Month: May 2020

川口朋広 – Wikipedia

川口 朋広(かわぐち ともひろ、1981年9月24日 – )は、TBSテレビで放送されている番組『SASUKE』の有力選手。SASUKE新世代の1人にも数えられる。かつては食品配送やコンクリートミキサー車のドライバーをしていた。東京都世田谷区出身、神奈川県川崎市在住。身長178cm、体重68kg。現在は知人らとクライミングシューズメーカーの「株式会社PER-ADRA」を起業し、同社取締役となっている。 第21回の予選を2位で通過し初出場。以降何回かの予選敗退を経験しつつ、計12回出場している(2019年現在)。 出場資格が得られなかった時期に、彼の実力をよく知る漆原裕治が総合演出の乾へ「シミュレーターでいいので見てやってください」と推薦した事がきっかけとなり、再びSASUKE出場が叶った経緯がある。それ故に、漆原には感謝してもしきれないと語っている。[1] 同時期に逗子の海水浴場でクライミングの壁を建設していた人物と出会い、当時食品運送ドライバーを退職していた事もあり休養も兼ねて仕事の手伝いをし、クライミングに傾倒する事となり、その経験がSASUKEでの好成績にも繋がったと語っている。更にはクライミングシューズが全て欧米のメーカーで日本人の足に合っていない事に目をつけ、「日本人による、日本人のためのクライミングシューズ」というコンセプトの基、知人と共に「PER-ADRA」を起業するに至った。[1] SASUKEでの戦歴[編集] 大会ごとの戦歴[編集] 第20回大会〜第24回大会[編集] 第20回大会の予選に参加したが、3回戦で敗退したので本大会には出場できなかった。第21回大会に予選会、SASUKEトライアル2008を2位通過し、初出場。同大会では1stハーフパイプアタックで着地後、バランスを崩し横にコースアウトする形で転落しリタイア(ゼッケン47)。第22回大会は予選会を再び突破し出場。1stスライダージャンプでネットに飛び移る際にネットを掴み切れずリタイア(ゼッケン78、ダイジェスト)。第23回は欠場。第24回は1stを16.10秒残しで自身初のクリア。同大会で最初の1stクリア者となる。2ndでは難関サーモンラダーを軽々と突破したが、アンステーブルブリッジの着地の際に上半身に重心が残った状態で進もうとしてしまったため後方にバランスを崩し落下(ゼッケン47)。 第25回大会〜第29回大会[編集] 第25回は1stサークルスライダーでリタイア(ゼッケン67、全カット)。第26回は欠場。第27回は1stローリングエスカルゴでリタイア(ゼッケン25、全カット)。第28回は欠場。会場には来ていた。第29回は予選会に出場するも予選落ちし、本大会には出場できなかった。 第30回大会[編集] 前述の漆原の推奨もあって、念願がかなって約3年振りの出場。1stを約4年6ヵ月ぶりにクリアして、続く2ndも勢いに乗り、自身初のクリアを果たす。3rdでは、ドラムホッパーでバランスを崩す場面が見られたが立て直し、クレイジークリフハンガー2人目の成功者となる。さらに前回、森本裕介が屈したパイプスライダーをも制し、勢いそのままに2012年のリニューアル後初かつ3rd初挑戦でのクリアとなる。本人も行けるとは思っていなかったようで、思わずゴールに着いた直後に「行けたよ!」と叫び、後に続く新世代組の仲間達に「行けるってこと証明したから」と涙を見せながら激励の言葉を掛けた。FINALではスパイダークライムで足が滑り大幅にタイムロス。綱登りまではたどり着いたものの、残り8mほど残した状態でタイムアップとなった(ゼッケン2967)。また、本人はこの大会のFINALステージをボーナスステージとして捉えてしまったことが、完全制覇を逃した原因であると翌大会のVTRで振り返っていた。 