川島町立川島小学校笠田分校 – Wikipedia

川島町立川島小学校笠田分校 (かわしまちょうりつ かわしましょうがっこう かさたぶんこう)は、かつて岐阜県羽島郡川島町(現・各務原市)に存在した公立小学校の分校。 羽島郡川島町の北部に該当する笠田町(現・各務原市川島笠田町)が校区であった。笠田町地区と川島町の他の地区との間には木曽川本流があり、1962年まで橋が無く、笠田地区の住民が川島町の他の地区に行くには、人・自転車、二輪車は渡船(笠田の渡し)、自動車は笠松町から木曽川橋で愛知県に迂回し、河田橋を渡って川島町に戻るという、交通が不便な地区であった。1962年、川島大橋の開通により渡船による通学困難が無くなり廃校。 校舎は笠田町公民館として使用されていたが、老朽化で取り壊された。2019年現在、校舎と同じ位置に笠田町公民館(1990年新築)が建てられ、当時の運動場は笠田町公民館の広場となっている他、跡地を示す記念碑、校門、二宮金次郎の石像が残っている。 1855年(安政2年) – 羽栗郡笠田島村に寺小屋ができる(1872年頃廃校)。 1873年(明治6年)10月 – 羽栗郡松原島村字渡島[注釈 2]、円城寺村字嘉左エ門島[注釈 3]、笠田島村[注釈 4]、小屋場島村[注釈 5] が博文義校から離脱し、小屋場島村に明善舎校が開校。 1883年(明治16年)4月 – 明善舎校が分立。松原島村字渡島・円城寺村字嘉左エ門島は松原島村字渡島に明善南校を開校する。旧・明善舎校は笠田島村に移転し、明善北校(笠田島村・円城寺村字小屋場島)となる。 1886年(明治19年)10月

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貴人鄭氏 (成宗) – Wikipedia

貴人鄭氏(きじん ていし、クィイン チョンシ、귀인 정씨、生年不詳 – 1504年3月20日)は李氏朝鮮第9代国王成宗の後宮。本貫は草渓鄭氏(朝鮮語版)。鄭仁石(てい じんせき、チョン・インソク、정인석、1424年?[脚注 1]。 – 1504年)の娘。諱は金伊(きんい、クミ、금이)[2]。 鄭仁石の娘として誕生し長じて王宮に入り2人の王子と1人の翁主(側室を母とする王女)を出産した。1483年時点では淑容に[3]、1504年時点では昭儀に封じられていたと記録されている[4]。同じく成宗の後宮であった淑儀厳氏とともに王妃尹氏を訴え、その後尹氏は廃位され賜死された[5][6]。 燕山君は母親の廃位と死はこのふたりのせいだとして深く恨み[5]、1504年(燕山10年)3月20日深夜、鄭氏と厳氏を王宮の庭に連れ出し緊縛して暴力を振るっただけでなく鄭氏の息子である安陽君李㤚(朝鮮語版)と鳳安君李㦀(朝鮮語版)に棒で2人を殴るよう命じた。李㤚は目の前にいるのが実母だと分からないまま2人を殴ったが李㦀は母親だと気付き何もしなかったという。燕山君はこれに激怒して2人が息絶えるまで殴らせた上、2人の遺体をバラバラにして塩漬けにし山や野にばら撒いて遺棄させた[7]。父鄭仁石も80歳を過ぎた高齢者で連座の対象ではなかった[1]にもかかわらず同年4月斬首刑に処せられている[8]。 中宗即位後に身分が回復され貴人を追贈された[9]。 父: 鄭仁石 母: 不詳 脚注・文献[編集] 脚注 ^

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ジャン・ギユー – Wikipedia

画像提供依頼:顔写真の画像提供をお願いします。(2019年5月) ポータル クラシック音楽 ジャン・ヴィクトル・アルテュール・ギユー(Jean Victor Arthur Guillou[1], 1930年4月18日[2] – 2019年1月26日[3])は、フランスの作曲家、編曲家[4]、オルガン奏者[5][6]。 アンジェ出身。パリ音楽院でマルセル・デュプレ、モーリス・デュリュフレとオリヴィエ・メシアンの各氏の薫陶を受ける。1955年からリスボンの教会音楽学校でオルガンと作曲を教え、1962年に帰国して2015年までサントゥスタッシュ教会のオルガニストを務めた。 1970年から2005年までチューリヒ音楽院でオルガンのマスター・クラスを開講していた。現在ではオルガニスト兼作曲家フランチェスコ・フィリディの師[7]として知られている。 パリにて没。 [脚注の使い方] ^ “Jean Victor Arthur Guillou (1930-2019)”. ml.naxos.jp.

