台韓関係 – Wikipedia

台韓関係(たいかんかんけい)では、中華民国(台湾)と大韓民国の二国間関係について述べる。

中華民国(台湾)にとって、大韓民国はアジアにおける最後の修交国だった。両国は、第二次世界大戦後の独立以前、共に日本に国家併合され(日本統治時代の台湾、日本統治時代の朝鮮)、互いに元大日本帝国外地臣民として同様の文化を共有したことや反共主義を国是としていたなど、歴史的な背景が似ている。1949年10月1日の中華人民共和国建国による中華民国政府遷台以降から、1988年まで韓国は本土の中華人民共和国(中国)を「中共」と呼称し、中国国民党の蔣介石総統と共に台湾に逃れた中華民国を「自由中国」若しくは「国中」と区別した。

しかし、韓国が1992年10月に北方外交朝鮮語版を推進していた大韓民国の盧泰愚大統領が中華人民共和国と国交を樹立したことにより、「一つの中国論」に従って43年7カ月の間続いた両国の外交関係は絶たれることとなった。

2011年時点での韓国の対台湾輸出額は182億0596万米ドル、台湾の対韓輸出額は146億9358万米ドルに達している[1]

1945年8月15日の大日本帝国のポツダム宣言受託による朝鮮解放後、朝鮮分割後の南朝鮮では、1945年9月8日に仁川に上陸したアメリカ軍によって朝鮮建国準備委員会(建準)が解体され、アメリカ軍政庁による占領統治が続いた。解放後の朝鮮半島には金九、金奎植ら中華民国の重慶に所在していた大韓民国臨時政府の要人が帰還している。

1948年5月10日には、国際連合管理下の南朝鮮単独で制憲議会の総選挙が実施され、李承晩初代大統領の執政下で第一共和国が成立した。大韓民国の建国の4ヵ月後に、台湾は大韓民国を朝鮮半島における唯一の合法政府であることを認め、1949年1月4日にソウルの明洞に大使館を開設した。国連安全保障理事会は、決議82と83において大韓民国に対する朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の軍事行動を非難したが、当時常任理事国だった中華民国は両方の決議に支持票を投じた。

1950年6月25日に朝鮮戦争が勃発した際は、中華人民共和国が中国人民志願軍(抗美援朝義勇軍)を李承晩大統領の「北進統一論」に基づいた国連軍の38度線北上に対抗して朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)側に派遣する一方で、中華民国(台湾)は中華民国国軍(台湾軍)を朝鮮半島に派遣することは無かったものの、在韓の華僑学校の教員や生徒が心理戦要員として、中国人民志願軍兵士に投降を呼びかけるなどの役割を果たした。

その後も両国は、東西冷戦下において非常に緊密な関係を維持し、1975年に蔣介石総統が死去した際は、朴正煕大統領が総統死去への哀悼の意を表明する対国民特別談話を発表したほか、金鍾泌国務総理を弔問使節として台湾に派遣した。

だが、東西冷戦の終結が近づくにつれ、1988年2月25日に発足した盧泰愚大統領による北方外交が積極展開されるようになり、ソ連や中華人民共和国など共産主義国との関係改善に乗り出したことは、同時に大韓民国と中華民国(台湾)との関係悪化を招くことでもあった。1992年8月24日に、大韓民国政府が中華人民共和国と国交を樹立することを発表すると、中華民国(台湾)は断交を回避すべく大韓民国側と幾度なく交渉を行ってきたが、韓国側の答えは「断交などあり得ない」というものだった。にもかかわらず、大韓民国は「一つの中国論」に基づいて中華民国(台湾)との断交に踏み切り、断交したその日のうちに駐大韓民国中華民国大使館 (韓:주한 중국 대사관) の保有資産を中華人民共和国名義に変更した。

この為、台湾人の対韓感情は著しく悪化し、暫くの間両国間の交流は途絶えることとなり、両国間の定期直航便も12年に亘って中断されることとなり、台湾から韓国へ向かう観光客の年間総数も、1992年には42万人だったのが、翌1993年には20万人にまで落ち込んだ[2]

だが、1993年にはソウル特別市に中華民国代表部、2005年には釜山に事務処が開設され、徐々にではあるが産業・貿易分野での交流が活発になり始めている。また、2004年9月には両国間で定期航空路線が再開されることが発表された[3]

現在、大韓民国には約2万人の中華民国国籍を持った華僑が居住している。彼らのは大部分は、大韓民国で生まれたものの、親が中華民国国籍であるため、出生時に韓国国籍を与えられることは無い。彼らのうち、90%は山東省若しくは東北部にルーツを持つとされている。一方、2010年12月の時点で3,968人(在外国民 3,548人、市民権者 420人)の大韓民国人が中華民国に居住している。

台韓関係の現状[編集]

政治関係[編集]