第31回大会〜第33回大会[編集] 第31回は前回の活躍もあってゼッケンは97と大躍進。1stそり立つ壁を1度失敗する場面も見られたが他は磐石のパフォーマンスを見せる。川口の後に1stに挑んだ挑戦者3人が全員そり立つ壁でリタイアしてしまったため、2ndの時点で既に最後の挑戦者となったが、ここでも一切無駄の無い攻略を見せ3rdへと駒を進めた。3rdでは前回クリアしたクレイジークリフハンガーの飛び移りで、右手の位置が合わずまさかのリタイア。競技後のインタビューでは「重かったです、最終競技者は。まだまだそのような器ではなかったということだと思います」と振り返った。第32回は前回同様、ゼッケン97番で出場。川口の番まで回ってきた時点で、長崎峻侑を除く大半の新世代組が1stステージリタイアという絶望的状況の中、ターザンロープで少し危ない場面があったものの、2位のタイムの20.65秒残し(1位はラギヴァル・アナスターズの25.87秒残し)という好成績で1stステージをクリア。クリア後のインタビューでは、「散っていった仲間達の分まで頑張りたいです、本当はみんなで一緒に次のステージに行きたかったです」と言葉を詰まらせながら語った。続く2ndステージも突破するものの、その際に最終エリアのウォールリフティングの3枚目を足に落とした事によって足の甲を負傷。さらに運の悪いことに、3rdステージで川口の前の挑戦者・ラギヴァルのスタート前に雨が降り始め、3rdステージは悪天候という最悪なコンディションでの挑戦となった。第2エリアのフライングバーでは、バーを乗せる皿にタオルがかけられ、雨の影響から配慮された環境で挑むも、濡れたバーが体を振った反動で動いてしまい、飛距離が出ず、1回目の飛び移りに失敗、バーごと落水した。放送後、自身のInstagramにて、雨の中での挑戦となった事について「何も不満はありません」と語っている。第33回は自身初となるゼッケン99番で出場。1stステージ第4エリアのフィッシュボーンまで好調なテンポで突破し、最速タイムの期待が高まるも、それに拘りすぎたためか、続く第5エリア・ダプルペンダラムであまり反動をつけずに一度の勢いで飛び移ろうとした結果サンドバッグからずり落ちてしまい、5年半ぶりの1stリタイアとなった。本人も「過信をしていました、前の大会で一回で行けていたので。距離感は合っているように見えました」と語り、本人も想定外のリタイアであったことを明かした。時間の余裕があったのにも関わらず先を急ぎすぎたことについて、解説の長野誠からは「そんなに慌てなくても時間はあるので、もう一回くらいは振った方がよかったんですけどね。あんなバカなことするなって言いたいんですけどね」と苦言を呈されていた。 第34回大会〜第38回大会[編集] 第34回では自身初のゼッケン98番で出場。1stでは前回失敗したダブルペンダラムも問題なく突破しクリア。2ndも警告音を鳴らしながらも突破。第32回以来となる3rd進出となる。しかし、川口のスタート前に小雨が降りはじめ、一時中断。雨は止んだが、念のためセットに屋根をかけてのスタートとなる。自身初のウルトラクレイジークリフハンガーまでたどり着き、1本目から2本目の飛び移りには成功したものの、3本目への飛び移りで突起を掴み切れず落下となった。第35回では自身2度目のゼッケン99番で出場。また、この回から転職した自身のクライミングシューズメーカーのTシャツを来て競技を行うようになり、1stクリアの際にはそのTシャツを指を指してアピールするジェスチャーを行うようになった。1stは好調でクリアしたものの、2ndのバックストリームで水を飲んで流されてしまい、一時は前に進むのを止め諦めかけるも、前回の悔しさや他の新世代組の励まし、そして日置の「諦めんなよ!