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五智国分寺 – Wikipedia

五智国分寺(ごちこくぶんじ)は、新潟県上越市五智にある天台宗の寺院。山号は安国山。院号は華蔵院。本尊は五智如来。 奈良時代に聖武天皇の詔により日本各地に建立された国分寺のうち、越後国国分寺の後継寺院にあたる。 本長者原廃寺跡(上越市本長者原)(推定越後国分寺跡) 聖武天皇の詔によって建てられた越後国国分寺を継承するとされ、寺伝では永禄5年(1562年)に上杉謙信が現在地に移転・再興したという。移転前の当初の寺地は明らかでなく、本長者原廃寺跡(上越市本長者原)に比定する説のほか[2]、海岸侵食で没したとする説や、岩殿山奥の院を創建地とする説等がある。 上杉謙信による再興以前については、『延喜式』に寺料2万束と見える。中世には伊豆走湯山(現・伊豆山神社)別当密厳院の末寺であり、かつては真言宗であったともいう。室町時代には万里集九が当地を訪れ、境内の様子を『梅花無尽蔵』に描写している。また寺伝では、承元元年(1207年)に親鸞が越後国に流罪になった際、親鸞は境内に草庵(竹之内草庵)を結んで住まったという[4]。 謙信の再興以後では、『上杉年譜』から上杉景勝からの崇敬を受けたことが知られる。また江戸時代には幕府から朱印地200石が国分寺村に与えられるとともに諸役が免じられた。慶安元年(1648年)には天台宗になっていたとされる。堂宇は元禄2年(1689年)と寛政6年(1794年)の火災で全て焼失しており、その後の再建・修復を経て現在に至っている。 三重塔(新潟県指定文化財) 山門(上越市指定文化財) 現在の寺地は永禄5年(1562年)の上杉謙信による移転・再興と伝える。移転ながら由緒継承等で旧寺との関係が推測されることから、境内は上越市指定史跡に指定されている[5]。また境内は土塁で周囲を囲まれていることから、再興以前は豪族の居館であったとも考えられている[5]。 境内中央に建てられた本堂は、昭和63年(1988年)の焼失を経て平成9年(1997年)に再建されたものになる[6]。堂内には、大日如来を中心として薬師如来・宝生如来・阿弥陀如来・釈迦如来の5体の五智如来像が本尊として安置されている[7]。 本堂前に建てられた三重塔は、上越地方では唯一残る塔である[8]。寛政6年(1794年)の焼失後の安政3年(1856年)に再建を着工し、慶応元年(1865年)に棟上がされたが高欄等は未完成である[9]。塔の心礎を鎖で釣って心礎に固定しないという、江戸時代後期から現れる手法を採っている[8]。この塔は新潟県指定文化財に指定されている[8]。 経蔵は棟札から元禄6年(1693年)の建立とされ、市内で建築年代を特定できる建造物では最古になる[10]。蔵内には、元禄5年(1692年)の寄進銘を持つ「鉄眼版一切経」が納められている[11]。境内入り口に建てられた山門は、天保6年(1835年)の再建[12]。正面には「安國山」の山号を掲げる[12]。門内の左右2体の仁王像は天保7年(1836年)の作という[13]。この経蔵・山門はそれぞれ上越市指定文化財に指定されている[10][12]。 以上のほか、境内には親鸞の旧跡という竹之内草庵(伝親鸞聖人坐像(上越市指定文化財)を安置)や、親鸞上人像がある。 新潟県指定文化財[編集] 有形文化財 三重塔(建造物) – 1976年(昭和51年)3月31日指定[14]。 上越市指定文化財[編集] 有形文化財

