大須駅 – Wikipedia

大須駅(おおすえき)は、岐阜県羽島市桑原町にあった名鉄竹鼻線の駅である。

  • 1929年(昭和4年)4月1日 – 竹鼻鉄道の駅として開業。
  • 1954年(昭和29年) – 移転[2]
  • 1965年(昭和40年)度 – 貨物営業廃止[3]
  • 1985年(昭和60年)2月16日 – 無人化[4]
  • 1998年(平成10年) 12月 – 木造の駅舎を解体。
  • 2001年(平成13年)10月1日 – 竹鼻線江吉良 – 大須間の営業廃止により廃駅となり、廃止区間はバス輸送に転換される。
    • 一週間ほど後に駅そのものが解体される。
廃止前のプラットホーム(2001年)

開業当時の駅は、廃止時より200m先の南濃大橋付近にあった。旧駅は島式1面2線のプラットホームを有したが、移転後は片面1面1線となった[2]。片面ホームは旅客専用であり、旧ホームは当初貨物用、留置用に残された(撤去時期不明)[5][2]

片面ホームのホーム長は2両編成分までにしか対応しておらず、4両編成の場合、岐阜方2両がホームからはみ出していた。しかし2+2両の列車が入線することもあり、その場合は全てのドアを開け、岐阜方2両目の一番後ろのドアから乗降していた。

小さな木造の駅舎を有していたが、無人化後は出札口や事務室の窓が板で塞がれ、待合室としての機能しか有していなかった。取り壊される直前には、かなり荒れた状態であった。

駅の横には水洗式のトイレがある。これは1998年9月の台風で駅のトイレが崩壊した際、羽島市内の長良川病院の森省三院長が寄贈し、1999年6月25日に完成したものである。当時からトイレが再建されることはないと森が判断して寄贈したもの[6]で、このためか廃線前から廃線後しばらくまでの間は『乗って残そう竹鼻大須線』と書かれた看板が取り付けられていた。

駅や線路は廃線後すぐに撤去作業に着手し、1ヶ月後(11月頃)には作業が完了した。2021年現在、他の竹鼻線廃止区間の中区駅跡の道路転換以外で唯一ホームが撤去されて更地となっている。

配線図[編集]

大須駅 構内配線略図

笠松方面
凡例
出典:1957年配線略図[7]、1986年配線略図[8]
破線は旧駅。移転後しばらくは留置線として使用(撤去時期不明)[2]

利用状況[編集]

  • 『名古屋鉄道百年史』によると1992年度当時の1日平均乗降人員は946人であり、この値は岐阜市内線均一運賃区間内各駅(岐阜市内線・田神線・美濃町線徹明町駅 – 琴塚駅間)を除く名鉄全駅(342駅)中228位、竹鼻線・羽島線(16駅)中8位であった[1]
大須駅跡(2019年6月)
左手に代替バス車庫。正面に公衆トイレ
駅跡地の前に停まる代替バス(2019年6月)

主な施設[編集]

接続するバス[編集]

かつては、当駅とお千代保稲荷、海津市歴史民俗資料館を結ぶ岐阜バスお千代保稲荷線が存在した。

2001年に竹鼻線江吉良駅 – 当駅間の営業廃止後も存続し、羽島市代替バス(竹鼻線代替バス)と接続していたが、2002年9月30日に廃止された。

廃止後は広域バスお千代保稲荷線(当駅 – お千代保稲荷 – 海津市歴史民俗資料館)が同区間を運行していたが、2009年4月1日の路線再編により海津市コミュニティバスの一部に変更されている。

2019年現在、駅跡地の前に代替バス路線(羽島市コミュニティバス・海津市コミュニティバス)が発着する。

名古屋鉄道
竹鼻線(廃止区間)
八神駅 – 大須駅
  1. ^ a b 名古屋鉄道広報宣伝部(編)『名古屋鉄道百年史』名古屋鉄道、1994年、651-653頁。
  2. ^ a b c d 徳田耕一『名鉄の廃線を歩く』JTB、2001年、28頁。ISBN 978-4533039232。
  3. ^ 名古屋鉄道広報宣伝部(編)『名古屋鉄道百年史』名古屋鉄道、1994年、340頁。
  4. ^ 名古屋鉄道広報宣伝部(編)『名古屋鉄道百年史』名古屋鉄道、1994年、875頁。
  5. ^ 徳田耕一『名鉄 昭和のスーパーロマンスカー』JTBパブリッシング、2015年、59頁。ISBN 978-4533106392。
  6. ^ 「西美濃わが街」2001年6月号(289号)
  7. ^ 清水武、田中義人『名古屋鉄道車両史 下巻』アルファベータブックス、2019年、187頁。ISBN 978-4865988482。
  8. ^ 電気車研究会、『鉄道ピクトリアル』通巻第473号 1986年12月 臨時増刊号 「特集 – 名古屋鉄道」、付図「名古屋鉄道路線略図」

関連項目[編集]

外部リンク[編集]