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真島正市 – Wikipedia

真島 正市(まじま まさいち、1886年12月15日 – 1974年4月28日)は、日本の応用物理学者。東京大学名誉教授。元東京理科大学学長。元日本学士院会員。元日本金属学会会長。元応用物理学会会長。文化功労者。日本学士院賞受賞。 目次 1 人物 2 略歴 3 著書 4 脚注 香川県大川郡神前村(現さぬき市)生まれ。日本における応用物理学分野の権威であり、金属、木材、摩擦、衝撃、燃焼等、多方面に亘って物理現象を研究する。1965年文化功労者。主著に『応用物理学実験法』、『圧力測定法』等。 1914年 東北帝国大学理科大学物理学科卒業 1917年 東京帝国大学理科大学講師 1920年 東京帝国大学工学部助教授 1923年 理化学研究所主任研究員 1927年 ドイツ留学(1929年まで)

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熊本県企画振興部 – Wikipedia

熊本県企画振興部(くまもとけんきかくしんこうぶ)は熊本県庁に置かれている知事直轄の部局である。2002年4月に企画開発部(きかくかいはつぶ)から再編された。 財務省(大蔵省)とは古くから人的なつながりがあり、企画振興部長(企画開発部長)は伝統的なポストとされている[1]。石川県総務部長、同県企画振興部長、横浜市財政局財政担当課長などと同様に財務省(大蔵省)出向者が就くことの多いポスト。 所掌 熊本県内部組織設置条例(令和2年10月13日条例第40号)第2条に分掌事務が規定されている。 (分掌) 第2条 県に次の各号に掲げる内部組織を置き、その分掌事務は、それぞれ当該各号のとおりとする。 (1) 地域振興部 ア 行政の総合的な企画、調査及び調整に関する事項。 イ 地域振興に関する事項。 ウ 統計に関する事項。 企画課 県の政策及び施策の総合的な企画、総合調整及び調査研究に関すること。県政運営の基本方針の策定及び進行管理に関すること。知事会等に関すること。地方分権に関すること。東京事務所に関すること。 統計調査課 統計法(平成19年法律第53号)及び熊本県統計調査条例(昭和30年熊本県条例第19号)に基づく調査(他課所掌のものを除く)に関すること。県勢の調査に関すること。 地域振興課

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大津市立志賀中学校 – Wikipedia

大津市立志賀中学校(おおつしりつ しがちゅうがっこう)は、滋賀県大津市南船路にある公立中学校。 比良山麓の大津市南船路に位置し、3万9千平方メートルの敷地を有する。鉄筋三階建の4棟からなり、屋内体育館が設置されている。校区が広いため全生徒の約8割が湖西線を利用して通学する[2]。 中学校の名前にある「志賀」の名前は木戸出身で行司の祖とされる志賀清林の名に由来する。校章は志賀清林や志賀町(当時)の「志」を図案化したもので、「学を志す」という意味を込めている[2]。 1947年(昭和22年) – 滋賀郡和邇村立和邇中学校と木戸村立木戸中学校が合併し、和邇村・木戸村学校組合立志賀中学校となる。 1949年(昭和24年)7月5日 – 小松村立小松中学校と合併する。合併後も「小松校舎」として1977年(昭和52年)まで存続する。 1953年(昭和27年)4月 – 和邇村大字今宿(現:大津市今宿)に新校舎が建設され、和邇校舎(旧:和邇中学校)と木戸校舎(旧:木戸中学校)が統合される。 1955年(昭和30年)10月1日 – 和邇村・木戸村・小松村が合併して志賀町が発足したことにより、志賀町立志賀中学校と改称する。 1977年(昭和52年)4月4日 – 和邇地区の本校と北小松地区の分校(小松校舎)が統合される 2006年(平成18年)3月20日