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コパノキッキング – Wikipedia

この記事は現役競走馬を扱っています。今後の動向で情報や評価が大きく変動する可能性があります。 コパノキッキング(英: Copano Kicking、2015年3月7日 – )は、日本の競走馬[1]。主な勝ち鞍は2018年・2019年のカペラステークス(GIII)、2019年の根岸ステークス(GIII)、東京盃(JpnII)。 馬名の意味は、冠名+「キックする」。 デビュー前[編集] 2015年3月7日にアメリカ合衆国で誕生。2017年のファシグティプトン・ガルフストリームセールに上場され、公開調教でのトップクラスのタイムを計測。「アメリカは方角がいい」とアメリカでの競走馬購入に乗り出した小林祥晃から10万ドルでの購入を指示された村山明調教師はこの予算での購入は厳しいと感じていたが、結果的に競りかける者はなく小林の落札が決まった。脚が少し曲がっていたことが誰も競らなかった原因であったが、小林は後に「でも、あれだけ走るんだからツイてるよねえ」と語っている[4][5]。デビュー前から陣営の期待は高く、UAEダービーおよびアメリカクラシック三冠競走に予備登録された[6]。しかし、気性に繊細な面があったことから、日本へ輸入後すぐに去勢された[7]。 3歳(2018年)[編集] 栗東・村山明厩舎に入厩。3歳(2018年)2月の未勝利戦(京都ダ1200m)でデビュー。出走16頭中唯一の未出走馬で10番人気の低評価だったが、逃げて2着に8馬身差をつける鮮烈な勝利で初戦を飾った[5]。しかし、1400mに距離を延長した2戦目はグリムの2着に敗れ、3戦目は左前肢挫創のため取り消しとなった[8]。休養を挟んで夏の札幌開催で復帰し、条件戦を2戦続けて圧勝する[9]。 再び1400mに距離を伸ばした大阪スポーツ杯(1600万下)は4着に終わったが、再度1200mに短縮した藤森ステークス(1600万下)でスタート後の不利により従来の逃げ戦法から一転して後方からの競馬を強いられながら勝利したことで、偶発的に脚質転換に成功する[4]。 重賞初挑戦となったカペラステークスでは藤田菜七子に騎乗依頼が出されたが、藤田に先約があったため柴田大知が騎乗した。内枠に入ったことで逃げ戦法が予定されていたがスタートで出遅れ、最後方からの競馬となる。それでも直線では大外を豪快に伸びて差し切り勝ちを収め、初の重賞タイトルを手にした[4]。 4歳(2019年)[編集] 年明け初戦の根岸ステークスでは短期免許で来日中のオイシン・マーフィーが初騎乗。この日が短期免許最終日であったマーフィー側から「一度、乗せてほしい」と打診があり、馬主の小林祥晃が「お土産に(日本初)重賞を獲ってもらおう」と考えたことからコンビが実現した[4]。初の左回りと勝ち鞍のない1400mへの延長が課題とされたが、中団追走から直線残り200m過ぎで先頭に立ち、そのままゴールまで押し切って4連勝を飾った。JRA重賞初制覇となったマーフィーは「ベストは1200mだと思うので、早めに先頭に立つことがないように心掛けた」とコメントした。レース後、小林から次走は藤田菜七子騎乗でフェブラリーステークスに向かうと発表された[7]。 その後は予定通り鞍上藤田菜七子でフェブラリーステークスに出走。藤田にとっても、JRA所属の女性騎手にとっても史上初となるGIレースへの出走となった[10]。レースでは好スタートから最後方に位置を取り、前残りの展開の中で直線で一気に追い上げて5着に入線した[11][12](詳細は第36回フェブラリーステークスを参照)。 その後は引き続き藤田鞍上で初の地方戦となる東京スプリントに出走。不良馬場でのレースとなり、スタートで出遅れたものの中団まで位置を押し上げ、直線ではメンバー中最速の末脚で追い込んだがキタサンミカヅキに1馬身及ばず2着となった[13][14]。 次走には北海道スプリントカップを予定していたが放牧先でフレグモーネを発症したため同競走を回避、盛岡で開催されるクラスターカップへ向かうこととなった。 2019年の秋シーズンは海外遠征のプランが組まれ、クラスターカップの結果次第で9月に開催される第4回コリアスプリントもしくは11月に開催されるブリーダーズカップ・スプリントを目指すことが発表されていた。しかしながら、登録までしていたコリアスプリントへの出走が日韓貿易紛争などの影響からできなくなり、早々の修正を余儀なくされた[15]。迎えたクラスターカップでは単勝オッズ1倍台での出走となり、レースでは2番手から競馬を進めたものの3着に敗れ、次走は東京盃へ向かうと発表された[16]。 東京盃では前走に引き続き圧倒的人気に推され、好スタートから先頭に立つと最後まで後続を寄せ付けず4馬身差で勝利、自身の重賞3勝目を飾った[17]。鞍上の藤田は重賞24回目の騎乗で初制覇、同時にJRA所属の女性騎手として史上初の交流重賞制覇となった[18](詳細は第53回東京盃を参照)。

