ヤベオオツノジカ – Wikipedia

ヤベオオツノジカSinomegaceros yabei)は、30万年前から1万2千年前頃(新生代第四紀中期更新世 – 更新世末)の日本列島に生息していた大型のシカである。ヤベオオツノシカとも記される。日本語名が同じ「オオツノジカ」を冠するものの、ギガンテウスオオツノジカ(Megaloceros giganteus)とは別属別種とされる。

肩高1.8m、体長2.6mに達した大型の鹿である。[1]
シカ亜科の中で1グループを成すオオツノジカ族は、頭の上に1対の大きな角を発達させており、角の違いが外観上もっとも目立つ特徴とされる。属名は「中国(Sino)」+「巨大な枝角(Megaceros)」を意味する。同属の別種が中国大陸から発見されている。

ヤベオオツノジカの角は、頭骨に付着する根本のすぐ近くで前後に分岐する。後ろに分岐した骨(主幹)は、柱状に長く後方外側に伸びてから、掌の形に平らに広がる。前方に分岐する骨(眉枝)は、これと90度の角度で上方に伸びてから、やはり掌の形に広がる。下顎骨の厚みは中程度である[2]

中国産の同属 S. sangganhoensisと S. flabellatusも似た特徴の角を持つが、後方外側に伸びる主幹柱状部の方向が異なる。すなわち、ヤベオオツノジカの場合には外側への傾きが弱く、対になる左右2本の主幹柱状部が作る角度が70度以下であるのに対し、他の2種は外側に張り出す傾向が強く、左右がなす角度は90度を越える[3]。た下顎骨長と下顎枝の高さ、臼歯の大きさと歯列長が同属の他種より大きいといった特徴も持つ[4]

分布と年代[編集]

発見された化石の分布から、日本列島のうちで北海道から九州までに分布していたと考えられている。大陸にはいない日本固有種で、ナウマンゾウとともに更新世の日本の代表的大型哺乳類であった[5]

本州では多数見つかっているのに対し、北海道での発見は由仁町から出た角[6]と忠類村で出土した歯[7]と数少ない。北海道へは本州から渡っていったと考えられ、その時期は約30万年前[8]または約12万年前[7]とする説がある。同じ時代にサハリンから北海道、東日本から中部日本[9]へと南下したヘラジカと異なり、ヤベオオツノジカは温帯系の動物であった[10]

もっとも新しい時代の化石は縄文時代草創期であり、広島県庄原市東城町の帝釈峡馬渡遺跡で見つかった約1万2千年前[11]のものや愛媛県西予市(旧東宇和郡)の東宇和郡穴神洞遺跡からの発掘が該当する。[12]

人間との関わり[編集]

後期旧石器時代の人々は、ナウマンゾウやハナイズミモリウシとともにヤベオオツノジカを狩猟の対象にしていた。日本における更新世哺乳類化石の大量出土地としては、長野県にある野尻湖の立が鼻遺跡と岩手県にある花泉遺跡があり、どちらも人間の狩猟・解体によって残されたと考えられている。野尻湖ではナウマンゾウが、花泉ではハナイズミモリウシがそれぞれ最多で、ヤベオオツノジカはどちらの遺跡でも2番目に多い種であった[13]

発掘と研究[編集]

江戸時代後期に現在の群馬県富岡市上黒岩で掘り出され、地元の蛇宮神社に保管されていた骨が、オオツノジカの角であると判明したのは、20世紀後半に入ってからである。それより前の1938年に、鹿間時夫が現在の栃木県佐野市の石灰採石場から出た角と骨から、シカ属の新種としてヤベオオツノジカを報告した[9]。その後、分類上の位置づけや、他の個体との異同について諸説あったが、近年は日本産のオオツノジカの大多数がSinomegaceros属のヤベオオツノジカと認められている[9]

参考文献[編集]