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ハナフサ – Wikipedia

この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。出典検索?: “ハナフサ” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2015年3月) ハナフサ(花房)は、キンギョの一品種。背鰭を欠くタイプと欠かないタイプがおり、呼ぶ名称も異なる。  背鰭を欠かないタイプを指す場合が多く、主にオランダシシガシラ、リュウキンに多く、日本産の個体が多い。背鰭を欠くタイプはランチュウに多く、中国産を指す。  共通する点は鼻孔から肉が食み出しており、見た目が房が飛び出しているように見る事から名付けられた。区別をする意味で日本産をハナフサ(花房)、中国産をフサヒゲ(房髭)と区別をする場合が多い。現在では日本産の個体は愛好家以外では手に入り難く、大半は中国産である。 日本花房[編集]  背鰭があるタイプの日本花房は近畿大学で教授、農学博士であった松井佳一による書籍等には鎖国時に琉球を経て九州や四国で繁殖されたオランダシシガシラの一部から当然変異で現れ、後に三重県の松阪市、鈴鹿市を中心に飼育をされた事から日本花房を伊勢花房と呼ぶ事があると記されている。  この時のオランダシシガシラは現在の個体と違い、ワキンに近く、大きくなる九州産のジャンボオランダや四国産のトサキンに準じた反り尾の個体であるアワニシキ等がおり、現在の個体とは異なる。震災等で大正年間に一時は全滅をしたが、昭和31年(1956年)に大和郡山市、弥富市で相次いで発見され、現在は保存会が中心となり、飼育されている。 中国花房[編集]  こちらはランチュウと同じ背鰭が無いタイプであり、中国では絨球魚(シュウキュウギョ)と呼ばれており、桜井良平の書籍によると房の大きさは国産の個体よりも小さいが、色彩等は鮮明であり、醍醐味がある事が書かれている。  日本花房に類似る背鰭がある個体も存在するが、こちらはエドニシキ等を交配する際に産まれた個体であり、アズマニシキ、キャリコリュウキン等が片親のために産まれる。これ等は中国花房として区分されず、オランダハナフサ、リュウキンハナフサ等で呼ばれ、個体を区別する。  このタイプには鰓の巻く個体もおり、マキエラ(巻鰓)と呼ばれ、鰓にある耳の部分が変形をしている。鼻(フサランチュウ)、眼(チョウテンガン、スイホウガン)の変形した個体とは違い、好まれておらず日本での流通は殆どない。  留意する点は当歳の個体は房が小さく、フィルターに房が巻き込まれる事があり、フィルターにカバーを付ける等の処置をしないと飼育はできない。房はちぎれると再生はせずに細菌が要因となる疾患に罹患し、死ぬ要因となる場合もある。

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相模川 – Wikipedia

この項目では、山梨県および神奈川県を流れる河川について説明しています。そのほかの相模川については「相模川 (曖昧さ回避)」をご覧ください。 上流の桂川と名勝猿橋(2017年11月16日撮影) 相模川(さがみがわ)は、山梨県・神奈川県を流れる相模川水系の本流で、一級河川である。 相模川の名前は相模国に由来する[1]。 上流の山梨県では、桂川(かつらがわ)と呼ばれている。この名前は都留市、忍野村、山中湖村の境にある石割山にそびえ立つ石割神社の神木・桂の巨木から由来し、その後ろにある御釜石から湧き出ている水が相模川の1つの源流となっている[2]。 河口近くの下流では、馬入川(ばにゅうがわ)と呼ばれている。鎌倉時代に相模川を渡る東海道に初めて相模川橋と呼ばれる橋が架けられたときに、落成供養に臨んだ源頼朝が乗った馬が暴れて落ちたという伝説にちなむ[3]。 古くは鮎川(あゆかわ)と呼ばれ、鮎が多くおり、鮎漁が川沿いの暮らしに深く関わってため名付けられた。江戸時代から相模川産の鮎は将軍家への「献上鮎」として江戸城に上納されていた[1]。 山梨県南都留郡山中湖村、富士五湖の一つでもある山中湖を水源とする。富士山北麓の水を集めながらまず北西に流れ、富士吉田市で北東に折れる。都留市を経て大月市で流路を東に変える。相模湖と津久井湖(ともに相模原市)という2つのダム湖を経て、ゆるやかに進路を変え、厚木市からは南にまっすぐ下り、神奈川県中部を貫き平塚市・茅ヶ崎市の境付近で相模湾に注ぐ。 都留市より上流では富士山の噴火による噴出物に関連した地形が見られる。大月市付近より下流では河岸段丘が分布し、相模原市緑区東部より下流に相模平野を形成する。左岸には数段の段丘面を持つ相模野台地(相模原台地)が広がり、南に流路を変えた厚木市・座間市よりも下流には自然堤防を伴った沖積平野を発達させている。河口( 北緯35度18分55秒 東経139度22分09秒 / 北緯35.315168度 東経139.36925度 / 35.315168; 139.36925座標: 北緯35度18分55秒 東経139度22分09秒

