位置するコンパクトSUVとして42ヶ月の期間と3.500億ウォンをかけて開発された[1]。マヒンドラ傘下となった後に開発された最初の車種でもある。 エクステリアは双龍車のデザイン哲学である「軽快」「雄壮」「躍動」のうち、「軽快」のコンセプトに基づいてデザインされた。 2011年のフランクフルトモーターショーと2012年のジュネーブモーターショーで発表されたコンセプトカー「XIV-1」、ならびに2012年のモンディアル・ド・ロトモビル(パリサロン)で発表された「e-XIV」を源流とし、2014年のモンディアル・ド・ロトモビルで発表されたコンセプトカー、「XIV-エア」と「XIV-アドベンチャー」はいずれもチボリのデザインスタディモデルである。 インドにおいては2019年2月より、親会社のマヒンドラにて内外装の意匠の一部を変更し、「XUV300」の車名で販売される[2]。 XIV-アドベンチャー 初代(X100型、2015年 – )[編集] 2014年11月25日、予告スケッチが公開され、車名を「チボリ」とすることを発表した[3]。  2014年12月26日、公式画像を発表[4]。 2015年1月13日、発表・発売開始。エンジンは「e-XGi 160」と呼ばれる新開発の1.6Lガソリンを採用し、6MT(TXのみ)もしくはアイシン・エィ・ダブリュ製6ATと組み合わせた。

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ドルマン=プリンス法 – Wikipedia

ドルマン=プリンス法 (Dormand-Prince method) はMATLAB/GNU Octaveにおいてode45として搭載されている常微分方程式の数値解法であり、ルンゲ=クッタ法の一つである[1][2][3][4]。 ^ Dormand, J. R.; Prince, P. J. (1980), “A family of embedded Runge-Kutta formulae”, en:Journal

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管弦楽のためのラプソディ – Wikipedia

この項目では、外山雄三の管弦楽曲について説明しています。芥川也寸志の管弦楽曲については「オーケストラのためのラプソディ」をご覧ください。 ポータル クラシック音楽 管弦楽のためのラプソディ(かんげんがくのためのラプソディ)は、外山雄三によって作曲された管弦楽曲である。 目次 1 作曲の経緯 2 楽器編成 3 楽曲構成 4 備考 5 脚注 作曲の経緯[編集] 外山自身も指揮をしているNHK交響楽団が1960年に行った海外演奏旅行にあたり、作曲された。完成は同年7月で、同月に岩城宏之指揮のNHK交響楽団により東京都体育館にて初演された。日本の民謡が素材となっており、和太鼓、チャンチキ、ボンゴといった打楽器も多用されている。 演奏時間は約7分。完成当初は22分ほどの長さであったが、N響との練習の際に岩城によって大幅にカットされ、現在演奏される形になった。作曲者の外山としては不本意なはずであったが、岩城によるとだいぶ後になって外山から「今となってみるとあのカットのおかげで、この曲はある意味では大ヒット作品になった」と言われ、大変恐縮したとのことである[1]。2001年に改訂された。 楽器編成[編集] フルート3(ピッコロ2持ち替え)、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、チューバ、ティンパニ、拍子木、鐘、うちわ太鼓、締太鼓、ウッドブロック、大太鼓、ボンゴ、チャンチキ、鈴、長太鼓、ハープ、弦五部 楽曲構成[編集]

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南米珍道中 – Wikipedia

南米珍道中 Road to Rio 監督 ノーマン・Z・マクロード 脚本 エドモンド・ベロインジャック・ローズ 製作 ダニエル・デア 出演者 ビング・クロスビーボブ・ホープドロシー・ラムーア 音楽 ジェームズ・ヴァン・ヒューゼンロバート・エメット・ドーラン 撮影 アーネスト・ラズロ 編集 エルスワース・ホーグランド 配給 パラマウント・ピクチャーズ

