株式会社林原(はやしばら、英: HAYASHIBARA CO., LTD.)は、岡山県岡山市に本社を置く食品原料・医薬品原料・化学原料製品や試薬を研究・製造・販売するバイオメーカーである。文化支援活動として美術館の運営支援を行う。 2011年に会社更生法を申請し、化学専門商社長瀬産業の完全子会社になる。2012年3月26日に会社更生計画は終結[2]している。 1883年、林原克太郎が現在の岡山市北区天瀬に麦芽水飴製造業を営む林原商店として創業する。 1932年、株式会社林原商店へ改組し、林原一郎が3代目社長に就任して研究開発や経営多角化を推進する。水飴製造は酸糖化法を導入し「太陽印水飴」として日本本土や大陸方面へ販路を拡大する。1943年、林原株式会社へ社名変更する。1945年、岡山空襲で工場を焼失するも終戦直後に復興して水飴生産量が日本一になり、不動産事業ではJR岡山駅南に約2万坪の土地を購入し、1948年、同所へ本社を移転する。以後デンプンから各種糖質開発を事業として特許を多数取得し、莫大な収益でさらに新規研究を行う研究開発型企業へ成長する。 1961年、林原健の社長就任以降、自社で製造法を確立したブドウ糖の生産をはじめ、マルトース、プルランなど各種糖質の量産化に成功し、林原生物化学研究所などグループ会社を次々と設立する。美術館開館、備中漆復興事業、古生物学(恐竜発掘)調査、類人猿研究などメセナ事業も積極展開を始める。1990年代以降、甘味料などに用いられる糖質トレハロース、抗がん剤用途のインターフェロンを生産し世界市場で販売する。ただし林原健の弟で専務取締役を務めた林原靖によると、林原インターフェロン製造のために建設された吉備製薬工場は稼働実績で二割を上回ったことがなく、後の経営破綻の最大の原因の一つとあげている[3]。これは林原の天然型インターフェロン製造法が後発の遺伝子組み換えインターフェロンの競合に効率で劣っていたことと、販売協力関係にあった大塚製薬の社長が新薬開発をめぐる汚職事件に関わり、製薬会社の社長を退任せざるを得なかったことによるという[4]。2011年2月2日、林原、林原生物化学研究所、林原商事、のグループ中核3社が会社更生法適用を東京地方裁判所に申請[5]、3月7日に更生手続開始が決定[6]する。 2012年2月1日、林原生物化学研究所、林原商事の2社が株式会社林原に吸収合併され、2月3日に合併後の株式会社林原が100%減資して長瀬産業(大阪市)の完全子会社[7]になる。長瀬産業が約700億円の巨額の出資を行い、またJR岡山駅南土地の売却、創業者からの寄付などにより、負債総額約1400億円に対し弁済原資約1300億円を確保して弁済率約93%と更生法下では異例の高水準[8]で、更生法適用から約1年2ヶ月後の3月26日、会社更生計画は終結[2]する。中核事業は株式会社林原が継続し、中核事業以外の資産や負債は太陽殖産が引き継いだ。 2015年(平成27年)1月、長瀬産業創業家からの出向であった長瀬玲二が株式会社林原の代表取締役を辞任、同時に長瀬産業でも代表取締役専務を辞任し代表権の無い副会長となった。なお同時に長瀬産業の長瀬洋社長は代表取締役社長から会長職に退いた[9]。 長瀬産業は子会社となった林原に設備投資を行い、2015年には、藤崎地区に新「岡山第一工場」、今保地区に「岡山機能糖質工場S棟」を新設した[10]。さらにトレハロースの安定供給を目的に「岡山機能糖質工場T棟」の増築工事を行い、従来の製造能力の約3割増に規模を拡大した[11]。2015年11月には水溶性食物繊維「ファイバリクサ」を発売、2016年9月にはナガセケムテックス株式会社との初の共同開発製品となる製パン用酵素「デナベイクEXTRA」を開発した[12]。また、プルランカプセルの海外での市場拡大に向け、ロンザ社(本社:スイス バーゼル)と長期パートナーシップ契約を締結した[13]。 しかしながら、後述のように、2018年3月現在、トレハロースの 売上げは日本国内が30,000トンなのに対し、海外売上は1,000トンに至っていないと言い、上記の製造設備投資に見合う売上をそもそも確保しているのか、また果たして長瀬産業の海外施策が功を奏しているか疑問符が付く[14]。 また、2012年の長瀬産業の出資後、長瀬産業から出向し、林原の代表取締役に付いていた長瀬玲二は、2015年(平成27年)1月、林原の代表取締役を辞任、同時に長瀬産業でも代表取締役専務を辞任し代表権の無い副会長となり、その後2018年1月に長瀬玲二の後任の林原の代表取締役社長であった森下治は2018年3月31日に退任し、後任に副社長の安場直樹が就くなど、長瀬産業の買収後は、長瀬玲二は3年、森下治は2年という短期政権が続いている[15][16][17][18][19]。 林原グループ旧本社 1883年(明治16年) – 現在の岡山市北区天瀬に林原克太郎が林原商店を創業する。 1932年(昭和7年)
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