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ナナイロホリデー – Wikipedia

この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。出典検索?: “ナナイロホリデー” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2016年7月) 「ナナイロホリデー」は、SKY-HIの7枚目のシングルである。2016年7月27日発売。発売元はavex trax。 前作「クロノグラフ」から2か月ぶりとなるシングル。 CDの発売前の7月21日にiTunesにて先行配信が行われた[1]。iTunesの配信ではボーナストラックとして新曲「Blame It On Me」が限定で収録された[1][2]。iTunesの総合チャートでは1位を獲得[3]。 ナナイロホリデーの発売を記念し、リリースイベントを各地で行った[4]。 全作詞:SKY-HI CD[編集] CD

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ゴッタルド道路トンネル – Wikipedia

この項目では、1980年に開通したトンネルについて説明しています。ゴッタルド峠に存在する他のトンネルについては「ゴッタルドトンネル」をご覧ください。 この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。出典検索?: “ゴッタルド道路トンネル” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2014年7月) ゴッタルド道路トンネル(ゴッタルドどうろトンネル)は、スイスに存在する世界で4番目の長さの道路トンネルである(世界1位はノルウェーのラルダールトンネル、2位は日本の山手トンネル(18.2km)、3位は中国の秦嶺終南山トンネル(中国語版)(18.0km))。全長16.9kmで、ゴッタルド峠の下を貫き北側のウーリ州ゲシェネンと南側のティチーノ州アイロロを結んでいる。ドイツのハンブルクとイタリアのシチリアを結ぶ最短の道路の一部となっている。 1952年からトンネル建設の第1次予備調査を開始していたが、着工まではさらに時間を要した。1966年に調査結果が出て、1969年8月23日に北側から、10月14日に南側から坑道の掘削を開始、本坑トンネルも同年11月1日に北側から、11月25日に南側から開始された。換気用の立坑も掘削された。坑道は1976年3月23日に、本坑トンネルは12月16日に貫通した。坑道や立坑を合わせた掘削総延長は約37キロメートルに達し、北側からは1日平均4.92メートル、南側からは5.5メートルを掘削した。掘削量は北側は60万立方メートル、南側は73万5000平方メートル、掘削に使用した火薬は1,000トンに達した。ほぼ100年前のゴッタルド鉄道トンネルの建設と大差のない工期であったが、道路トンネルの方は坑道や立坑を別に掘削したこと、鉄道トンネルの際に最大1,500人に及ぶ労働者が働いていたのに対し、道路トンネルでは250人に留まったことが、100年間の技術進歩にもかかわらず同程度の工期になった理由であった[1]。 トンネルは1980年9月5日に開通した。当時世界最長の道路トンネルであり、総工費は6億8600万フラン(約805億円)であった。このトンネルによりヨーロッパの南北を結ぶ高速道路網が完成し、開通してすぐに通行車両数は急増していった。これに代わって、それまでゴッタルド鉄道トンネル経由で運転されてきたカートレインは廃止となった[1]。 2001年10月24日、トンネル内で2台のトラックが衝突して火災が発生し、11名が亡くなった。修復と清掃のためにトンネルは2ヶ月間閉鎖された。 2012年6月、ゴッタルド鉄道トンネルが落石により不通となり、危険物の輸送が停滞した。このため鉄道の不通期間に限り、ゴッタルド道路トンネルで禁止されてきた危険物輸送車両の通行が、制限付きで認められることとなった。具体的には、時間を限り一般車両を通行止めとし、警察車両が誘導、危険物輸送車両で隊列を組み、消防車両が追随する形で走行が行われた[2]。 道路状況[編集] ゴッタルド道路トンネルはスイスの高速道路A2の一部である。バーゼルからイタリアとの国境のキアッソまでを結んでいる。 トンネルは片側1車線の対面通行で、制限速度は80km/hである。 トンネルは過密状態で、しばしば渋滞を引き起こしている。これに対してアルプス山脈を貫くトンネルでは、ヴァレー州のグラン・サン・ベルナールトンネルの方が空いており、時間的にも短いことが多い。ただし距離的にはゴッタルド道路トンネル経由の方が短い。 トンネル内では、トラックの車間距離は150メートル以上を取るように規制されている。