  • 冷戦時代に反共である台湾と韓国は友好関係であり、韓国人の台湾留学生は1000人を超え台湾外国人留学生の半数以上を占めていたほどであった。台湾は1963年に韓国に経済開発五ヵ年計画を資金援助していた。台湾は韓国が1992年に中国と国交樹立する際に、韓国が台湾と断交するのではないかと察し、韓国と幾度となく交渉を行ってきたが、韓国側の答えは「断交などあり得ない」というものだった。韓国は断交を阻止したい台湾に韓国車を売り付けた。にもかかわらず、当時アジアで唯一国交を持っていた韓国は台湾との断交に踏み切り、断交したその日のうちに韓国の台湾大使館の保有資産を中国名義に変更した。この時、韓国メディアの論調は「我が国(韓国)の見事な作戦により台湾にその意図を察知されずに断交が行われた」「台湾を捨て、中国と友好関係を結ぶことは我が国(韓国)に絶大なる利益をもたらす」という記事を掲載した。この為、台湾人の対韓感情は著しく悪化した。さらに韓国は台湾の国連加盟やIMF加盟に反対した。韓国は台湾にアジア通貨危機の資金援助を要請ではなく命令しており、「通貨危機に陥っていない台湾は韓国に援助する義務がある」といった理解不能な高飛車な物言いであった。高雄市議会は与野党が全員一致で、姉妹都市の釜山市と絶縁を決めた。それは台南市議会にも波及し、同じ措置を取ることになった。与野党の対立が激しい台湾でこのような全員一致の決議は非常に珍しいことであり、閉店に追い込まれる韓国焼き肉店が続出し、韓国人ジャーナリストが台湾のタクシーで朝鮮語を話しただけで降ろされたこともあった[4]
  • 1999年12月15日、韓国の台湾代表部(大使館領事館に相当)所属外交官の妻である韓国人女性が交通事故を起こした際に日本人を装って誤魔化そうとした事件があった。車が韓国の台湾代表部公用車ナンバー「外0455」であることから嘘が発覚した。この韓国人女性は「台湾の警察はいい加減だから日本人と主張しようと思った」などど主張した[5]
  • 台湾においても韓国起源説が広く認知されるようになり、台湾メディアも大々的に報道するようになった。『朝鮮日報』は2008年8月8日付で「台湾メディアには最近、恥知らずな韓国人が頻繁に登場する。韓国人は礼儀知らずで、他国の歴史を盗む民族だという」と報じた。また、台湾の『中国時報』は2008年6月1日付で「韓国人は釈迦を韓国人と呼ぶ」との見出しの記事を掲載し、「韓国の文化拡張運動が再び強まっている。老子、孔子が韓国人だと言ったと思えば、今度は釈迦が韓国人だと主張している」と報道し、台湾人の間に嫌韓感情を巻き起こしている[6][7]。また、台湾の馬英九総統は、繁体字の世界文化遺産申請と関連して、「韓国に繁体字の世界文化遺産登載申請を奪われるかもしれない」と憂慮を示し[8]、台湾には中国大陸にルーツを持つ人も居るため、中国文化には敬意を表明し、韓国が中国の歴史を強奪することを非難している。なお、台湾政府の外郭団体である「中国語ネットワーク教育センター」は、ホームページに「歴史的に、韓国は中国の植民地だった」と掲載している[9]

民間関係[編集]