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日本メタバース協会 – Wikipedia

一般社団法人日本メタバース協会(にほんメタバースきょうかい、英称 ”Japan Metaverse Association(JMA)”)は、2021年12月7日に発足した[1]、日本の暗号資産関連の4社によって設立された、メタバース技術の普及・発展・環境整備を目的とするとされる団体である[2]。設立企業がいずれもメタバースと関係がないと見なされたこと、同協会のメタバースへの認識が暗号資産に偏重したものであることから議論を呼んだ[3]。 日本メタバース協会は暗号資産交換業者であるFXcoin社、同じく暗号資産交換業者であるCoinBest社、暗号資産ウォレットを手掛けるGinco社、暗号資産投資ソリューションを提供するインテリジェンスユニット社の計4社によって設立された団体である[4]。同協会のウェブサイトによると、「メタバース技術及び関連サービスの普及とともに、健全なるビジネス環境及び利用者保護体制の整備を進めることで、我が国の産業発展に貢献することを目的」[2]としているとされ、同協会代表者の大西知生によると、「わが国における情報やアイデアの集積地となり、国内外の個人、企業、団体などがつながるきっかけ、つまり架け橋となることからスタートして、わが国が『メタバース先進国』となることを目指しています」[5]という。 日本経済新聞によると、メタバースはデジタル市場での商機が広がる半面、法律やルールが未整であり、同協会は金融庁など官公庁を交え、市場づくりに着手することでメタバース先進国を目指すという[6]。具体的には「日本の民法は物理的な物にしか所有権を認めていないが、デジタルな物の所有権をどうするのか?」などといった法的問題や、「メタバースにあるデジタルな土地がNFT化され、その払い込みに仮想通貨が使われる場合には仮想通貨交換業者以外でも取り扱って良いのか? 」などといった金融との接点についても整理するという[7]。 同協会では「ネット上にあるメタバースビジネスに関する情報はほとんどが英語で日本語のものはほとんどない、という現実もあります」[2]として英語圏と日本語圏でメタバースに関する情報格差があるとし、同協会代表の大西は「海外との情報格差を埋めていくことを進めたい。また逆に日本の情報を協会が起点となって海外にも発信していきたい。協会がメタバースの情報の集積地になることを目指し、国内外のプレイヤーをつなげていきたい」[8]として英語圏へのキャッチアップを訴えた。 2021年12月現在、日本メタバース協会は暗号資産に関連する企業のみから構成されるが、今後はネット金融会社やゲーム会社などにも参加を呼びかけていくことを予定しており[7]、金融業界や仮想通貨業界、エンターテイメント業界、コンテンツ業界、VR業界など、業界横断的に議論する場所として協会を位置づけていきたいという[8]。 日本メタバース協会の公式サイトの免責事項の第一項には「当サイトに掲載されている事項及びコンテンツは、情報の提供を目的としたものであり、電子仮想通貨・暗号資産及びデジタルトークン・メタバース内におけるコンテンツへの投資の勧誘を目的としたものではありません。最終的な投資決定は、皆様ご自身の判断でなさるようにお願いいたします」[9]とある。 日本メタバース協会の役員は、上述の4社のそれぞれの代表者からなる。4名いずれも暗号資産関連の経歴を持つ。 大西知生(おおにし ともお) 1990年慶應大学経済学部卒。同年東京銀行入行。ドイツ東京銀行、ドレスナー銀行、JPモルガン銀行、モルガン・スタンレー等を経て2017年に暗号資産取引所FxCoin社を設立する。大西は現在、一般社団法人日本暗号資産取引業協会の理事も務めている。Quickmoneywordというニュースサイトによると、2010年台前半に大西は外国為替市場ルール作りに奔走し「Mr.FXJapan」と呼ばれたという。 雒東生(らく とうせい/luo dongsheng) 2017年に暗号資産取引所CoinBest社、宏東キャピタル社、日中農業発展促進協会を設立し代表に就任。2018年には日中中小企業発展協会を立ち上げる。 森川夢佑斗(もりかわ むうと)

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