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アンドレア・アッゼニ – Wikipedia

この記事には参考文献や外部リンクの一覧が含まれていますが、脚注による参照が不十分であるため、情報源が依然不明確です。適切な位置に脚注を追加して、記事の信頼性向上にご協力ください。(2021年9月) 2015年11月15日・京都競馬場 アンドレア・アッゼニ(Andrea Atzeni、香港表記:艾兆禮、1991年3月26日- )は、イギリスを拠点とする騎手である。イタリア・サルディーニャ島出身。 目次 1 来歴 2 戦績 2.1 主な勝ち鞍 3 脚注 4 参考文献 5 外部リンク 2008年、イギリスにて見習騎手デビュー。同年7月22日に初勝利を挙げる。 2012年、ソルティレイジ(Sortilege)でイタリアのリディアテシオ賞を勝ち、G1初制覇。

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福州地下鉄2号線 – Wikipedia

福州地下鉄2号線(ふくしゅうちかてつ2ごうせん、中文表記: 福州地铁2号线)は福州地下鉄の路線であり、ラインカラーは緑。 2009年6月、国家発展改革委員会により福州地下鉄1号線・2号線の建設を承認された[1]。2014年11月に建設開始[2]、2019年4月26日に開業[3]。 2号線は東西方向の路線であり、全長は30.629kmで、22の駅と1つの車両基地がある。閩侯県、高新区、晋安区などの郊外地域と市内の上街大学城、金山工業区、金山居住区などのエリアを繋げる路線である[4][5]。 2004年、福州市は2010年から2015年の間に、大学城から下院地域までの鉄軌道路線を建設する計画を発表した[6]。 2009年6月3日、国家発展改革委員会は「福州都市高速鉄道短期建設計画(2008-2016)」を承認した。この計画では2号線が含まれた[1]。 2012年11月26日、国家発展改革委員会は「福州軌道交通2号線実行可能性調査報告書」を承認した[7]。 2014年3月20日、福建省発展改革委員会は「福州軌道交通2号線プロジェクト初期段階設計」を承認した[8]。 2014年11月28日、金祥駅で起工式を開催し、2号線の建設が正式に開始[2]。 2016年5月5日、金祥駅の駅構造が完成。2号線で最初に完成した駅である[9]。 2016年6月18日、厚庭 – 桔園洲駅間の烏龍江トンネルが建設開始。同線最初の着工区間であった[10]。 2016年6月30日、2号線の18の駅が建設開始[11]。 2016年7月19日、一期計画に洋里駅を追加[12]。 2016年7月29日、BOTの管理権は、南京地下鉄を含む事業団体に取得[13] 。 2016年8月28日、金祥 – 祥坂駅間の閩江トンネルが建設開始[14]。

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