  • 2004年のウィリアム・ジョーンズカップ国際女子バスケットボール大会で、7月18日に韓国と台湾の試合が行われた際、プレー中の出来事が原因で試合終了後に両国チーム間で乱闘が始まった。乱闘を目にした台湾の観衆は韓国選手らに罵声を浴びせ、ペットボトルを投げ込んだ[10]
  • 台湾のサイト開罵王が2000年に行った調査「あなたが一番嫌いなのはどこの国の人ですか?」では韓国人が35.07%で1位だった。2005年にYahoo奇摩中国語版とTVBSの「韓国の印象」調査では嫌い73%、好き16%だった。また、大韓貿易投資振興公社英語版が2007年に21カ国・地域で2809人を対象に行った韓国の国家ブランドイメージ調査の結果、台湾は、韓国政府の選好度は2.98点、韓国国民の選好度は2.84点と21カ国・地域中一番低いことが調査された。これを受けて『韓国日報』は、「韓国の対台湾断交措置や親中国外交に対する背信感がまだ深く位置していることが確認された」と報道した[11]。また25カ国・地域で4214人を対象に行った2009年度調査では、選好度が低かったのは順に、香港(23位)、インドネシア(24位)、台湾(25位)だった[12]。2009年に台湾の財団法人金車教育基金会が学生を対象に実施した「最も友好的な国・最も非友好的な国」に対するアンケートの結果、韓国は「最も非友好的な国」の第2位(33.3%)だった[13]
  • 2009年に開催された第2回ワールド・ベースボール・クラシックに関して、Yahoo奇摩中国語版が「準決勝に進出した4カ国のうち、どのチームを応援するか?」というアンケートを行ったところ、63.4%が日本、10.4%がアメリカ、韓国はベネズエラ(7.2%)より下の最下位(5.3%)だった[14]
  • 北京オリンピック野球最終予選、韓国対台湾戦で台中インターコンチネンタル野球場を埋め尽くした台湾観衆は台湾のみを熱狂的に応援し、プラカードには「キムチを殺せ」「拘肉の国韓国」「整形するなら韓国で」「韓国はアジアナンバー3」などの文字が書かれていた。これを見た韓国のネチズン達は、「試合中のヤジも本当に酷かった」「カメラでずっとプラカードを撮る放送局も理解出来ない」などの不快感を表している[15]
  • 2009年にラオスで開催された東南アジア競技大会のテコンドー競技で、台湾チームの選手が韓国チームの選手に反則まがいの技で敗れて金メダルを逃したことを台湾メディアが大々的に報道し、韓国人入店禁止のレストランが出現し物議をかもした[16]
  • 台湾のコンビニエンスストアなどでは高麗棒子(高麗棒子は主に中国・台湾人が使う韓国・朝鮮人の蔑称)の商品名で韓国風海苔巻きが販売されている。
  • 2010年広州アジア大会の女子テコンドー49kg級予選で台湾の楊淑君選手が失格で敗れたことが、台湾で反韓感情を引き起こした。不可解な失格判定に対し、韓国の介入が噂され、台北市の韓国人学校ではタマゴを投げつけられる事件も発生した。台湾外交部は、平和的で理性的な態度をとるよう呼びかけた。台湾の韓国大使館も在台湾の韓国人に対して注意を呼びける事態に発展し、反韓感情の波はビジネスにまで波及。台湾の韓国人街では韓国商品のボイコットを叫ぶ若者も現れ、韓国人街の小売店では、楊淑君選手が失格となって以来、1日あたりの売り上げが10%ほど減少した[17]。これに対し、韓国外交通商部は台湾に対し、「わが国は試合結果と無関係だ」と伝えた。外交通商部の報道官は、「楊淑君選手が失格となったことは残念だ。われわれは台湾における反韓感情と、韓国国旗を燃やしたり、韓国製品のボイコットをしたりする反韓行為に注目している。状況が悪化するようならば、台湾に対して遺憾の意を伝える」と述べた。韓国では連日のように台湾での反韓感情の持ち上がりと反韓行為が報道されており、韓国でも台湾に対する批判の声が高まりつつある[18]
  • 台湾人は、「韓国人は漢字は韓国が発明したと思っている」「韓国人は幼い時から孔子は韓国人だと学ぶ」「韓国人は辛亥革命の先導者である孫文を韓国人だと主張している」と信じているため[19]、2010年アジア競技大会で、台湾のテコンドー選手である楊淑君が失格判定を受けた際に、「韓国が楊淑君の金メダルを奪おうとしている」という反発が起き、台湾メディアの『自由時報』は「孔子を韓国人だと主張している韓国が、今回は台湾テコンドーの宝である楊淑君の金メダルまで取っていった」という社説を掲載した[19]。また、台湾のミュージシャンであるウィルバー・パンは、韓国のミュージシャンであるFree Style(音楽グループ)朝鮮語版の曲の盗作騒動を起こし、100億ウォンの損害賠償訴訟を起こされたが、台湾では、この盗作騒動について「また、韓国人が私たちのものを奪っていった」という反発が起きており[19]、韓国メディアの『Money Today英語版』は、「台湾メディアは暇さえあれば、社会の基底の反韓感情を刺激する記事を書いて読者を集める戦略を使用してきた。『韓国有名大学の某教授が孔子は韓国人だと主張した』などの虚偽報道をおこない、反韓感情を刺激するやり方だ」と報じている[19]
  • 2012年1月に、台湾の司会者、郭子乾中国語版が韓国のホテルに宿泊中に、湯沸かし器の底が落ち大火傷を負ったが、その際のホテルの対応の劣悪さに加えて2013年9月、韓国の裁判所が「全ては郭氏が故意に起こした騒動であり、ホテルの名誉を傷つけるための捏造」という判決を出したため、嫌韓感情が高まっている[20]
  • 2013年のWBC予選の台湾-韓国戦の際、台湾応援団が北朝鮮の金正恩第1書記などの顔写真を切り抜いたプラカードや「整形は韓国に帰れ」と書かれたプラカードを掲げる[21] 行為が見られたこと、また台湾人女性が韓国旗を潰す動画がYouTubeに投稿される[22] など、嫌韓感情が強い。
  • 2015年11月19日の世界野球プレミア12準決勝日韓戦(東京ドーム)で韓国が4対3で勝利し決勝進出を決めた際には、台湾のネットユーザーが「韓国にだけは勝って欲しくなかった」とコメントしている[23]

経済関係[編集]

関連項目[編集]