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カビール・カーン – Wikipedia

カビール・カーン(Kabir Khan、1968年9月14日 – )は、インドの映画監督、脚本家、撮影監督。ドキュメンタリー映画を手掛けた後、2006年に『カブール・エクスプレス』で長編映画デビューし、『New York』『タイガー 伝説のスパイ』『バジュランギおじさんと、小さな迷子』『Phantom』などを製作した[2]。 キャリア[編集] デリー大学キロリ・マル・カレッジ(英語版)、ジャミア・ミリア・イスラミア(英語版)出身[3]。1996年にゴータム・ゴースが監督したディスカバリーチャンネルのドキュメンタリー映画『Beyond the Himalayas』で撮影監督を務め、キャリアをスタートさせる。1999年にスバス・チャンドラ・ボースのインド国民軍を描いたドキュメンタリー映画『The Forgotten Army』で監督デビューし、後に商業映画に活動の起点を移すようになった[4]。 2006年に『カブール・エクスプレス』で商業映画デビューし、第54回ナショナル・フィルム・アワード(英語版)でインディラ・ガンジー賞 最優秀新人監督作品賞(英語版)を受賞した。その後にヤシュ・ラージ・フィルムズの元で『New York』と『タイガー 伝説のスパイ』を製作し、同社との契約が終了した後に自身のプロダクションハウスを設立した。 2015年に製作した『バジュランギおじさんと、小さな迷子』はインド国内で歴代第3位の興行収入を記録し、また第63回ナショナル・フィルム・アワード(英語版)で健全な娯楽を提供する最優秀大衆映画賞(英語版)を受賞するなど高い評価を得ている[5][6]。同年にカトリーナ・カイフとサイーフ・アリー・カーン主演で『Phantom』を製作し、2017年に『Little Boy』をリメイクした『Tubelight』をサルマン・カーンと共に製作した。また、Amazonプライムと共同製作で、インド国民軍を題材としたドラマシリーズ『フォーガットン・アーミー(英語版)』を製作した。2019年には中国と共同で『The Zookeeper』を製作する[7][8]。映画は成都市周辺で撮影が行われ、2500万ドル(16億2000万ルピー)の製作費を投じ、インドと中国の俳優・女優が共演する[9][10][11]。 フィルモグラフィ[編集]

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さんま&女芸人お泊まり会 – Wikipedia

『さんま&女芸人お泊まり会』(さんまアンドおんなげいにんおとまりかい)は、フジテレビ系列で2018年から『土曜プレミアム』枠で不定期放送されている旅バラエティ番組。明石家さんまの冠番組。 明石家さんまと複数の女芸人が旅行を楽しみながら、恋愛・仕事の悩み相談など本音トークを展開するバラエティ番組[1]。 司会 ゲスト 放送日一覧[編集] 回数 放送日 放送時間(JST) 放送タイトル ロケ地 備考 第1回 2018年5月26日(土曜日) 21:00 – 23:40 さんま&女芸人お泊まり会〜初めて後輩に語る、62年走り続けた男の人生哲学〜 箱根 『土曜プレミアム』枠で放送。 第2回

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世話やきキツネの仙狐さん – Wikipedia

この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。出典検索?: “世話やきキツネの仙狐さん” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2021年3月) 『世話やきキツネの仙狐さん』(せわやきキツネのせんこさん)は、リムコロによる日本の漫画。KADOKAWAのウェブコミック配信サイト『コミックNewtype』にて2017年10月6日より連載中[1]。 あらすじ[編集] ブラック企業に勤め、身も心も満身創痍なサラリーマン中野は、激務を終えたある日、自宅で料理を作る謎の少女に遭遇する。仙狐と名乗った少女は、自身が齡800歳の神使の狐であり、かつて中野の祖先と縁があったことから、常に疲れている中野を世話するためにやってきたことを告げる。自分を存分に甘やかそうと尽くす仙狐を信頼することにした中野は、仙狐と生活するなかで次第に癒しを見出すようになり、程なくして知り合った隣人の高円寺安子や、仙狐と同じ神使のシロとも関わるようになる。 登場キャラクター[編集] 声の項はテレビアニメ版の声優。 中野 玄人(なかの くろと)[2] 声 – 諏訪部順一[3]、松本沙羅(少年)

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