他阿真円 – Wikipedia
他阿 真円(たあ しんえん、本名:加藤 円住(かとう えんじゅう)、1919年〈大正8年〉6月10日 – 2021年12月9日)は、日本の僧、政治家。時宗の74世法主(遊行上人)、藤沢清浄光寺57世住職(藤沢上人)。岡崎市議会議員を通算4期、市議会議長を1期歴任した。 加藤が誓願寺の境内に創設した矢作保育園 愛知県碧海郡矢作町(現・岡崎市矢作町馬場4番地)の誓願寺に生まれる。1932年(昭和7年)、出家得度。1941年(昭和16年)、大正大学専門部を卒業し、龍谷大学に編入。 軍部に徴集され東南アジアに派遣される。マラリアに感染し入院。1943年(昭和18年)、誓願寺住職に就任するも、再び徴集され、東南アジアに派遣される。陸軍少尉として輜重を担う。1945年、連合軍の捕虜となり、2年間の強制労働に従事。 1947年(昭和22年)5月、復員[1]。誓願寺住職に戻るも、肺結核となる。 1948年11月1日、境内に矢作保育園を設立し、園長となる[2][3]。 1955年4月30日に行われた岡崎市議会議員選挙の第7選挙区(旧矢作町)に立候補するも次点で落選。市議選には7回立候補し、4回当選した(選挙の記録は後述)。初当選は1963年(昭和38年)[4]。 1982年(昭和57年)6月から1983年(昭和58年)11月まで議長を務めた。 1983年(昭和58年)、岡崎市仏教会会長となる。1984年(昭和59年)の市議選で落選。以後、政治活動から身を引く。 1994年(平成6年)、勲五等双光旭日章を受章。1997年(平成9年)、足下位に就任。 2003年(平成15年)3月、真光寺住職、法主後継者となる[5]。 同年7月23日、第74世遊行上人に就任。 2019年(令和元年)6月11日、満100歳を祝う会が銀座アスター藤沢賓館で開かれた[6]。 2021年12月9日、S字結腸ガンのため岡崎市の病院で死去。102歳没[7]。
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